第3話 理解の差

 渡されても読めないのに、誰かに読んで貰ってもいけない手紙。

 しかも差出人は、あのシウォン。

 泉の頭の中で再生される彼の人狼との記憶は、正直なところ……。

(……そう言えば、変な薬入りの手紙を送ってきたこともあったような)

 うっかり思い出したなら、今手にしているソレも危ない気がしてきた。

「に、ニパさん」

「なんだいっ!?」

 ニパの怒り顔は恐ろしいが、それよりも手にしたモノの方が色々怖い。

 なので、遠ざけるように手紙をニパへ向けては、勢いよく頭を下げた。

「し、シウォンさんに、ごめんなさいって伝えてくれませんか?」

 ――いただいても読めないし、開封する勇気もありません。

 諸々の思いを込めた言葉は、ハの字になったニパの眉に迎えられた。

「あんたね……ごめんなさいって、そんな、御手紙も読まずに」

「でも、読んで貰うのはいけないって教えて貰いましたし」

「いや、確かにそうは言ったが……。あのね、いいかい? よぉく、お聞き?」

 座るよう進められ、躊躇した泉はちらりと背後を振り返った。

 いつ調理を再開し出すか分からない、心配の種であるワーズは、泉の必死さを汲んでくれたようで、まな板は上にあったブツごと片付けられていた。

 そっと一息つき、視線を戻して座ったなら、居た堪れない面持ちのニパが、店側の踏み板に腰掛けていた。

「はあ……。フーリ様が不憫だよ。字が読めないってんなら、あんた、この前の手紙の返事も、そこの店主に書かせたんだろ?」

「はい。書いては貰いましたけど」

「しかも、あなたの願いを叶えるつもりはありません、て」

(……あれ?)

 ニパの言葉を聞き、内心で首を傾げる泉。

「はい……駄目、でしたか?」

 頷きはしたものの、思う。

(これって、私からの手紙は他の人にも読まれていたってことじゃ?)

 読まれても別段困る内容ではないが、叱られた手前、釈然としない。

 自分の言葉の不備に気づかないニパは、仰々しくため息をついた。

「駄目、というかねぇ……。フーリ様、あの手紙を貰ってから不眠続きでさ。見ていて痛々しいよ。近づいたら性別種族関係なく、なぶり殺しに合うくらい見境なくなってるしさ。この御手紙を預かった時は、幾らかマシだったが」

「不眠……」

 ニパの話に泉の視線がついと他方を向いた。

 そこに在ったのは、乾物が置かれた棚。

 おもむろに立ち上がった泉は、困惑するニパの前を断りつつ通り、面が作れるほど大きな葉を取り出した。

 いつの日だったか店主に教わった、恵明(ケイミョウ)の葉。

 茶葉の一種で、夢も見ずにぐっすり眠れる効果があるという。

「あの、ニパさん、これをシウォンさんに」

 不眠と聞いて、泉は迷わず差し出した。

 因縁は多々あれど、憎んでいる訳でもない知人ならば、案じが先立つもの。

 一方のニパは、何故か顔を真っ青にする。

「…………」

 けれど無言で受け取り、

「…………邪魔したね」

 よろよろと芥屋を出て行った。

 あまりの変わりように泉は首を傾げ、ニパの座っていた場所に、返したはずの手紙が忘れられていることに気づいた。

「……どうしよう、これ」

 見送った背を追いかけるには、少々時間が過ぎていた。

 昼とはいえ、奇人街。しかもニパが向かうのは人狼の住処たる地下。一度、あそこを逃げ惑う羽目になった身としては、二度と行きたくない場所である。

 そうしてふと思い返すのは、結局読まれていた自分の手紙。

「うーん……。やっぱり読んで貰おう、かな?」

 不審は拭えないが、残された以上は好奇心が勝ってしまうもの。人には読ませるなと言いながら、泉の手紙の内容を知っていたニパを思えば、躊躇う気もない。

 よしっ、と勢いをつけた泉。

 台所に向かって歩を進めかけ、

「ぎゃーっ!? わ、ワーズさん! 今、今、私が作りますから!」

 何故か元通り、まな板の上にセットされた代物と傍らに立つ出刃包丁の男に、泉は青い顔で駆け寄った。


* * *


「……死、ですか?」

 朝食を終え、ワーズが淹れた茶を啜った泉は、もたらされた単語に目を丸くした。

 何を指してそんな話になるのかといえば、台所近くの席に座る泉の向かい、へらりと笑う男が言ったのだ。

 不眠だというシウォンへの見舞いの品、ニパへ預けた茶葉には、死という秘められた言葉が付随している、と。

 そんな危うい単語を持つ茶を、今の今まで好んで飲んでいた自分を顧み、泉はなんともいえない面持ちで、まだたっぷりとあるカップの中身を見つめた。

「そ。あ、でもお茶じゃなくて、恵明の葉に、だから。飲む分には全く問題ないよ? 大抵の住人は気にしないしねぇ、残念ながら」

「はあ……」

 残念の意は、人間以外を嫌うワーズを見ていれば分かるので、曖昧な返事で流し、問題ないと暗に勧められた言葉を受け、泉は再度茶に口を付けた。

 大抵の住人は気にしないという部分へは、妙な引っ掛かりを覚えつつ。

 思い浮かべるのは、恵明の葉を渡した際、顔色を変えたニパの姿。

 と、泉の思考を遮るように、ずずずーっと行儀の悪い音が向かいから響いた。

 顔を上げれば、誰もいないソファを背にしたワーズが、和やかな眼差しで店を眺めている。つられた泉、そちらを向いては、朝食前に起き、終えては店番がてら茶を啜る赤い髪の少年を認めた。

