3‐9 選択
「モルさんはさ、ずっと病気を食べてたから病原体の塊みたいになってるの。ボクらは大丈夫だけど、普通の人間が触ったら一発アウト。病気になって死んじゃう」
肩をすくめたマーゴに瀬川が引きつった顔をした。恋も驚きに目を見張っている。
「人間が自分の理想の顔や身長になれないように、ボクらもどう変化するのか分からない。クティさんいわく、食事がしやすいように成長するらしいんだけどね、それが本人の思考と一致するかと言われると別」
マーゴはそういうと再びテーブルの上に顎をのせた。
「ボクはいっぱい食べられるから大きくなれて嬉しいし、自分の能力も結構気に入ってる。けど、モルさんはそうじゃない。クティさんも自分の能力は面倒くさいってよく言ってる。ボクからすれば便利でいいなーって感じなんだけど」
マーゴはそこで言葉を区切ると千春を見つめた。
「前の千春ちゃんが何を食べて、どんな能力を使えたのかはわからないし、今の千春ちゃんが外レて同じ力を持つかも分からない。クティさんは見えてるかもしれないけど絶対教えてくれないだろうし」
「……私が外レるのを反対してるってことは、よくない未来が見えてるってことですか?」
「そうなんじゃないかな。前の千春ちゃんが耐えきれない姿を見て戻したなら、同じ未来を繰り返させるとは思えない」
「クティさんと私が一緒にいられる未来はないんですか?」
千春の問いにマーゴは困った顔をした。テーブルに頬をくっつけて、上目遣いに千春を見つめながら自分の心を整理するように語りだす。
「ボクね、千春ちゃんのこと気に入ってる。きっと前の千春ちゃんと過ごしたボクも千春ちゃんのこと好きだったと思う。だから、一緒にいたいけど、千春ちゃんが苦しんで消えちゃうって聞いた今は応援できないかな」
寂しそうで悲しそうで、それでも優しい笑みだった。その笑みを千春は前にみたことがあるような気がした。その笑みを見たとき、とても胸が痛くて悲しかったのに千春はなにも言えなかった気がする。
「ちゃんとメモリアには伝えるよ。約束を破ったりしないから、そこは安心して」
体を起こしたマーゴは明るい笑顔を浮かべた。悲しい顔よりもマーゴらしいのに千春はその笑みを見ても喜べない。無理に笑っているのだと千春にはわかってしまった。
下を向いて膝の上にのせた手を握りしめる。なんでどうしてと叫びだしたくなる。私は皆と一緒にいたいのに、どうして皆は拒絶するのと。
けれど、口に出すことはできなかった。皆が自分を守ろうとしてくれているのがよくわかった。記憶がなく、今日出会ったばかりの愛子も千春のことを親身に考えてくれた。覚えていない。それでも、マーゴが千春を気に入っているといったように、何かは残っている。戻ったことでなかったことになった千春との日々が変食さんたちの中にも、千春の中にも残っている。それがハッキリと目に見えないことが千春は苦しくて悲しかった。
千春が考え事をしている間に愛子が戻ってきて紅茶とお菓子をごちそうしてくれた。お菓子は予約しなければ買えないような人気店のものので、変食さんたちが人間よりも良い生活を送っていることがうかがえた。
瀬川は始終居心地悪そうで、アモルに振り回されている恋は少々疲れていたが、千春はマーゴと愛子に学校で起こったこと、クティと出会ってからのことを話して聞かせた。森田のことについて二人とも目を丸くしていて、瀬川は「そんなことがあったの!?」と大げさなほど驚いた。知らぬ間にクラスメイトが一人消えていたと知れば驚くのも無理はない。
話していればお菓子と紅茶が消えるのはあっという間で、名残惜しくも帰る時間になった。クティが戻る前に帰らなければ、今度こそ外に放り出されるといわれれば帰るほかない。千春はクティに放り出されるのも面白そうだと思ったが、瀬川と恋はものすごく嫌そうな顔をしたので付き合ってもらった二人にこれ以上心労をかけるのは申し訳ないと思った。
まだ日が高い。アモルは恋と一緒に遊ぶと元気いっぱいに恋の腕を引いて出て行った。千春と瀬川はアモルに引きずられるように連れていかれる恋を門の前で見送った。恋は困った顔をしていたが嫌そうではなかった。その姿をうらやましいと思うと同時に胸が痛む。
アモルはきっと気づいていない。恋がアモルに恋愛感情を抱いていることを。それを口に出さないままアモルと生きていくことを決めていることを。アモルの寿命に比べれば恋の寿命は本当に短いことを。アモルは少しも気づいていない。
それをマーゴも愛子もアモルには教えない。教えたところでどうにもならないと分かっているから。それはきっと優しさだ。けれど、いつかアモルだって気づくはずだ。いくら中身が幼くたって、アモルには感情があり、学習し成長する心を持っているのだから。
一瞬、泣き崩れるアモルの姿が頭に浮かんで千春は頭をおさえた。想像にしては生々しいそれが何なのか千春はもう分かっている。これはきっと前の千春の記憶。アモルが恋との別れを体験した姿。
「藤堂さん?」
瀬川が心配そうに千春のことを覗き込んだ。千春はそれに何でもないと小さな声で答える。しかし瀬川にはそうは見えなかったようで男の子にしてはかわいらしい顔が悲壮に歪んだ。
