5-4 ニム
「君の気持ちはよぉーく分かった。こんだけ健気に思われてて、逃げ回ってるクティさんはちょっとありえないしぃ、メモちゃんは全面的に味方したげる~」
向かいに座っていたメモリアが立ち上がり、千春の首に両腕を回して抱きつく。よしよしと頭を撫でられて、先程のこともあり千春は気恥ずかしさに身じろぎした。
「それじゃ、さっそくニム姉のところいこっかぁ。クティさんがいつ乗り込んでくるか分かんないしー」
撫でるのをやめたメモリアは、今度は千春の手を取って立ち上がらせた。千春は手を引かれるままについていく。向かう先はクティの隣の部屋。
「ボクもついてっていい?」
「だめー。ついてきてもマーゴじゃ何もできないし、人数増えたらニム姉だって大変だしぃ」
振り返ると眉を寄せるマーゴの姿が見えた。メモリアの言葉に納得しているけど、不満はあるという顔だ。
「千春さん、ご武運を」
ソファに座ったまま、愛子はまっすぐに千春を見つめる。少ない言葉に様々な感情が乗っているのが分かって、千春はただ頷く。声を出したら預けられた想いが、こぼれてしまいそうな気がした。
「ちゃんと帰ってきてね」
不安そうな顔のマーゴに、千春は返事ができなかった。なぜだか分からないが、これがマーゴを見る最後になるような気がして、じっとマーゴを見つめてから視線をそらす。
頷かなかったことに、きっとマーゴは気づいている。それでも何も言わなかったのは、千春の決意を受け止めてくれたのだろう。
「大丈夫! きっと上手くいくよ! メモちゃんがいるんだから!」
メモリアがそういって千春の背を思いっきり叩いた。痛みによろめき、千春は前へと進む。すでにメモリアによって開かれていたドアから、ニムの部屋へと足を踏み入れた。
ぱたんと、ドアが閉じる音が聞こえた。ドアから差し込んでいた光が消えると、ニムの部屋は暗い。部屋の真ん中に天蓋付きの大きなベッドがあり、ベッドを囲むように淡い光を放つライトが置かれている。好みのものを目に付くままにかき集めたようで、形も大きさも光もバラバラだ。
その中をメモリアに手を引かれたままに進む。すぐにたどり着いたベッドに眠っているのは、黒髪の女性。長い髪が白いベッドに広がり、淡いライトに照らされるさまは幻想的だ。
見惚れる千春の横で、メモリアは眠っている女性に遠慮なく手を伸ばした。ずっと寝ているからだろう、不健康なまでに細く白い肩を揺すりながら声を掛ける。
「ニム姉、起きて。用事があるの」
しばし声をかけながらそうしていたが、女性の反応はない。全く動かない様子に、死んでいるのではないかという不安が千春の胸を支配した。
「メモリアさん、この人……」
「うーん、いつもだったらそろそろ起きるんだけどぉ。変だなぁ」
不安のあまりメモリアの服をつかむが、メモリアは軽い調子で「困ったな〜」とつぶやいている。その様子を見て、これはいつものことなのだと気づいた。
「ずっと、眠ってるんですか?」
「死んでるみたいに見えるでしょ。大丈夫、ちゃんと生きてるよ」
メモリアはそういって笑うと千春の手を取り、メモリアの胸、心臓の上へ千春の手をのせた。想定外の柔らかさに千春は身を硬くする。千春の体は発展途上、あくまで発展途上なので、女性らしい柔らかさは母親しかしらない。同性とはいえ他人の胸に触る機会などないので、妙にドキドキした。
「ほら、ちゃんと動いて……」
メモリアが最後まで言う前に、体が引っ張られる感覚がした。メモリアが目を見開いているのが、視界の隅にうつる。
女性の胸の上に置いた千春と、メモリアの手が沈んでいる。クティが森田を連れていった黒い穴を思い出した。吸い込まれると思った瞬間には千春の体は宙に浮き、なぞの黒い穴の中に飛び込んでいた。
体がグイグイと引っ張られ、暗い中を進んでいく。やがて周囲はだんだん明るくなった。地面に足がつく感覚がすると、光に包まれていた世界が一気に広がる。
目の前にあったのは暗いニムの部屋ではなく、日差しが降り注ぐ庭園。晴れ渡る空の下にバラのアーチが点々と並んでいる。太陽光を浴びて輝く色とりどりのバラたちは瑞々しく、バラの香りが心地よい風と共に鼻腔をくすぐる。
フローリングの床は気づけば石畳に変わっていた。左右を見れば噴水にベンチ、バラ以外の、名前を知らない花たちが花壇に咲き乱れている。
美しすぎる光景に目を奪われ、しばし千春は状況も忘れ見惚れた。正気に戻ったのは、メモリアにぎゅっと手を握りしめられたからだ。
