4-9 決意
森田と別れて家に向かって歩いていると、家の前に千波が立っているのが見えた。戦場に向かう戦士のようにいかめしい顔で、千春の家を睨みつけている。予想外の場所に、予想外の人物がいることに戸惑って、千春はすぐに声をかけられなかった。
「せ、千波さん? どうしたの?」
このまま見ているわけにもいかないと、戸惑いながら話しかける。声をかけられたことでやっと千春に気づいたらしい千波は、驚きに目を見開いてから、気まずそうに視線をそらした。
「その……ちょっと、話したいことがあって……」
「話したいこと?」
なんだろうと千春は首を傾げた。話なら明日の学校でもいいのに、わざわざ家に来てまで話したいとなれば重要なことに違いない。何かを決意したような千波の様子を見ていると、胸がざわついてくる。今後の展開によっては、千波との関係が決定的に大きく変わってしまう。そんな予感がした。
「藤堂さん、拓海に告白されたでしょ」
射抜くような視線と断定的な口調に、千春の体は固まった。
「……ここじゃ話しにくいから、どっかいこう。公園とか近くにない?」
「それなら、あっちに……」
千波にうながされてフラフラと案内する。地に足がついてないみたいに心が落ち着かないのに、足は勝手に進む。変な気分だ。
近所に公園があることは知っていたが、入ったのは初めてだ。普通の子供であったら休日に遊びに来ることもあったのだろうが、生まれてからほとんど病院から出ることのなかった千春にとって、公園は未知の空間だ。退院してから周辺の散策も兼ねて眺めてみたが、中学生になってしまった今、ブランコも滑り台も千春には小さくて、遊びたいという気持ちもわかなかった。
公園で遊ぶ経験をすることなく、精神が成長してしまったのだと気づいたとき、千春はとても悲しい気持ちになった。入院している間に普通の子が普通に体験して卒業したものを、いくつ体験しないまま通り過ぎてしまったのだろうと。
それに気づいてから公園にはあまり近づかなかった。幼い子供が遊んでいるのを見ると、羨ましいという感情が湧き上がって悲しくなる。いくら願っても、無邪気に公園で遊べていた頃には戻れない。
いや、その気になれば戻ることができるのだと、千春はふいに気付いた。クティの力を使えば、過去をやり直すことが出来る。病気を食べるというモルの力を使えば、もっと早く健康になれたかもしれない。
「藤堂さん?」
ぼんやりしている間に公園についたらしく、前を歩いていた千波に怪訝な顔をされた。千春は慌てて浮かんでしまった考えを振り払う。
それをクティにいったら快く受け入れてくれるだろうが、それを最後に二度姿を見せてくれない。そんな予感がした。
「そこのベンチに座ってて、飲み物買ってくる」
千春が何かを言う前に、千波は少し離れた場所にある自動販売機へと走っていく。無理をしている様子もなく、あっという間に離れていく距離に千春は見惚れた。
あんな風に千春は走れない。だから憧れる。千春にとっては千波はとても眩しい存在だ。だから千波とは仲良くしたい。それなのに、千波との関係は最近ぎくしゃくしてしまっている。その理由が千春にはよく分からない。
考え事をしている間に千波は戻ってきた。座っていてと言ったのに、ぼーっと立っている千春に対して怪訝な顔をしたが、特に何も言わず、千春に買ってきたジュースを差し出した。
「炭酸でいいよね?」
「えっと、お金……」
「いいよ。藤堂さんただでさえ燃費悪いんだから、少しでも自分の食料買った方がいいし、そのためにお小遣いもらってるんでしょ」
その通り過ぎて、財布を取り出そうとした千春の手が止まる。ジュースの一つぐらいで両親は何も言わないと思うけど、一般家庭の数倍の食費を払わせている負い目はある。中学生じゃアルバイトは無理だし、今の体質だと、アルバイトの疲れでさらに食事を欲するという悪循環に陥りかねない。
どうしたものかと頭の中がグルグルしている間に、千波はベンチに腰掛けていた。千春と同じ炭酸ジュースのプルタブを開け、一口。ふぅと息を吐き出す姿を見るに喉が渇いていたようだ。
「藤堂さん、話しにくいから隣座ってよ」
「う、うん……」
ジュースを両手でつかんだまま、千波の隣に座る。せっかく貰ったのだしとプルタブを開けると、カシュという炭酸の抜ける音がした。一口飲むと、泡が口の中ではじけるような独特な味わいが広がる。水やお茶、フルーツジュースを飲むことが多い千春からすると炭酸は新鮮だ。自動販売機でジュースを買うことも滅多にないので、少し大人になったみたいでワクワクする。
「藤堂さんはクティとかいう胡散臭い人好きみたいだけど、あの人はやめた方がいいよ」
炭酸を味わっている最中に、不意打ちで告げられた言葉に吹き出しそうになる。なんとか飲み込んだ炭酸が、喉に張り付く。