「藤堂さん、無理してない?」
「瀬川くんこそ、今日はありがとう。変な話いっぱい聞かされて疲れたでしょ」
普通の子は人ではない存在に出会っても信じない。そうマーゴに言われてやっと千春は自分が普通ではないのだと自覚した。どうりで周囲の子と話が合わないはずだと。千春は十三年分の記憶しかないが、前の千春の記憶が時折顔をだす。前の千春が何年くらい生きたかはわからないが、最低でも今の千春と同じ年数は生きている。となれば千春の精神はとっくに成人しているのだ。
成人した女性が中学生たちと和気あいあいと会話できるはずがない。ただでさえ千春の知識は偏っていて、感覚だって一度外レた影響でズレている。クティやマーゴにおびえないのも、変に楽観的で物事に動じないのもそのためだ。
それに気づいていなかった千春は瀬川と千波を振り回していたのだろうなと今ならわかる。それでも千春のことを気遣って友達でいてくれた瀬川はとても良い子だ。
「正直、全部わかったとは言えない。いまだに頭の中ぐちゃぐちゃで、全部嘘でしたって言われた方がスッキリする」
瀬川は地面をじっと見つめながらつぶやいた。いつも明るい瀬川らしからぬ低い声にそれだけ混乱させたのだと分かって千春は申し訳なく思った。
瀬川を今日連れてくるべきではなかった。瀬川がついてきたいといっても断るべきだった。今更になって千春は思う。それを考えもしなかった自分がいかに身勝手で、クティ以外見えていなかったのか気づいて落ち込んだ。
友達が欲しかった。それは今の千春も前の千春も同じだったと思う。退院したら縁の切れてしまう友達ではなく、ずっと一緒に笑えあえる友達が欲しかった。病弱な子供ではなくどこにでもいる普通の子供として遊びたかった。
それがやっと叶えられるようになったのに大事な友達を千春はないがしろにした。
千波が時折、千春に何か言いたげな顔をする理由が分かった。千波は千春や瀬川よりもずっと視野が広いし、大人だから、千春の身勝手な姿に思うところがあったのだろう。幼馴染が振り回される姿を見て文句の一つや二つ言いたかったに違いない。それでも黙っていてくれたのは千波のやさしさなのだと思う。
「瀬川くん。これからは私に関わらなくていいよ」
瀬川が勢いよく顔をあげた。大きな瞳が零れ落ちそうなほど見開かれている。それは瑞々しくてきれいだった。愛子のように深くて重たいものじゃない。クティのように人を魅了し堕落させるようなものじゃない。普通の人間の少年のものだった。
「今日分かった。私は人間だと思ってたけど、人間じゃないみたい。病弱じゃない普通の子供にあこがれてたけど、普通じゃいられないみたい」
病気は治った。けれど、普通ではいられない。
そもそも普通なんて知らない。気づいたときには病院にいて、ずっと病院で生きてきた千春が普通になれるはずがなかったのだ。それにも気づかず、学校に通えるのだから普通の子供なのだと浮かれていた自分が恥ずかしい。普通の子供になれたと思いながら、普通とはかけ離れた存在を探しまわる行動がおかしいと気づきもしなかった馬鹿な自分。
不安定。その言葉が腑に落ちた。千春は生者と死者の間にいて、人間と外レ者の間にいる。クティはそのうち安定すると言っていたが、それがいつになるかはわからない。それまでずっと瀬川や千波のことを振り回すのは嫌だった。
二人はどう思っているか分からないが、千春にとって二人は初めてできた友達なのだ。
「藤堂さんは、外レ者になりたいの? クティさんと一緒にいたいの?」
瀬川が千春をにらみつけた。低い声も険しい表情も初めてみるもので千春は戸惑う。
「外レ者とか、能力とか俺には分からないことばっかりで、現実味がなかったけど、クティさんが藤堂さんのことを大事に思ってて、だからあの日、アモルさんの食事を見せたんだって俺にも分かった」
瀬川はそういうと拳を握りしめ、唇をかみしめた。そんなに力を入れたら切れてしまうと千春は瀬川に近づこうとしたが、瀬川の目はそれよりも前に千春を射抜く。
「取り返しがつかなくなるって言葉の意味、クティさんが俺を追い返さなかった意味も分かった。あの人にいいように使われてる気がして正直腹立つし、男として格の違いを見せつけられたみたいで悔しいけど、きっとこれが正解なんだ」
深呼吸した瀬川は千春の手を取った。
「藤堂さん、好きです! 一目ぼれでした! 俺と付き合ってください!」
真っ赤な顔。必死な表情。本気なのだと分かった。分かってから今まで不可思議だった瀬川の行動の一つ一つが腑に落ちて、今まで気づかなかった自分の鈍感具合に笑いだしそうになる。
藤堂千春はクティ以外は全く目に入っていなかった。それを突き付けられたと同時に選択が迫っているのだと気づく。
今度こそ普通の人間として幸せになれ。
そう、悲しそうな顔で笑うクティの姿が脳裏に浮かんだ。
いつまでも曖昧な場所で漂ってはいられない。
クティが望んだ普通の人間になるのか、クティを追ってまた繰り返すのか。
千春は決めなければいけない。
「第三幕 未知を飲み込む」 終
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