第5話 神童

 憔悴の激しい泉がソファに寝かされて後。

 率先して世話を焼き出したのはワーズではなく、フェイ・シェンだった。

「はい、このタオルで汗を拭いてね。

 お水、飲めるかい?

 果物なんかも摂るといいんだけど、何か好きなのある?

 寒くはない?

 それとも暑いかな?

 少し休んだら湯浴みするのも効果的だよ?

 腕はどう? まだ痛いかな?」

「あの、フェイさん」

「うん? 何かな、人魚……じゃなくて、ええと泉嬢だから、泉さん、と。そうだ、僕の名前はフェイだけでいいよ? 確かに生きてきた時間は君より長いけど、年齢的には君の方が上だからさ」

「じゃあ、私も呼び捨てで」

「ううん。それは駄目。言ったでしょう? 年齢的には君の方が上なんだから。礼節は大事に、ね?」

 言いつつ、あやすように泉の頭を小さく撫でるフェイ。一体どの辺が年上に対する礼節なのか分からない泉は苦笑しつつ、

「ええと、ワーズさんが何だか、凄く怖い笑顔を浮べているんですけど」

「ワーズ殿が?」

 弱々しく背後を指差せば、食卓の前で腕を組み見下ろしているワーズを振り向くフェイ。勝手知ったる他人の家――いや、店というべきか、芥屋にある色んなモノを泉の前へ持っていったフェイに対し、人間以外は無下に扱う店主が良い顔をしないのは当然のこと。加え、人間好きを豪語してはその世話を嬉々としてやるワーズなのに、フェイはその役目まで奪っているのだ。

「…………」

「…………」

 見つめ合う二人の間に奇妙な沈黙が落ちた。

 長引けば、次第に捨て置かれた気分を味わう泉。

 その耳に声が届いたなら、自然と意識はそちらへ吸い寄せられた。

 声の主は先ほどまで泉が座っていた位置に座る司楼だ。心身共にダメージの大きかった竹平を元気づけているらしい。ただ、人間に似た姿は人狼姿の時よりも表情がはっきり分かるため、発せられる声音はいつもより事務的に聞こえる。言葉が重ねられれば重ねられるほど、竹平の気分は盛り下がる一方だ。

 それでも、見た目の年が近いためか友人同士に見える二人。

 奇人街ではまず見なかった光景のためか、不意にある姿が思い起こされた。

(心配……しているだろうな、由香ちゃん)

 元居た場所で中学・高校共に同じクラスだった親友。中学一年の三学期という時期に転校してきた泉へ最初に話しかけて来た彼女は、活発という言葉がよく似合う傍ら義理堅くもあった。それはもう、出会った当初は暑苦しいと泉が敬遠するほどに。

 奇人街に来てからお人好しだとよく言われる泉だが、これは間違いなく彼女の気質が知らぬ間に伝染していたせいだろう。

 このため、せめて彼女だけには自分の無事を知らせたいと思い、

(……そういえば、奇人街に来てからどのくらい経っているのかしら?)

 時間は停滞しているくせに慌ただしい毎日の連続で、近頃すっかり失念していた疑問が生じた。

 ――矢先。

「特に変わった様子はないけど?」

「へ?……ああ、ワーズさんの。……えぇええー…………」

 戻ってきたフェイの不思議そうな表情に、先程までのやり取りを思い出した泉は、弱いという割に図太い神経を見せつけられて絶句する。

 もう一度見やったワーズの顔は口角を思いっきり引き攣らせているのだが。

(フェイさん、じゃなかった、フェイって……大物?)

 呼び捨てで良いと言われたため心の中で呼び捨てたものの、やっぱり「さん」付けした方が良いのではと泉は思い――そんなことを考えてしまったせいで、思い出した疑問をまた失念する羽目に陥っているとは露知らず。



 ワーズに全く介抱をさせない理由を自分のせいだろうから、と語ったフェイ。威圧的に立つワーズを背景に、だいぶマシになった気分から身を起こした泉の前で椅子に腰掛けつつ、

「泉さんは僕の姿を見て、どう思った?」

「ええと……その、鳥人には見えないなぁって」

 結局、司楼には答えていないままだった驚きの理由を本人に告げたなら、フェイは「だよね」と苦笑した。

 人間でいうところの白目部分と瞳孔を黒とした、金を湛える虹彩を持つ猛禽の瞳。黒と茶と白が入り混じった無数の羽根のような髪は、連なる長さを後ろで一つに纏めており、前髪部分だけが飾り羽のような形の赤と金で彩られている。