未知の空間に連れてこられた。そう気づいた千春は、隣に立つメモリアを見上げた。メモリアは明るい表情を消し去って、周囲の様子をうかがっている。その姿は野生動物のようで、リビングで見かけた陽気な女子高生の姿は消え去っていた。
「ここ、どこですか?」
「……わかんない」
千春の問いにメモリアが硬い声で答えた。千春の手を握る力は強く、警戒しているようだった。
無理もない。気づけば見覚えのない場所。いくらバラが綺麗でも、知らない場所であることは変わりない。
それなのに千春には全く警戒心がわかなかった。それを疑問に思い、千春は首を傾げる。こんなことが前にもあった気がする。
「千春ちゃーん! そんなとこにいないで、こっちおいでー」
アーチが続く先から少年の声が聞こえた。少年にしては高く中性的な声だが、千春は少年だと確信がもてた。一度聞いただけなのに耳に残る声は、間違いなくトキアのものだ。
「メモリアさん、行きましょう。あっちにトキアさんがいます」
ぐいぐいと手を引いて千春は動き出す。メモリアは戸惑った様子だったが黙ってついてきた。しかし、足取りは重い。初めて連れてこられた場所に警戒する猫のように、キョロキョロと辺りを見回している。
きっとこれが正しい反応なのだ。自分はどこかズレている。そう千春は改めて自覚したが、足を止める気にはなれなかった。
この先に進まなければ、自分の欲しいものは手に入らない。そう強く思ったのだ。
アーチを抜けた先にあったのは白いテーブルと、白い椅子。テーブルの中央にはケーキスタンドが置かれ、可愛らしいお菓子が並んでいる。それを囲んで優雅にティーカップを傾けているのはトキアで、向いに座っているのは、ベッドで眠っていたニムだった。
「ニム姉!」
メモリアが感極まった様子で叫ぶ。見知らぬ土地で知り合いを見つけたような安堵の声と表情を浮かべ、千春の手を引きながら近づいていく。
ニムは黄緑色のドレスに身を包んでいた。長い黒髪は綺麗に編み込まれ、花があしらわれた髪留めでまとめている。
太陽の下で見るニムは、ベッドで見た時よりも健康的に見える。ただし、寝ているときと同様に瞳はしっかり閉じられており、一見すると座ったまま寝ているようだった。
しかしニムは、メモリアの問いかけにしっかりと反応して顔を動かす。目は閉じられたままなのに、見えているかのように迷いのない動きだった。
「メモリア、千春ちゃん。いっしゃい」
「ようこそ、僕のお茶会へ」
ニムに続いてトキアが明るい声上げ、両手を広げた。
トキアも前に見た学生服ではなく、長い髪を白いリボンで結び、白いジャケットに紺色のベストを身に着けている。あまりに似合いすぎて、異国のお茶会に迷い込んだような違和感があった。
「とりあえず座りなよ。二人のためにお菓子と紅茶用意したんだから」
そういってトキアがパチンと指を鳴らすと、どこからともなく白い椅子が現れた。メモリアが目を見開き、すぐさま警戒した様子で眉を寄せる。恐る恐るといった様子でニムの隣に現れた椅子に座ったので、千春はトキアに近い方に腰掛けた。
「うわー、すごい、警戒されてるー」
「仕方ないわ。ここはトキアくんの世界。トキアくんのお腹の中といってもいい。私達みたいな存在にとって、居心地は最悪よ」
そう言いながらニムは紅茶を優雅に口に運んだ。言っていることと行動が伴わなさすぎて、嘘なのか冗談なのか判断がつかない。トキアは気にした様子もなく「ひどーい」とケラケラ笑っていた。
「つまり、ここは夢の中なんですか?」
千春の問いにトキアはにっこり笑って頷いた。
「……説明もなく、いきなり引きずり込むなんて……ニム姉、いくらなんでも強引すぎない?」
メモリアが両手でティーカップを持ち上げながら、恨めしげな顔でニムをにらみつけた。ニムは困った様子で眉を下げる。強引だったという自覚はあるようだ。
「ごめんね。あなたの時代の私は、千春ちゃんを知らないから。強引につれてくるしかなかったの」
「私を知らない……?」
逆に言えば、目の前のニムは千春を知っていることになる。千春がニムと会ったのは今日が初めてだ。
千春の戸惑いと期待に気づいたニムは、柔らかく微笑んだ。その笑みを、前にも千春はどこかで、見たことがある気がした。
「あなたは忘れても、私は覚えているわ。千春ちゃん。クティが愛した子」
その声があまりに優しくて、柔らかくて、千春はなぜだか泣きたくなった。
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