第五幕 記憶を噛み砕く
5-1 恋する女の子
分岐を消して縁は完全に切れた。もう会うことはない。会ってはいけない。俺と関わってアイツは幸せになれない。何度見てもアイツと俺が一緒にいられる未来はなかったのだから。これが正しい。
そう分かっているのに、戻った先にアイツはいないのだと思ったら、戻る気になれなかった。未練がましく留まっても、何もやる気になれない。マーゴあたりは、戻ってこない俺を気にしているかもしれないが、それでも戻る気になれなかった。
家でぼんやりしていると、急に変わった俺にマーゴが戸惑い、付き合いの長い愛子は何かを察したのか、神妙な顔をする。居心地が悪くなってとりあえず外に出たが、食事をする気にもならなくて、ただぼんやり人の波を眺めていた。
このまま空腹で死ぬのもいいかもなと、思い始めた頃、自分を呼ぶ声がした。よく知った声よりも高い。それでも間違いようがなかった。
視線を向ければ幼いアイツがいた。必死な顔でこちらへ走ってくる姿に、俺は混乱した。
記憶は消した。分岐も消した。全部なかったことにしたのだ。だから俺とお前が交わることはもうない。あってはいけない。
「……誰だお前」
絞り出した声は、自分でも嫌になるくらい冷たかった。
※※※
瀬川拓実は自分の部屋に戻るなり、ベッドに突っ伏した。顔から勢いよく倒れたので、いくら布団といえど少し痛い。それ以上に心が痛い。じわじわと目が熱くなって涙があふれる。なんとか堪らえようとしてもできなくて、拓実は枕に顔を押し付けた。
振られるだろうなとは思っていた。藤堂が見ていたのは自分ではなくクティだったから。でも、もしかしたら、という気持ちもあった。
分かっていたはずなのに、覚悟も決めていたはずなのに、全然足りなかったらしい。申し訳なさそうな顔で謝る藤堂の顔が頭に浮かんで、鼻がツンとする。どう返事をしたのか思い出せない。ショックを笑顔でごまかして、気にしていないふりをしたけれど、バレていただろう。
「かっこわる……」
枕を抱きしめ、涙で滲んだ瞳を押し付ける。
クティだったらもっとスマートにできたのだろうか。同性からみても憧れる整った顔立ち、モデルみたいにスラリとした体型、余裕のある言動を思い出して、拓実は唇を噛みしめた。
勝てるはずがない。分かっている。分かっているのに、初めての失恋に心がついてこない。
藤堂はクティを追うのだろう。人間じゃないと分かっても、恐ろしい人だと分かっても、自分に関わるなと距離をとられても。藤堂はクティを諦めない。拓実みたいにぐずくずしないで、離された距離だけ追いかけるのだろう。
強いなと思った。自分には無理だなと、今度こそ諦められた。
ふぅと息を吐き出したタイミングで、自室のドアが開いた。ノックもせず、遠慮なく部屋に入ってくる相手は限られている。妹と幼馴染の顔を思い浮かべ、妹の方がマシだと思った。妹は兄に対する遠慮も配慮もないが、藤堂のことを知らない。適当に誤魔化せばなんとかなるだろう。
しかし、友香は違う。
「バッサリ振られたみたいね」
淡々とした第一声が突き刺さる。顔を見なくたって、声と言葉で誰だか分かる。怒る気にもなれなくて、拒否の意味を込めて枕を抱きしめた。そのまま顔を上げず、くぐもった声で返事をする。
「ほっといて」
「分かってたでしょ」
またもや言葉が突き刺さり、拓実は枕を握りしめた。
友香はいつも正しい。迷わない。その姿を格好いいと思っていたのに、いつからだろう。友香が格好よければ格好いいほど、自分が格好悪く思えてきて、一緒にいるのが辛くなった。距離をとりたくても家は隣だし、家族は仲が良い。距離をとったら友香はもちろん、家族ぐるみで問いただされる。一緒にいると自分が格好悪く思えるから嫌なんて、言えるはずがなかった。
だけど、今はダメだ。いつもは飲み込んでいた言葉が暴れだす。拓海は顔をあげると友香を睨み付けた。
「俺は友ちゃんと違って格好よくない! 分かってるよ、そんなこと!」
分かってる。だからといって、どうすればいいのだ。自分が格好悪いことが分かったって、格好よくなる方法は分からない。クティのような格好良くもないし、大人でもない。背伸びして大人っぽい服を着てみても、藤堂と仲良くなるために沢山話かけ、出かけてみても、藤堂の視線はいつだってクティに向けられていた。拓実に向けられるものが、ただの友情なのは分かっていた。
