5-3 愛の言葉

「ようは、ニム姉と一緒にトキア様のところにいってぇ、君の記憶を掘り出せばいいわけね〜」

「掘り出す?」


 トキアと一緒にスコップで穴を掘る姿を想像して、違うなとすぐに否定した。そういう物理的な話ではないだろう。

 首をかしげる千春を見て、メモリアは噛み砕いて説明してくれる。


「浅いところにある記憶は取り出しやすいけど、消えやすくもあるわけ~。生きるために必要な記憶ってやつね。人とか物の名前とか~、道具の使い方とか」

「じゃあ、深いところにあるのは?」

「人間の根っこ」


 マーゴの問いにメモリアは神妙な顔で答えた。


「忘れられない記憶ってあるでしょ。マーゴの場合は、幽霊を食べたときの空腹感とか」

「あれは忘れられないねえ」


 マーゴはそういって自分のお腹を撫でる。愛子もなにか覚えがあるのか、表情が険しい。


「もし、マーゴが空腹感を忘れたら、今のマーゴとは違う性格になってると思わない?」

「今ほどご飯に執着してなかったかも」


 あっけらかんとマーゴは答えたが、重要なことに思えた。


「そういう記憶は浅いところに出てこないから、忘れてる気になってるだけー。どっかには残ってるの。刻み込まれてるっていってもいいかもー。そういうのは私もなかなか消せない。魂に干渉するようなものだから、失敗すると廃人になっちゃうし」


 肩をすくめて、さらりとメモリアは告げた。恐ろしい話だ。その気になれば意識的に廃人を作れる。そう言っているようなものである。


「だからぁ、君の記憶も浅いところを消しただけだと思う」

「じゃあ、私の記憶は完全に消えたわけじゃないんですね!」


 希望が見えて声のトーンがあがる。しかしメモリアの表情は神妙なままだった。


「先に言っとくけどぉ、残ってるからって思い出せるとは限らないわけ。魂に結びついてるような記憶を無理やり引っ張り出すのは、ちょ~危険。廃人にはなりたくないでしょー?」


 千春はブンブンと首を大きく縦に振る。千春の目的はクティに避けられている原因を知ることだ。そしてクティと一緒にいることだ。廃人になったらクティと一緒になんていられない。


「じゃあ掘り出すってどうするの?」


 黙って聞いていた愛子が眉を寄せた。メモリアの話をまとめると、失われた記憶を思い出す手段はないように思える。


「普通にやったらリスクが激ヤバ。だからニム姉なんだと思う。さっすがトキア様。頭いいよね〜」

「どういうこと?」


 メモリアは一人納得した様子で笑っているが、千春には分からない。マーゴも同じだったらしく、眉を寄せながら問いかけた。


「夢っていうのは全てが曖昧〜。時間も場所も魂だってぇ。寝ている人間は無防備だからぁ、起きている時より深いところを覗き込みやすいってわけ」


 メモリアはそういうとニヤリと笑う。小悪魔のような表情はメモリアの容姿によく似合っていて、クティとはまた違う、大人の危険な香りがする。千春はゴクリとツバを飲み込んでメモリアを凝視した。


「夢は科学的にいうと記憶の整理らしいねぇ。私はバカだからぁ、難しいはよくわかんないけど、人間の奥深くにある記憶と結びついてるのは確か。寝てる人間の方が記憶読みやすいし、食べやすいからぁ」


 メモリアはペロリと自分の唇を舐めた。味を思い出すような恍惚とした表情が、アモルやマーゴと重なる。メモリアも間違いなく変食さんなのだ。


「君の話によるとぉ、トキア様は夢の中に自分の楽園を作ってるみたいねぇ。トキア様が支配する場所ならぁ、トキア様にとって有利に物事は進むしぃ。そこに夢の中なら最強なニム姉と、記憶の専門家の私が加わったら、勝ち確なわけ。失敗なんてありえな〜い」


 メモリアはウィンクしながらピースサインをした。その仕草がやけに可愛く見えて、今度クティにやってみようかと千春は考える。


「でも、君は本当にそれでいいの?」


 クティの反応を想像していた千春は、メモリアの真剣な声に意識を浮上させた。声に導かれるように視線を向ければ、メモリアはじっと千春の顔を見つめている。


「クティさんが君にやり直すチャンスを与えたのは、私たちとは関わらない方が君のためだと思ったから。その意見に賛同したから、その世界にいた私も君の記憶を消したんだと思う。私、こー見えて頑固だから、納得いかないことなんて絶対にやらない」