隣の千波を見つめると、膝の上に置いたジュース缶を両手で握りしめていた。表情は無。瀬川ほど多様な表情とは言えないが、感情が表に出やすい千波らしくない。
「藤堂さんには、拓海の方が似合ってるよ」
そう言いながら、千波は千春を見なかった。声には感情が乗っていない。それなのに缶を握りしめる両手にはやけに力が入っていて、なんだか見ていられない。
「私は、千波さんの方が似合ってると思う」
千波と瀬川が並ぶ姿は自然だった。幼馴染どころか友人もいない千春にとっては眩しくて羨ましかった。
しかし千波はその言葉を聞いた途端に眉を吊り上げ、千春を睨みつけた。
「バカにしてるの?」
初めて見る怒りのこもった声と表情に、千春は何も言えなかった。バカにしたつもりはない。千春は思ったことを正直にそのまま伝えた。それが千波にとっては腹ただしいものだったのだと、さんざん鈍いと森田に言われた千春でも理解するほかない。
どうすればいいか分からずに固まっている間に、千波は額を手で抑えてため息を付いた。
「ごめん……。藤堂さんがそんなことするわけないよね……。八つ当たりした」
「私こそ、嫌なこと言ったみたいでご」
「謝らないで」
謝罪の言葉は、強い口調で拒絶された。
「藤堂さんは何も悪くない。私が悪いの」
そこまでいって千波はつかれた顔で苦笑した。
「こんな可愛くない女より、藤堂さんみたいな可愛い子の方がいいよね。分かってるよ」
その何もかも諦めたような顔が、アモルのことを話す愛澤と重なった。それから今までの千波の瀬川に対する態度とか、千春に向けられた反応、今まで意味のわからなかったそれらが、パズルみたいにガチャンとはまる。
これに気づかなかった自分は本当に鈍いと、千春は自覚する他なかった。
「千波さんは、瀬川くんのこと……」
千波は何も答えなかったが、困ったような笑みでわかった。千波は瀬川のことが好きなのだ。
「告白しないの?」
「藤堂さん、無神経な所あるよね」
眉を寄せられて告げられた言葉に、千春は黙り込んだ。なんと言えばいいか分からずにおろおろしている千春を見て、千波は空を見上げる。
「そういう、ちょっと浮世離れしたところがいいのかなあ。アイツの趣味、よくわかんない」
「私もわからない。私よりも良い子いっぱいいるのに」
「藤堂さんは謙遜とかじゃなく本当にそう思ってるからなあ……そういう所が拓海は好きなんだと思うよ。性格がキツい私とは正反対」
眩しそうに千波は千春を見る。その顔が千波を羨ましいと思う自分に重なった。
「私は千波さんの、誰にでもはっきり意見を言える所すごいと思う。運動も得意だし、背も高いし、大人っぽいし」
「ちょっとまって、何の話?」
千波は戸惑った顔で千春を見た。突然の褒め殺しに照れたらしく頬が赤い。
「それに瀬川くんのこと、私よりもよく知っている」
二人の間には独特な空気がある。長年一緒に過ごした幼馴染みだからこその気安さであり安定感。だからこそ不思議で仕方ない。なんで瀬川は千波ではなく千春を選んだのだろう。
「……よく知りすぎてるからじゃないかな。拓海にとって私は女の子じゃなくて家族なんだよ」
悲しげに千波はつぶやいた。その横顔はどこからどう見ても恋する少女のもので、瀬川はなぜこれに気づかないのだろうと、自分の鈍さを棚上げにして千春は思う。
「……藤堂さん、やっぱり拓海は好きじゃない?」
「友達としては好きだけど、それだけ」
千春の答えが分かっていたのか、千波はなんとも言えない顔をする。握りしめている缶が音を立てた。
「私さ、藤堂さんが拓海に興味ないの、嬉しい気持ちもあるし、なんで拓海に好かれたのに返してあげないのって不満もある。フラレた拓海どうするんだろうって心配もあって、いま、すごくぐちゃぐちゃしてる」
千波は自分を落ち着けようとするように、炭酸ジュースを口に運ぶ。
「すごい嫌な人間だよね……」
「そんなことないよ。私の方がきっとおかしいんだ」
同世代の男の子に告白されて、相手は性格も良くて、愛嬌のある顔立ちで、クラスでも好かれている。普通の女子中学生だったら喜ぶ状況なのだと思う。けれど千春の心は少しも動かない。瀬川のことは友達としか見られない。
「そんなにあの人が好きなの? 性格悪そうだし、胡散臭いし、顔がいいくらいしか良いところなくない?」
容赦のない評価に千春は苦笑した。好きな人をバカにされたのだから怒るところなのだろうが、的確すぎて言い返せない。
「私も何で好きなのか、わからないんだよね」
千春の返答に千波は眉を寄せた。それならという言葉が続く前に、千春は問いかける。
「千波さんはなんで、瀬川くんが好きなの」
千波は予想外のことを言われたとばかりに目を丸くした。考えるように宙を見て、それから眉を寄せる。
