第四幕 迷いを吐き出す
4-1 マーゴの選択
アイツはある日を境に食べることを止めた。いくら食べろといってもダメだった。このままでは死んでしまうといっても、無理矢理食べ物を口に入れてもアイツは吐き出してしまう。体が痩せ、体力が落ち、限界が近づいていく。
何があったのか聞いてもアイツは教えてくれなかった。自分には生きる価値がない。人の命を奪ってまで生きていくのは辛いとただ泣いた。
このままでは消えてしまう。俺たちは死んだら終わり。人間と違って生まれ変わることも出来ない。
今まで消えてしまった仲間をたくさん見てきた。生きる意志のない奴は生き残れない。それがこの世界のルールだと知っている。それなのに俺はアイツが消えてしまう事実が恐ろしくて仕方が無かった。
だから覚悟を決める。俺とアイツの過ごした日々がなくなったとしても、二度とアイツに出会えなくても、消えてしまうよりはずっといい。
※※※
ドアが開く音がしてマーゴはそちらに視線を向けた。大きな窓から見える外は真っ暗で、ソファに座ったマーゴ以外リビングに人気はない。
自由奔放に生きているようにみえて変食さんは意外と規則正しいものが多く、朝に起きて夜には眠る。これは人間の生活リズムに合わせているからだ。特にクティやアモルのように、人と接触しなければ食事にありつけない変食さんは、契約者の生活リズムに大きく影響される。
クティが遅くに帰ってくることは多い。理由は単純で、クティの契約者は昼間よりも夜の方が見つけやすいからだ。
今日も誰かしら引っかけてきたのか、クティからは酒の匂いがした。香水の匂いもするから、今回の相手は女らしい。生まれつき外レているクティは性別に拘りがない。男であろうと女であろうと一括りに人間。今回の相手が女だからといって性的趣向とは関係がない。
それでも、千春が来た日にわざわざ、恋愛感情を抱かれやすい異性とあってくるなんてと、マーゴは文句を言いたい気持ちになった。
それともわざとなのだろうか。千春に嫌われるために。
「珍しいな、この時間に家にいるなんて」
クティはチラリと時計を見る。ちょうど日付が変わったところだ。いつもであればマーゴがご飯を探しに夜道を歩いている時間である。昼間でも幽霊はいるのだが、夜の方が見つけやすく、人目が少ないため食事もしやすい。だからマーゴは変食さんの中では夜行性だ。
しかし今日は事情が違う。
「クティさんがどういうつもりなのか、聞こうと思って」
「どういうつもりって?」
「分かってるでしょ。千春ちゃんのことだよ」
ソファに座ったままマーゴはクティを見上げた。いつも通り目、痛いド派手な格好をしたクティは、無表情にマーゴを見つめている。怒るでもなくただじっと、なんの感情も読み取れない顔にマーゴは居心地が悪くなる。怒鳴られる覚悟はしていたが、こんな人形みたいな反応をされるとは思わなかった。
「お前、千春ちゃんとそんなに仲良くなったのか?」
「千春ちゃんからクティさんのこと、相談されてるんだよ。クティさんが釣った魚に餌あげないから」
「釣ってない」
「釣ってるでしょ。あの子、クティさんしか目に入ってないよ」
千春と一緒に来た瀬川は、どう見ても千春のことをすいていたが、千春の方は眼中にない様子だった。記憶がないとはいえ、一度戻っている千春の精神年齢は普通の中学生よりも高めだから、同級生を恋愛対象として見られないのは分かる。好意を向けられていると想像すらしていないだろう。
それを踏まえてもだ。記憶がないのにも関わらず千春はクティしか見ていない。メモリアに消されたはずなのに既視感を抱いているというのも、クティに対する好意の強さ故なのでは。そうマーゴは考えている。
しかしクティはマーゴの言葉を鼻で笑った。
「年上が素敵に見えるお年頃なんだよ。そのうち気づく。得たいのしれない怪しい男よりも、身近にいる誠実な同級生の方がいいってな」
正論ではある。マーゴだって千春が普通の中学生であったなら止めた。クティに恋して調子にのったあげく、散々な目にあわされた人間は多い。
クティは人間を嫌っている。それは人の醜い部分をたくさん見てきたからであり、生まれたての弱い頃に散々な目に合わせられたからだと聞いた。だからクティは人と一線を引く。契約者とは食事のために良好な関係を築くこともあるが、それ以外には高圧的で喧嘩腰。仲良くする気などかけらもないという態度を貫く。
そんなクティが千春を気に入っている。それは異常事態である。
だからこそマーゴは思うのだ。これでいいのだろうかと。
「クティさんは、千春ちゃんが他の誰かにとられちゃっていいの?」
「お前、俺が本気で、人間のガキに対して恋愛感情抱いてると思ってんのか?」
クティは馬鹿にした顔で笑った。口角を上げるいつもの笑い方。黙っていれば整った顔なのに、表情のせいで悪人に見えると言っていたのは愛子だったか。マーゴからすれば見慣れたクティの表情だったが、今日はなんだか不自然に思えた。
「恋愛感情かどうかは分からないけど、気に入ってるでしょ」
