第11話 不自由な至福の一服

 堂々巡りのモクとの会話に疲れ果てた泉。

 そういえば、と今更ながらに思う。

「あの、どうしてそんなに、私の……お嫁さん? に、なりたいんですか?」

「好きだから?」

 間髪入れず、しかし何故か疑問符を付けて出された答え。

 とはいえ、ストレート過ぎる告白に、泉は目を丸くした。

「好き……って、どうして?」

「んーと……好きになるのに、理由って必要だっけ?」

 煙管の先が天井を向いて、不思議そうにあっちへふらふら、こっちへふらふら。

 何かを探す素振りに、問うた泉自身、そんなものかもしれないと思い直した。

(誰かを好きになるのに理由なんて、必要なのかしら……)

 しかし、モクが”お嫁さん”を望んだのは、初めて会ってから物の数分だったので、せめてどの辺が好きに相当するのか、聞いておきたかった。

 これで、身体の部位を差され、「この辺が美味しそう」と言われたなら――。

(止めよう、無駄に怖い)

 青褪めつつ、泉は首を振る。

 と、モクの顔が急にこちらへ戻ってきた。

 ぶんっと振られた煙管が沈んでは持ち上がり、

「そうだ、泉・綾音」

「な、何ですか?」

 絶妙なタイミングで戻ってきた声に、(まさか本当に?)と返事が上擦る。

 モクはこれにしっかりと頷き、

「やっぱり愛人で良いかな?」

「…………は」

 再びの愛人宣言に泉の目が点となった。

「んと、だってお嫁さんになっちゃったら、毎日ずっと、泉・綾音と一緒にいなきゃいけないんでしょ? お互いに食べさせ合って、背中流し合って、お布団の中で遊んでー」

「……何ですか、その妙に偏ったお話は?」

「? おじさんから聞いたんだよ。ほら、私をお嫁さんにしようとしたっていう」

「……ああ」

 モクの言葉に、酷く納得してしまった泉。

 同時に”おじさん”の単語で思い浮べた中年姿は、息を吐いて違うと払う。

「でもね、私、お医者さんをやってるから、そんな一日中、泉・綾音と一緒にいられないでしょ? だから、愛人の方が良いかなって」

「……ち、ちなみに、モク先生の中の愛人って、どういう人を差すんですか?」

 話を聞く限り、泉でも知っている夫婦の成り立ちを知らないようなモクである。そんな医者に掛かっていたのかと思えば、よく無事だったと自分を褒めてやりたくなる心はさておき、ごくりと喉を鳴らしては返答を待つ。

「んーと……今みたいな感じかな? 家に行って、お話して、撫でたりして」

 言いつつ、泉の頭を「いい子いい子」と撫でるモク。

 とてもではないが、さらりと人殺しを告白する男のやることではなかった。為すがままに揺れる視界で、呆気に取られるばかりの泉は、殊更深い息を吐き出し、

「……もう一つ尋ねたいんですけど、私が嫌って言ったら?」

「え…………」

 撫でる手はそのままに、ショックを受けた様子がモクから伝わってきた。

 良いかと問いはしても、断られる場合は考えていなかったらしい。

 ――まあ、これからも、奇人街に居る間はお世話になる人だろう。

 前提に負傷する自分という項目があるため、手放しで歓迎できる相手ではない。

 かといって、今までの経験上、安心安全な未来などあり得るはずがない。と同時に、易くすっぱり終われる、そんな想像もできなかった。致命傷にならない、その直前で苦痛を強いられる、嫌な明日だけが脳裏を横切る。

 なんともなしに感じる気疲れで、泉は目を閉じてため息を一つ。

「どうぞ、お好きなように」

「わーい」

 途端、モクの両手が上げられた。

 あまりに幼い様子を受け、驚きつつも苦笑を示す泉。

 しかし、それも長くは続かない。

「じゃ、帰るね」

「へ?」

「店主、今までの診察料」

 コロッと打って変わった態度で、席を立ったモクがワーズへ手を出した。

「んー? 泉嬢の愛人なのに、金を取るのかい?」

「ソレとコレとは話が別。公私は混同しちゃいけないんだよ?」

 蔑む混沌の視線に、誰かの言葉を受け売りしたような返答が為される。

 しばらく、何も言わない二人の男。

 妙な緊張を泉が感じ始めたなら、ワーズの方が面倒臭そうに折れた。

「分かった。いつも通り、店の商品、適当なのを持って行け」

「うん、毎度。じゃ、泉・綾音、またね?」

「はあ……はい」

 片手を上げ、店側へ向かう背を見送る。あとはひたすら、好き勝手に物色するモクだが、決して料金以上の品は取らないそうで。

 証拠に、

「……ちっ。アレはどうして分別があるんだろうねぇ? 余分に取れば、猫が脅しに行くだろうに」

 奇人街最強と謳われる猫は、ワーズの飼いネコではないが、芥屋の猫と称されており、店に対する不正を爪一枚すら許さない厳格さがあった。

 そんな猫の目に留まらないのだから、強奪上等の住人にしては珍しい慎ましさを、あれでもモクは持ち合わせているらしい。

 別段、責められる謂われはないはずだが。

「ワーズさん……」

 見上げれば茶を手に、へらり笑ったまま、ぶつくさ愚痴るワーズ。

 近くにいるだけで高鳴る胸とは別に呆れたなら、今までモクが座っていた椅子をソファまで足で引き寄せ腰を下ろす。

 そうして泉に向き直ったワーズは、そっと泉の唇へカップを宛がい、

「はい。お茶だよ、泉嬢。人肌まで冷ましたけど、熱かったら言うんだよ?」

「ふぁ、ふぁい」

 飲まない選択肢はないのかと思いつつ、赤らめた頬で、傾きに注がれる茶を口にする泉。口の端から零れる手前で幾度も止まる茶の流れに、泉は全ての感覚をワーズに獲られた錯覚を起こす。

「ん……ふ、あ…………はあぁ……」

 茶の一杯すらままならない身体に、不自由よりも強い至福が染み渡る。

 まだ物色を続けているモクの存在をすっかり忘れた泉は、目の前で笑う男と似た、安堵を招く薫りの茶に酔いしれた。

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