第二幕 愛を食む

2-1 子狐商店街

 あれだけ怯えていたわりに、ガキはすぐさま打ち解けた。小さいわりに肝が座っているのか、鈍感なのか。どっちにしろ、意外と素質はあるのかもしれない。

 初めてできた後輩にマーゴは興味津々であれこれと世話を焼く。それを愛子は微笑ましく見守り、日頃は顔を見せない奴らも久しぶりの新入りを眺めに現れる。

 気づけば輪の中心になったガキは嬉しそうでもあり、落ち着かなさそうでもあった。なにかを探すようにあたりを見回して、俺と目が合う。するとガキは安心したように笑うのである。ここで一番気を許してはいけない相手が誰だが分かっていないらしい。

 なんて危機感のないガキだと俺は舌打ちした。それでも、その場を離れる気にはなれなかった。



※※※



 小狐商店街。そう書かれたアーチ型の看板を千春は見上げた。

 初めて訪れたはずなのに妙に懐かしい空気が漂う商店街だ。アーチをくぐって中に入る人は期待に胸膨らませ、出てくる人は満足げな顔をして帰っていく。

 中から食欲をそそる匂いが漂ってきて、千春のお腹がきゅーと鳴る。それに構わずキラキラした目で商店街を見つめていると隣に並んだ瀬川が嬉しそうな顔をした。


 見慣れた制服とは違い、私服の瀬川はいつもと違って見える。性格からみいって明るい色を好みそうなのに、大人っぽい落ち着いた色合いにまとめている。小物使いもおしゃれで千春はひそかに感心した。


「いろんな屋台が出てるんだって」


 いつのまにか瀬川の手にはパンフレットが握られている。小狐商店街とかかれた半被を来た人たちが配っているようだ。

 瀬川が広げたそれを覗きこむと、様々な食べ物の屋台が出ていることがわかる。たこ焼きに焼きそばなど、屋台としては定番のものから聞いたことがない名前のものまで。どんな食べ物なのだろうと想像するだけでよだれが出てくる。


 もっとよく見ようと瀬川に近づくとその体が硬直した。一度関係がリセットしたとはいえそれなりに仲良くなったと思うのだが、不快だっただろうかと見上げれば赤い顔が目に入る。


「顔赤いけど、大丈夫?」

「だだだ、大丈夫!!」


 まったく大丈夫ではなさそうな裏返った声で返事をされた。体調が悪いのに無理をしているのであれば今日はやめにしようか。そう考えていると後ろから呆れた声がした。


「拓実……よくそれで二人で出掛けようと思ったよね」


 半眼で瀬川を睨んでいるのは千波。こちらも見慣れたセーラー服ではなくTシャツにショートパンツ姿。シンプルでもかっこよく見える装いに、千春は自身の服装をみる。両親から可愛いと太鼓判をおされた桃色のワンピースはどことなく子供っぽく見えた。


「なんだよ! 無理やりついてきといて、文句言うなよ!」


 赤い顔のまま瀬川が大声を出す。周囲の視線が集まるがそれに気づいていないようだ。その姿に千波がため息をついた。


 瀬川に商店街に誘われたのは数日前のこと。様々な屋台を集めた催しがあると聞けば千春が行くと即決するのは当然と言えた。わざわざ誘ってくれた瀬川には感謝しかない。関係を回復してよかったと心から思った。

 

 最初は瀬川と二人で出かける予定だったのだが、集合場所には千波の姿があった。いわく、二人だけでは心配だったらしい。

 それほど自分はか弱く見えるだろうかと考える千春の横で瀬川は不満をあらわにしていた。瀬川と千波は気心知れた幼なじみなのに不思議なものである。千春としては人数が多い方が嬉しいので千波がいてくれた方がいい。それを伝えるとなぜか瀬川は肩を落としていた。瀬川の反応は時々よく分からない。


「騒いでないで早く行こう。遅くなったら藤堂さんの親、心配するでしょ」


 千波はそういうとスタスタとアーチに向かう。瀬川は未だ不満そうにブツブツ言っていたが、諦めたようにため息をついて歩きだした。その背を千春も追う。


「藤堂さんは小狐商店街に来るの、初めてだよね」


 アーチをくぐってすぐに瀬川が振り返る。気持ちを入れ替えたのか不満の色はない。千春がうなずくと瀬川は嬉しそうな顔をした。よくわからずに首を傾げると誇らしげに胸を張る。


「小さい頃から何度も来てるから詳しいんだ! 何でも聞いて」

「それなら私も詳しいけどね」


 千波の一言に瀬川が眉を寄せる。不満そうに千波を見つめるが千波は無表情で遠くを見つめていた。


「友ちゃんに言われる前にいうけど、この商店街にはちょっと変わったルールがあるんだ」

「ルール?」

「あそこに祠が見えるでしょ」


 瀬川が指さした方向を見ると小さな祠と鳥居が目に入った。ちょうど祠に手を合わせる親子連れの姿がある。慣れた様子を見るに、商店街に訪れたら祠に挨拶する決まりらしい。


「小狐商店街の小狐っていうのは、あそこの祠に祀られている神様の名前をお借りしてるんだって」


 瀬川の説明に千春は祠をじっと見つめた。祠も鳥居もきれいな赤色で、お供物を置くように置かれた台の上には花や食べ物などが並んでいる。油揚げが多く見えるのは狐の神様だからだろう。