「お前よりも素直で可愛いからな」
クティはそういって肩をすくめると、自分の部屋へと向かって歩き出した。話はそれで終わりだと態度で告げるクティに、マーゴは慌ててソファから立ち上がり、ドアを開けようとするクティの手をつかんだ。
「千春ちゃんとボク、前も仲良かったんでしょ?」
その問いにクティの瞳が揺れた。人間とは違う複雑な光彩を放つ瞳が確かに。だがそれは一瞬で、すぐさま表情は切り替わる。眉を寄せる怪訝な顔はマーゴの見慣れたもので、切り替えの早さに舌打ちしたくなった。
「なんのことだ?」
「とぼけないでよ。千春ちゃんは一度外レてボクらの仲間になった。けど、クティさんが戻した。違う?」
「どこからそんな発想が出てきたんだ? そんな面倒なことして俺に何の得がある」
「千春ちゃんが死なない」
「たかが人間一人の命に、俺が頓着すると思ってんのか?」
バカにした顔でクティは笑う。見慣れた表情、聞き慣れた言葉。相手が千春でなければマーゴは納得していた。人間を使える、使えない、美味しそう、まずそうで識別しているクティが一人の人間を救うためだけに動く。そんなのはあり得ないと思っていた。
「じゃあ何でボクとモルさんを、あの日病院に連れてったの? あの病院、千春ちゃんが入院してたって聞いたけど、偶然?」
マーゴの問いにクティの表情が抜け落ちた。無表情のクティは少し怖い。何を考えているか読み取れないから、次にどんな言葉が飛び出すのか予想が出来ない。
本気で怒ったクティを、マーゴは知らないと愛子は言っていた。それを今更理解する。ただ見つめられているだけなのに、みっともなく足が震えそうだった。
「偶然じゃないっていったら、お前どうするんだ?」
唐突に顔を近づけられる。目を見開いたクティがマーゴの瞳を覗き込む。マーゴの心を全て暴き出そうとするように。
マーゴがクティの腕をつかんでいたはずなのに、いつのまにかクティの方から捕まれていた。逃がさないという意思を示す、力強い手にマーゴは後ずさる。しかし、マーゴが後ずさるとそれと同じだけ、クティは距離を詰めてきた。
「俺が千春を気に入ってると言ったら満足か? それでお前はどうするんだ?」
一層強く手首を握られて、喉の奥が引きつった。これだけ力を込めているのに、クティは人形のような無表情で、じっとマーゴの様子をうかがっている。瞬きすらせずマーゴを覗き込む瞳が恐ろしい。このまま食べられてしまいそうだ。
らしくないクティを追い詰めようと思ったのに、逆に自分が追い詰められている。呼吸がしにくく、酸素を求めて口を動かしてみるけれど、状況は好転するばかりか、居心地の悪さでますます息苦しくなる。
マーゴの手をクティが離す様子はない。いくら楽天的なマーゴでも、この状況から逃げられるとは思えなかった。
「軽い気持ちで首突っ込んでくんじゃねえよ」
何も答えないマーゴに飽きたのか、クティは舌打ちしながら乱暴にマーゴの手を離した。それから自室のドアを開けると、大きな音を立てて閉める。それはこれ以上踏み込むなという、拒絶の音に聞こえた。
クティがいなくなったと思ったとたん力が抜け、マーゴはその場にずるずるとしゃがみこんだ。
クティはマーゴに甘い。そう変食さんの先輩たちに言われていた意味を、やっと理解した。機嫌悪いとすぐ暴力に出るし、人をバカにした態度が基本だし、どこが甘いのかと話半分に聞いていた頃がもはや懐かしい。
「……軽い、気持ちではないんだけど……」
元人間にしては倫理観が死んでると言われるマーゴだって、情くらいはある。
人間じゃなくなったマーゴが大きくなれたのはクティのおかげだ。クティにとっては仲間は多く、強い方がいいという打算的な理由だろうが、そのおかげでマーゴは大人になることが出来た。人の身で幽霊を食べようと思うほどの空腹にさいなまれることもなく、好きなものを好きなように食べられるようになった。
マーゴにとってクティは命の恩人だ。そんな相手の助けになりたいと思うことは、おかしなことだろうか。
ピタリと閉じられたドアをしばし見つめてマーゴは立ち上がる。クティの反応からして愛子たちと立てた仮説は間違っていない。クティは千春を人間に戻してやろうと思うほどには好いていた。となれば、マーゴよりも千春本人からの言葉の方が効くだろう。
「軽くないから首突っ込むよ」
閉ざされたドアに向かって宣戦布告する。本人に直接言えないのはしまりがないが、今は仕方ない。ここでマーゴが本気を出したって、クティに響かないのは学習した。
ならばやり方を変える。元々マーゴは賢くないのだ。考えることは考えるのが得意な相手に任せるのが一番。
「よし、千春ちゃんと恋くんに会いに行こう」
先程まで怯えていたのが嘘のように、軽い口調でそう言うとマーゴはクティの自室に背を向けた。鼻歌交じりに自室へ戻りながら、マーゴはこれからの未来に胸を躍らせた。
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