 同僚、という表現が正しいか否かは別として、従業員である竹平は、すっかり店番が板についてきた様子。今もって住人や食材に怯える姿はあれど、泉が四苦八苦していた奇人街特有の貨幣や文字は、難なく操れるようにまでなっていた。

 泉が恋腐魚に苛まれていた時、特別何かをしていた様子もなかったはずだが。

 これをそのまま、久方ぶりに顔を合わせた彼へ告げたなら肩を竦めみせた。

 曰く、それ以外やることがなかっただけ、だそうな。

 逆に彼としては、住人たちと普通に話せる泉の方が凄いらしい。

 肝が据わっている、までは良いとしても、神経が図太い、という、多少なりとも傷つく評価ではあったが。

「目障りだから死んで欲しい、って」

「…………はい?」

 唐突に聞こえて来た物騒へ、泉はあからさまに眉を顰めてワーズを見やった。

 けれどワーズはすぐに応じることなく、余韻をたっぷり残すように、茶をずずっと啜った。それから、シルクハットの陰りの中、視線だけを泉へ向ける。

「恵明の葉、ね。そのまま誰かに宛てて贈ると、そういう意味になるんだ。んで、ここからが面白い話なんだけど」

 にたりと持ち上がる口の端。

 ワーズの”面白い”が、どれほど胡散臭いか分かる仕草である。

 黒一色の店主と短い付き合いでもない泉は、更新された情報を踏まえ、顔を険しくした。続く言葉が容易に想像できてしまったがために。

「大抵の住人はさ、物に込められた言葉なんか気にしない。けど、例外ってのは何にでもいるんだよねぇ。ちなみに、その例外ってのは」

「……シウォンさん、ですね?」

「あら? 分かっちゃった? うん、そだよ。大正解」

「おめでとー」とへらへらカップを持ちつつ、器用に拍手するワーズ。

 泉はカップを食卓に置いて頭を抱えた。ようやく導き出された、ニパの青褪めた顔の正体に、彼女もその意味を知っていたのだと悟り、

「つまり私は、シウォンさんに対して、酷い暴言を吐いたってことですよね? どうして教えてくれなかったんですか、ニパさんにしても、ワーズさんにしても!」

 以前、髪を下ろした方が良いと言っていたワーズが、何のつもりか結わえた髪を押さえ、泉はじろりと白い面を睨みつける。本当は頭を掻き毟りたいところであるが、泉のふわふわしたクセ毛は、その柔らかさに反して強盛な面があった。無闇に指を通したが最後、確実に数本は抜けてしまうだろう。加え、ワーズの結わえ方は、泉自身がやるよりも、整った感触を手の平に伝えており、崩すのは心情的にも申し訳なかった。

 と同時に思い出すのは、件の人狼に髪を結わえられた時。攫われた身の自由を目指す中で、身代わりとして置いたクッションの、頭部部分が噛み千切られる様。

 さっ……と泉の顔が青くなった。

「ど、どうしてくれるんですか? シウォンさんを怒らせたりなんかしたら……次に会った時、こ、殺され――」

「――は、しないんじゃねぇか?」

 そう面倒臭そうに言ったのは竹平。組んだ足に頬杖をついた彼は、泉を横目で見てため息を吐いた。

「どっちかってぇと、そのシウォン、て奴の方が死んじまう気がするぞ」

「ええと……? 竹平さん、シウォンさんとそんなに面識ありましたか?」

 奇妙な理解を示す竹平に泉の首が傾いだ。

 思い起こすに、竹平がシウォンと遭遇した場面は数あれど、どれも言葉を交わさずに終わっていたはず。内一回は、抵抗も出来ず投げ飛ばされたくらいだ。

 気持ちを代弁できるほどの接点が見つからない。

 仕切りに疑問符を浮べる泉に対し、竹平は再度呆れたため息をつく。

「分かるんだよ。いや、分かんないのはたぶん、お前だけだ。あそこまで露骨にやられといて、何で分かんねぇのか、そっちの方が俺は疑問だが」

「え……な、何のお話ですか?」

 遠回しに鈍いと言われた気がして、妙な焦りが泉の中に起こる。

 言外に含まれる、分かれよ、という響き。

 そのくせ、自分で考えろと投げられる視線に、こげ茶の瞳が右往左往した。

(シウォンさんが怒らない、私が殺されない。……それはつまり)

 出された結論から、手がぽんっと打ち鳴らされた。

「ああっ! そっか! 私、シウォンさんから」

「遅いな、ようやく気づき」

「取るに足らない人間だと思われているんですねっ!」

 ぐっと拳を握り締め、一人、うんうんと頷く泉。

 ひとまずの安堵を得た泉の目には、何かしら言いかけて諦めた竹平の顔も、カップの中だけで茶を吹き出したワーズも映らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る