 二次成長に差しかかったばかりの少年の身体に纏う衣は、美麗な刺繍が施された、すらりとした濃紺の礼服。後ろが燕尾状に割れており、その真ん中から長い髪と同じ色の尾羽が伸びている。裾から覗く足の形も猛禽そのものだが、厚手の白い布で巻かれているため色は分からない。それでも、髪や瞳、尾羽や足を見る限りでは、確かに鳥人と言っても差し支えないフェイ。

 ただし、

「あの……失礼に当たるようでしたら申し訳ないんですけど……嘴は?」

「うん、あと、肌のことでしょう?」

 付け加えられた部分に泉はおずおず頷いた。

 顔の造りは美少年と評しても障りのないフェイだが、泉の知る鳥人とは違い、下半分は人間然の鼻と口。蝋燭のように白い肌も羽毛に覆われておらず、人間に似た質感を持っていた。

「でも、僕は列記とした鳥人なんだ。参るよね。自分の種族が見た目で伝わらないって。けど、まあ、彼らにしてみれば成功例らしいんだけど」

「彼ら?」

 肩を竦めるフェイの言葉をなぞれば、泉より幼い面差しの少年は金と黒の色彩に年季の入った憐憫を滲ませた。

「僕の種、鳥人さ。ほら、さっき人狼の彼が口にして、だけど、泉さんには聞こえなかった名前があっただろ?」

「あ、はい」

「僕にはその血が色濃く引き継がれているんだってさ。だから、鳥人なのにこんな姿でも成功例」

「はぁ……」

 どこか皮肉げに語られても、要領を得ない泉に出来るのは気のない返事だけ。

 フェイの言う通り、司楼が告げたと思しき種族の名は聞こえなかったが、その血が色濃く出ると、何故成功になるのかが分からない。

(それに……成功例って言い方、なんだか厭な感じだわ)

 思ったことが顔に出ていたのだろう。ワーズの分かりやすい嫌悪は欠片も察しないフェイが、泉には苦笑してみせる。

「端的に、分かりやすく言うとね。あの種族は奇人街の中でも特殊な位置に属しているんだよ。神格化された種とでもいうのか。だから普通の種族じゃ、その名を口にすることもできないし、聞くこともできない」

「神格……ええと、それじゃあ人間以外も?」

「うん、そう。今回は君とそこにいる人間の彼だけだったから、人間だけって思っただろうけど。ちなみに人狼の彼が口にできたのは、ワーズ殿が言っていたけど、彼が隠者を片親に持つため。隠者はあの種族から何の恩恵も受けていないから」

「恩恵?」

「うん。あ、呪いとも言うかな?」

「の、呪い……」

 真逆の意味を告げられ困惑する泉を余所に、フェイは己の胸に手を翳した。

「で、僕が何ともなかったのは成功例だから。鳥人はね、大昔にその種族との交配でできた子の末裔なんだ。って言っても、成功例は少ないから普通の鳥人じゃ、やっぱり君たちと同じ反応をしてしまうんだけど。そのくせ神格化した種から生まれたってだけで他を見下すんだから、変な種族だよ、鳥人って」

 思わぬところで鳥人に対する知識を深めた泉は、自分の種族を変だというフェイに目をぱちくり。

 すると自虐的な笑みを浮かべたフェイは肩を竦めた。

「まあ、そのお陰で僕みたいに弱い奴が、成功例ってことでこうして生きていられるんだけど。鳥人って種は自分たちの血に拘る余り、他種族との交配を認めていないんだ。何より成功例を望むから近親婚が多くてね。僕の両親なんて双子だしさ」

「ふ、双子……?」

「そう。しかも、よく似た顔の。だから親子三人揃うと驚くと思うよ? 齢にしても今じゃ僕と大差ないからさ。……まあ、あっちはちゃんと嘴も肌も鳥人なんだけど」

「…………」

 フェイの語りを聞きながら、ふと泉は思う。

 彼は普通の鳥人の姿に憧れているのではないか、と。

「……血の濃さが成功例を生むわけじゃないんだけど、鳥人の多くはそう思っている。成功例として生まれたところで、あの種族みたいな力はないのに。いや、それどころか普通の鳥人より弱くなってしまうのに……神童シンチョンだ、って祭られたところで、何もできやしないのに」

「シ?」

「うん? ああ。神童はね、成功例の中の成功例を示す言葉なんだよ。もしかしたら知っているかもしれないけど、鳥人は成功例、特に神童を種単位で保護するんだ。もし神童に危険が及ぶようだったら……種を上げてその危険を徹底的に排除する」

「だから、群れごと?」

 司楼から得た情報を告げれば猛禽の瞳が小さく揺れた。

 次いで苦笑、ため息がフェイから吐き出された。

「うん……彼らには、悪いことをしたと思っているよ。僕があの人に会いに行かなきゃ、関わらないでいられたんだから」

「…………」

 懺悔にも似た語りに泉の眉が僅かに寄った。

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