それでも、好きになってしまったのだ。
「振られるって分かってたよ! クティって人は、俺と藤堂さんが付き合ってほしいと思ってたみたいだけど、無理だ。藤堂さんは俺なんか眼中にない。友達としか思ってない。それでも……それでもさ……」
ボロボロとみっともなく涙があふれた。何を言いたいのか自分でもよく分からない。けど何かを言いたくて、嗚咽で言いたいことが声にならなくて、言葉はまとまらなくて。本当に自分は格好悪いと嫌になるのに、涙は止まらない。乱暴に手でゴシゴシとこすっていると、呆れたような友香のため息が聞こえた。
「私、藤堂さんは趣味が悪いと思う」
予想外の言葉に、拓実は驚いて顔をあげる。涙で歪んだ視界に、腕を組み、不機嫌そうな顔で拓実を見下ろす友香の姿がうつった。目をパチパチと動かして、歪んだ視界が多少マシになっても、友香の表情は変わらない。てっきり大泣きする拓実に呆れていると思っていたので、不機嫌そうな顔も言葉の意味も分からない。
「クティって人、どう考えてもやばいでしょ。絶対に拓実の方がいい」
「えっ」
信じられない言葉に、耳を疑う。聞き間違いかと友香を凝視するが、友香は拓実を見ているようで見ていない。ぎゅっと眉を寄せて、見えない何かを睨み付けている。
「藤堂さんはずるい。小さくて、可愛くて、いくら食べても太らない。変わった所も天然っていえばチャームポイント。しかも元病弱の薄幸の美少女。なにそれ、設定盛りすぎ」
「えっと……、友ちゃん?」
一人で白熱し始めた友香に、拓実は混乱し始めた。藤堂と友香は仲がいいと思っていたのだが、そうじゃなかったのか。女の友情は儚いとか、仲よさそうに見えて実はそうじゃないとか聞くけど、友香はサバサバした性格だから嫌いな相手には嫌いとハッキリいう。藤堂のことだって嫌いではないと思っていたのに、実は違ったんだろうか。
混乱したまま、友香を見つめることしか出来ない。いつのまにか涙は引っ込んでるし、なんで泣いていたのかよく分からなくなってきた。藤堂に振られたことよりも、よく知った幼馴染みの様子がおかしいことの方が大事に思えた。
「藤堂さんはずるい。ずるいのに嫌いになれないところが一番ずるい。私だって可愛くなりたかった。男よりも格好いいって言われても嬉しくない。でも、それいったらキャラじゃないって言われるの! 知ってるんだから!」
「ちょっとまって、友ちゃん落ち着いて!」
どうどうと、暴れ馬をなだめるような気持ちで両手を動かす。友香は興奮で赤くなった顔で、拓実を睨み付けた。ちょっと目が潤んでいる。友香は感情が高ぶると涙が出てくるタイプだ。
「拓実だって女の子っぽい子の方が好きでしょ! 藤堂さんが好きなんだもんね! 私とは真逆! 小さくて可愛い!」
「そうだけど、今それ関係ある!? 友ちゃん落ち着いて! 言ってることがよく分からない!」
「落ち着けるわけないでしょうが!」
友香はそう怒鳴りつけると、大きく息を吸い込んだ。
「あんたは藤堂さんが好きなんだろうけど、私はあんたが好きなの!」
拓実の思考が完全に停止した。聞いた言葉が上手く頭に入ってこない。友香をなだめようとした状態のまま固まる。
いま、誰が誰を好きっていった? そう心の中で自分に問いかける。すぐさま拓実の脳は、先ほど聞いた言葉を思い起こさせた。
「友ちゃんが……俺のこと好き?」
「なに? 文句ある?」
低い声で睨み付けられた。文句あるなしで言えば、好きと言った相手にその態度はどうなんだとか、色々言いたいことはある。だけど、友香の顔が真っ赤なこと、今にも泣き出しそうなほどに瞳が潤んでいることに気づいてしまったら、嘘とか冗談という可能性が消し飛んだ。
物心ついた頃から一緒だったのだ。友香が嘘をつかないことをよく知っている。嫌なことはハッキリ嫌だという性格なのを知っている。それを理解した瞬間に体の温度が急激に上がった。
友香と同じくらい自分の顔が赤くなっている。鏡を見なくたってよく分かる。
姉弟のように育った。友香が自分を恋愛対象として好きになることなど、ありえないと思っていた。だから異性として一度も見たことがない。だが目の前で、真っ赤な顔でこちらを見る友香は、どこからどう見ても恋する女の子だった。
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