「なんでだろ……なんか気づいたら目で追ってて、藤堂さんにデレデレする姿見たらイライラして、あー、たぶんこれが恋なんだって、最近ハッキリわかったっていうか……」
話している間に恥ずかしくなってきたのか、千波の顔が赤くなる。その姿を見て可愛いなと千春は思った。
「私もよく分からないけど、会うと嬉しくなって、会えないと悲しくなって、お腹が空くの」
「……お腹が空くって、藤堂さんの場合大事なんじゃ……」
「うん。きっとクティさんと一緒じゃないと、私はもう生きられないんだ」
声に出したら思いの外しっくりきた。そうだ。もうクティなしには生きられない。お腹が空いて、寂しくて死んでしまう。それをクティは分かっていないのだ。
「と、藤堂さん、サラッとすごいこというよね」
千波の顔が赤い。気まずそうにそらされた視線に、千春は首を傾げた。
「でも、そっか、わかった。拓海はホント眼中にないわけね」
「その……ごめん」
「それは私じゃなくて拓海に言って。本当は私が口出しちゃいけないことだし」
そういう千波は辛そうだった。本当は口を出したいけど自分にはその権利がない。それをよく分かっている顔だ。そんな姿を見ていたくなくて、千春はつい言ってしまう。
「告白しないの?」
千波は握りしめたジュースの缶を見つめる。
「してもフラれるだけだし、それなら幼馴染のままがいい」
「瀬川くんは告白しないと、気づかないと思うよ」
千春も鈍感だが、瀬川だって鈍感だ。隣にいる千波の気持ちに全く気づいていないのだから。それとも、隣にいることが当たり前過ぎて見えていないのだろうか。アモルが、愛澤が死ぬまで気づかなかったように。
「ずっとこのままでいられるとは限らない。失ってからだと後悔するよ」
缶を握りしめた千波の手に、千春は自分の手を重ねた。驚いて顔を上げる千波の瞳を覗き込む。そこに真剣な自分の顔が映り込んでいることを確認して、この気持ちが伝わりますようにと願った。
「……藤堂さん、たまにすごい大人に見える。お母さんとか、お祖母ちゃんに言われてるみたいな気持ちになる」
眉を寄せて千波は首を傾げた。千春は苦笑を返すことしかできない。今の千春は中学生だけど、前の千春はきっと大人で、もしかしたらお婆ちゃんと言われるような年齢まで生きていたのかもしれない。
「瀬川くんなら無下にはしないよ」
驚くし戸惑うだろうけど、真摯に受け止めてくれる。今までの関係とは変わってしまうだろうけど、二人ならきっとうまくいく。そんな確信が千春にはあった。
「……藤堂さんもクティさんに告白するの?」
「告白より前に意識してもらわないといけない……」
眉間にシワを寄せて唸ると千波は笑った。久しぶりに見る素の笑顔に、千春は嬉しくなる。
「強敵だね」
「うん。強敵」
「それでも諦めないの?」
「諦めたら、絶対後悔するから」
千波は眩しそうに目を細めた。
「藤堂さんが諦めないなら、私も頑張ってみようかな」
吹っ切れたような千波の笑顔に、千春は大きく頷いた。瀬川の隣にお似合いなのは千波だ。そう千春は断言できる。
そこまで考えて千春はふと思った。自分とクティはお似合いなのかと。並ぶ姿を想像しても恋人というよりも兄妹に見える。その事実に千春は眉間にシワを寄せた。
「私、牛乳いっぱい飲んで大きくなる」
「いきなりどうしたの?」
戸惑う千波を置き去りにして、千春は拳を握りしめた。そんな千春を見て、千波は声を出して笑い出す。
「よくわからないけど頑張って、私も頑張るから」
そういって差し出された手を千春は握りしめた。千波と出会って数ヶ月。けれどこの日、この瞬間、やっと本当の友達になれた気がする。
初めて会った日とはなにもかもが違う。四月に自己紹介をする千波を見たときは、こんな風に話せるようになるとは思わなかった。愛澤の存在なんて知らなかったし、商店街に行ったこともなかった。
時間は進む。関係は変わる。千春が望んでも待ってはくれない。それなら、少しでも自分が望む方向へ変えていくほかないのだ。
「私、クティさんに告白してくるから、その後、女子会しようね」
千波の手をぎゅっと握りしめた。千波は驚いたように目を見開いたが、「わかった」と笑ってくれる。本当は森田にも報告をしたかったけれど、森田とはもう会わないと約束したし、千春と森田の縁は切れた方が良いのだ。
だからこそ、千波と瀬川との縁は切りたくない。もちろんクティとも。
自分を遠ざけようとするクティの背中に向かって、絶対に逃がさないからと千春は決意する。強く願えばかなうよと、笑うトキアの姿が頭に浮かんだ。
「第四幕 迷いを吐き出す」 終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます