5-2 メモリア

 千春は真っ白い建物を見上げて、ぎゅっと両手を握りしめた。前に訪れた時は懐かしくて、嬉しくて、衝動のままに動いてしまったが、今は緊張が体を支配する。深呼吸し、心を落ち着けてから門をくぐり、玄関のチャイムを押した。間延びしたインターホンの音が落ち着かない。早く誰か出てきてほしいとそわそわしてしまう。

 時間でいえば数分。体感ではもっと長く感じた待ち時間の後、玄関が開いて愛子が顔を出した。


「いらっしゃい」


 事情はマーゴから聞いているのだろう。前と比べてスムーズに中に通される。愛子に用意してもらったスリッパを履いて廊下を進む。

 あっという間に短い廊下は終わり、突き当りのドアにたどり着いた。愛子がドアノブに手をかけて開ける。途端に広がる視界。前に来たときと同じく、見晴らしの良い、広々としたリビングが目に飛び込んできた。


「マーゴくん、千春ちゃん来たわよ」


 中に入るとソファに座ったマーゴが目に入る。上機嫌に笑いながら、手をぶんぶんとふる。その姿は尻尾をふる犬のようだった。

 

「いらっしゃーい、千春ちゃん!」

「お邪魔します」


 そういいながら部屋の中を見渡して、マーゴの隣に知らない少女が座っていることに気づく。見た目は高校生ぐらい。明るい茶髪の一部をピンクに染めた、おしゃれな少女だ。

 

「この子がクティさんと、トキア様のお気に入り?」


 巻いた髪を手でクルクルと弄りながら、興味深げに少女は千春を見つめている。猫みたいにつり上がった目と上がった睫、しっかり描かれたアイライン。ラメ入りのキラキラした化粧がよく似合っており、愛子とは違う方向で大人びて見えた。


「えっと、あなたは」

「メモリア。メモちゃんでもリアちゃんでも、どっちでもいいよぉ〜」


 そういいながらソファから立ち上がったメモリアの服装は、一言で言えば女子高生。手が隠れるぶかぶかサイズのカーディガン、下着が見えそうな短いスカート、ルーズソックス。もっているスマートフォンには、これでもかとばかりにキーホルダーがついており、本体よりも存在を主張している。

 前に流行った、女子高生という存在を体現したような姿に、千春の目は丸くなる。


「女子高生だ……」

「そうなの、メモちゃんは女子高生。よろ〜」

「学校なんて通ったことないのに、面白いよね」

「うるさい、マーゴ」


 ウィンクしながらピースしていたメモリアが、急に真顔で低い声をだす。そのギャップに千春は目を瞬かせた。


「変な子しかいないと思ってるでしょ」


 いつの間にか飲み物を持ってきた愛子が、苦笑いを浮かべた。千春に座るようにうながしながら、テーブルの上にコップを並べる。千春とマーゴの前に置かれたのはオレンジジュースだったが、愛子とメモリアの前に置かれたのはコーヒー。

 見た目が幼い愛子と、女子高生のメモリアがコーヒーで、見た目だけなら大学生のマーゴがオレンジジュースなのがあべこべに見える。


「変な子ってしつれー。メモちゃんはこんなに可愛いのにぃ」


 愛子が千春の隣に座ったのを見ながら、メモリアは不満そうな声を上げた。愛子は特に反応せずに聞き流している。


「可愛くて変」

「マーゴ?」


 笑顔でメモリアが握りしめた拳を掲げる。マーゴは叱られた子犬みたいな顔をして、メモリアから少し距離をとった。といっても同じソファに座っているので、とれる距離なんて微々たるものだ。


「仲良しなんですね」

「でしょー! メモちゃんからするとマーゴは弟分! 姉を敬え!」

「うちの姉、みんな怖い……」


 マグカップをビールジョッキのように掲げて笑うメモリアの横で、マーゴが小さくなっている。変食さんの中でのマーゴの立ち位置がよく分かる。


「怖くて結構。優しい、弱い子なんてすぐ死んじゃうんだから。クティさんみてればよく分かるでしょ。私たちは人間じゃないんだから、怖くて強いが正しいあり方」


 メモリアは急に声のトーンを落とすとコーヒーを口に運び、静かにテーブルに置いた。その一連の動作から千春は目をそらすことが出来ない。


「それで、そのこわーいクティさんに恐れ多くも惚れちゃった、可哀想な子羊ちゃんがこの子ってことでいいの?」


 メモリアは足と腕を組み千春を見つめる。桃色に染まった唇は、笑みの形を作っているけれど、目は笑ってない。


「トキア様も関わってるっていうし、純粋そうな見た目してなかなかやるぅ〜。参考までにどうやって誑し込んだの? トキア様はよく知らないけど、クティさんなんて警戒心の塊でしょ。メモちゃんなんて、何回袖にされたことか……」


 メモリアはわざとらしく、長いカーディガンの袖で目を覆ってみせた。しくしくという擬音が付きそうな姿に、マーゴが呆れて視線を向けた。


「本気じゃなかったくせによく言うよ。クティさん、遊ばれるの嫌いなの、よくわかってるくせに」

「だって勿体なくない? せっかくの美貌を使わないなんて! 私達の顔は好かれるためにこの形になったんだから、使わなきゃ損!」


 話についていけず、隣に座った愛子に視線を向ける。愛子は額に手を当ててため息をついていた。


「メモリア……もうちょっと真面目に。クティさんがいつ帰って来るか分からないんだから」


 愛子の言葉にメモリアは面倒くさそうな顔をして、鬱陶しそうに手をひらひらとふった。飾り付けられた指先が動くたびに照明でキラキラ光る。


「はい、はい。わかりましたー。メモちゃんも忙しいし、さっさと本題はいりまーす」


 メモリアはそういうと、急に身を乗り出して千春の目を覗き込んだ。先程までの陽気な雰囲気から一転、怖いくらい真剣な顔が目の前にある。

 思わず千春は息を止めた。これだけ至近距離で見つめているのだから、メモリアにも千春の緊張は伝わっているだろう。しかしメモリアはお構いなしに、ただじっと千春の瞳を覗き込んでいる。


「うーん……浅いところには残ってない」


 やがて身を引きながらメモリアはそういった。距離が離れたことに安心して、千春は深呼吸する。


「浅いところって?」

「記憶って層みたいになってるの。よく使う記憶は取り出しやすい浅いところにあって、あんまり使わない記憶、思い出したくない記憶は深いところにあるの」


 メモリアはそういいながら、コーヒーを口にした。


「君は既視感みたいなのが残ってるんでしょ? 浅いところの記憶は消えちゃってるけど、深いところの記憶は断片的に残ってるんじゃないかな」

「それってどうやったら思い出せるんですか!」


 今度は千春が身を乗り出す番だった。顔を近づけられたメモリアが、驚いた様子で目を瞬かせる。それからニヤリと口角を上げた。


「必死でうけるぅ〜。でもメモちゃん、必死な子、すき〜」


 そういいながら、千春の頭をよしよしとなでた。そのなで方が優しくて千春は戸惑う。楽しげに緩んだ瞳は先程に比べると、千春に対する好意をにじませていた。


「可愛いふりして年上たらしこむぅ、悪女なのかと思ったらぁ、思ったより可愛いね〜。メモちゃんの妹になるぅ?」

「クティさんをたらしこめるなら、悪女にだってなりますけど……」


 千春がいくら頑張ってもクティには通じない気がする。そもそも誑し込むとは? 悪女にはどうなったらなれるのだろうか。

 真剣に考え始めた千春の耳に、メモリアの笑い声が響いた。見れば目に涙を浮かべながら笑っている。


「えーちょっとこの子、面白いんだけど〜。さらっと私の妹にならないか発言無視られたしぃ。マーゴも愛子も、こんな面白い子いるなら早く言って」

「ボクは早く帰ってきて、って言ったよね」


 マーゴが不服そうに唇をとがらせている。メモリアは「そうだっけぇ?」とわざとらしく首を傾げてみせた。


「なにはともあれ、メモちゃんが帰ってきたんだからぁ、もー大丈夫。記憶のことならメモちゃんにお任せあれ〜」


 そういって胸を叩いたメモリアはニヤリと笑う。その表情が頼もしくて、千春の胸は期待で高鳴った。

 

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