「子狐ってことは子供の神様なの?」

 千春の問いに瀬川が固まった。困った顔で視線を泳がせる。


「小狐様はお狐様、あの山にいるっていう土地神の娘なんだってさ。だからお狐様と区別するために小狐様って呼ばれてるの。外見も私達くらいだって伝わってる」


 千春の問いに答えてくれたのは千波だった。あの山といって指差したのは、この辺りに住む人だったら知らない人はいない山である。しかしお狐様という神様がいる場所というよりは、国内でも有名な名門校が立っている場所として知られている。


「あそこって黒天学園がある場所だよね」


 ここからでも見える白い外壁を見つめて瀬川が目を丸くした。

 山の頂上には黒天学園という学校が建っている。才能をもった子どもたちを全国から集めており、卒業出来れば華々しい未来が約束されていると言われている学校だ。倍率は恐ろしいほど高く、千春のような一般人からすれば目指すことすらためらう。


「お狐様っていうのは子供好きな神様で、子供を守ってくれるって言い伝えがあるの。だから在学する子どもたちを守ってくれるようにってあの場所に学校を建てたんだって。お狐様の祠は黒天学園内にあるって話」

「そうなんだ」


 感心したようにつぶやく瀬川に千波はニヤリと笑う。


「拓実、商店街のことは詳しいんじゃなかったの」

「お狐様に関しては商店街のことじゃないし……」

「商店街を守っている小狐様の母親の話よ? 全くの無関係でもないでしょ」


 意地悪く笑う千波に瀬川の表情が険しくなる。千波はそんな瀬川を楽しげに見つめていた。


「藤堂さんにいいところ見せようとしたのに、残念ねー」

「友ちゃん、うるさい!!」


 言い合う瀬川と千波を千春は微笑ましく見守った。一人っ子で幼馴染みもいなかった千春にとって二人の関係は羨ましい。できることならずっと眺めていたいが、場所が悪った。

 アーチをくぐってすぐの出入り口付近だ。当然人通りも多い。騒ぐ中学生というのは印象もよくない。周囲から迷惑そうな視線も集まってきた。


「お参りしよう」


 言葉で止められる自信がなかった千春は二人の手を強引に引っ張った。やっと状況に気づいた二人が気まずそうな顔で黙り込む。

 そそくさと三人で参拝を済ませた。手を合わせた瞬間、チリンと鈴の音が響いた気がしたが周囲を見回してもそれらしいものは見つからない。首を傾げつつ千春は先に参拝を済ませた瀬川と千波の後を追った。


「どこからまわる?」


 邪魔にならないよう隅の方に移動して三人でパンフレットを覗き込む。何度見ても美味しそうな食べ物の名前と写真が並んでいる。この中から選ぶなんて千春には到底不可能だった。


「端から全部食べよう」

「……藤堂さんなら出来るだろうけど……」


 両手を握りしめ、気合い十分な千春と違って二人は気乗りしなさそうだった。千春の胃袋に付き合わせる気は元々なかったが、端から全てとなれば時間もかかる。無茶であったかと肩を落とした。


「藤堂さんが食べたいなら、俺付き合うよ!」


 落ち込んだ千春を見かねてか瀬川が拳を握りしめて宣言した。千波がなんとも言えない顔でそれを見つめている。


「藤堂さんが買うのに私達が付き合って買う必要もないし、私達は私達で食べられる分買おう。飲食スペースあるみたいだし」


 千波はそういってパンフレットの一点を指さす。商店街の地図にはたしかに飲食スペースと書かれた場所がある。


「とりあえず飲食スペース目指して、その後のことはその後考えよう」

「……なんで友ちゃんが仕切ってるの……」

「なに、不満があるの」

「私は千波さんの案がいいと思う」


 にらみ合いを始めそうだった二人に声をかければ、瀬川はムッとし千波は勝ち誇った顔をする。


「友ちゃん嫌い……」

「……私もあんたみたいなお子様嫌いだから」


 再び言い合いを始めそうになった二人を慌てて止めた。仲が良いことは良いことだが、仲が良すぎて衝突も多いらしい。幼馴染みだからこその距離の近さが原因だろうかと千春は首を傾げた。


 喧嘩しないようにと二人と手を繋ぐ。瀬川がビクリと体を震わせて、千波が驚いた顔をした。それにもかまわずに手を引いて一番近い屋台へとすすむ。近づくごとにいい匂いが漂ってきて、千春の足は自然と早足になる。

 屋台に夢中な千春は、手を引かれた瀬川と千波が顔を見合わせて苦笑していたことに気づかなかった。

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