 陽気な、間延びした口調を消し去って、メモリアはじっと千春を見つめる。見開かれた目から、隠した牙が透けて見えた。


「思い出してみたら思ったよりしんどかったから、思い出した記憶をまた消して。なんて私は許さない。トキア様案件だから、急遽予定変更して、こっちは帰ってきたわけ。その結果が無駄足とかマジ意味わかんない。だから許さない」


 メモリアはそこで言葉を句切って、千春を睨み付けた。


「なにより、クティさんにここまで気をつかわせておいて、それを無にするのが許せない。生半可な気持ちなら今すぐ忘れて家に帰って。今後一切私たちには関わらないで。クティさんのことは忘れな」

「無理です」


 考える間もなく言葉が飛び出していた。驚きで目を見開くメモリアを今度は千春が睨み付けた。


「クティさんがいないとお腹がすくんです。クティさんがいないと、私はきっとダメなんです。何でなのか分からないけど。この感情がなんなのか分からないけど、ダメだって気持ちだけはずっとある。クティさんはそのうち落ち着くって言ってたけど、もうダメなんです。クティさんに会ってしまったから。もう遅いんです」


 あの日、あの駅で、クティに会わなければ、千春は忘れられたのかもしれない。何かを忘れているような喪失感も、せき立てられるような空腹感も、時間の経過とともに薄れていって、クティの望むような普通の子供になれたのかもしれない。

 けれど、千春は会ってしまったのだ。クティを見つけてしまったのだ。だからもう遅い。今度こそ捕まえなければと千春の中の何かが叫ぶ。これが魂に刻み込まれた記憶なのだとしたら、知らなければ千春はもう生きられない。


「お腹がすくか……」

 メモリアはまぶしいものを見るような目で千春を見て、それから苦笑を浮かべた。


「私たちには最高の口説き文句じゃん。いいなぁ、クティさん。そんなこと言ってくれる子に出会えてぇ」

「逆にいえば、ここまで言ってくれる子を突き放してるの? すごくない?」

「鋼の精神力」


 メモリアの呟きに対して、マーゴと愛子がしみじみと言葉を続ける。独り言のような彼らの言葉に千春は目を瞬かせた。


「……今の口説き文句なんですか?」

「ものすごい口説き文句。同じ墓に入りたいとか、君の一生を俺にくれ。くらいの口説き文句」


 マーゴとメモリアが言ったなら冗談だと思えたが、答えたのは愛子だ。どこか落ち着かなさそうな雰囲気から言って、変食さんにとってはかなり恥ずかしい言葉のようだ。


「私たちは食べなきゃ生きられないし、人間みたいに子孫を残すことも出来ない。だから、みんな食べることに執着する。食べることが私達の存在理由。全ての思考や行動が食べることに繋がってる」


 メモリアはテーブルの上に置かれたマグカップのふちをなぞりながら、淡々とそう告げた。紙に書かれた文章を読み上げるような平坦な声が、妙に耳に残る。


「どんなに沢山のご飯があろうと、それがどれほど美味しかろうと、貴方がいなければ私の心は満たされない。貴方だけが私の空腹を満たすことが出来る」


 そういう意味よと、視線で告げられて、千春の顔は一拍おかれて真っ赤になった。顔だけじゃなくて全身熱い気がする。


「熱烈~。子供なのにませてるぅ」

「前は成人してたんじゃない?」

「前成人してたとしても、クティさんからすれば子供、下手すると赤子」

「やっぱクティさん、ロリコン……」


 好き勝手に騒ぐ三人に、千春は何も言い返すことが出来なかった。


「……わ、わたし、一度クティさんに、クティさんがいないとお腹がすくって……いっちゃったんですけど……」


 か細い声でそう告げると、小鳥のように鳴いていた三人がピタリと口を閉じ、同時に顔を見合わせる。


「知らなかった……クティさん、本命には奥手タイプだったんだ……」

「いや、相手にしてないパターンも」

「相手にしてない子にこんな面倒なことしないでしょ。うわ~、精神力、ヤバじゃない? 私だったら囲っちゃう~。嫌って言われても離さなぁ~い」


 再び始まった小鳥のさえずりに、千春は顔を上げることが出来なかった。代わりに一気に乾いた喉を潤すため、オレンジジュースを一気飲みした。

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