4-2 願う者の夢

 気がつくと千春はパジャマ姿で真っ白な世界に立っていた。右を見ても左を見ても白い空間が広がっており、終わりが見えない。周囲に霧がかかったように不明瞭なのに、自分の周囲はよく見える。

 

 とりあえず千春は一歩踏み出してみた。真っ白な地面はふわふわしていて気持ちが良い。雲の上を歩けたらこんな感じなのかもしれないと、滅多に味わえない感覚を楽しむように走ったり跳んだりしてみる。

 千春は体力もなければ運動神経もない。ダンスの授業ではすぐに転んでしまうのに、今は体がずいぶん軽く、千春が思ったとおりに手足が動く。楽しくなってきた千春は状況も忘れてクルクル回る。そうしているとクスクス笑う声が聞こえた。


「大抵の子は戸惑うんだけど、君はやけに楽しそうだね」


 気がつけば青い髪をした少年が立っていた。先ほど周囲を見回した時は誰もいなかったのに、突然少年は一メートルほど離れた所に現れた。

 見た目は高校生くらいで、千春が見たことのない制服を着ている。髪は長く顔立ちは中性的。制服を着ていなければ少女と見間違えそうなほど整った容姿をしているが、千春はなぜか彼が男性だと知っていた。


「前来た時よりずいぶん小さくなったね。クティとは上手くやってる?」


 親しげに話しかけてきた少年に千春は戸惑った。初対面の気がしない。けれど千春は少年のことを覚えていなかった。これほど印象的な相手を忘れるとは思えない。けれどいくら記憶をひっくり返しても、少年と会った記憶がない。


「あれ? もしかして覚えてない?」


 千春の目の前まで近づいてきた少年は身をかがめ、千春と目線を合わせる。動きに合わせて綺麗な髪がさらりと流れ、目が釘付けになった。髪と同じく青い瞳はクティのように不思議な光彩を放つものではないが、目が吸い寄せられるような魅力がある。


「あれー? もしかして僕失敗しちゃった? 人に加護与えるとか初めてだから、上手くいかなかったのかも? ごめんねー」

 少年は眉を下げ困った顔をした。表情は反省していると分かるものだが口調は軽い。ちぐはぐな印象を受ける人物だ。


「私とあなたは会ったことがあるんですよね?」

「あるよ。現実でも、ここでも」


 そういうと少年は立ち上がって両手を広げた。ここというのがこの白い世界であることは理解できた。

 千春はあらためて周囲を見回す。どこまで続くのかも分からない真っ白な世界。終わりがない広大な場所にも見えるのに、何もないせいで閉じられた場所のようにも思える。


「ここはどこなんですか?」

「夢の中だよ」


 千春の問いに答えた少年はパチンと指を鳴らした。とたんに景色が変わる。現れたのはクティたちが暮らすシェアハウスのリビング。一度しか行ったことがないはずなのに妙に懐かしい空間を前にして千春は安堵の息をはいた。


「ここにはさ、強い願いがある子しかたどり着けないんだ」


 いつの間にかソファに座っていた少年が、いつの間にか取り出したティーカップを口に運んでいる。どうぞと手で示されて千春は少年の向かいのソファに腰をかけた。気づけばテーブルの上にティーカップとアップルパイが置かれている。


「千春ちゃん、アップルパイ好きだよね?」

「……はい」


 何でと口から出かかって飲み込んだ。少年が千春を知っていることは間違いない。ならば聞きたいことはたくさんある。

 しかし、目の前に置かれたできたてらしいアップルパイを無視することも出来なかった。出されたお菓子を食べないのは失礼だろうと言い訳して、これまたいつの間にか置いてあったフォークをパイ生地に差し込む。

 サクリという食欲をそそる音がした。口に運べばサクサクとしたパイ生地と柔らかなリンゴの果肉、それぞれの食感の違いが舌を楽しませ、甘みと酸味の絶妙な調和に感嘆の吐息が漏れる。思わず頬に手を当て、言葉にならない声を発していると少年の笑い声が耳に届いた。


「相変わらず美味しそうに食べるね。用意して良かったよ」

「ほんと美味しいです。どこのお店のアップルパイですか?」

「たしか……」


 少年が口にした店名は美味しいと評判のアップルパイ専門店のものだった。噂は耳にしているが千春はまだ食べたことがない。起きたら絶対に食べに行こうと決意したところでふと気づく。


「ここって夢なんですよね?」

「夢だよ」

 少年はティーカップ片手に優雅に答えた。その姿は童話に出てくる王子様のようでつい見とれてしまう。


「……夢って事はこのアップルパイは……?」

「それは現実で僕が食べた味を思い出しての再現だから、現実でもそんな感じの味だよ。多少の記憶違いはあるかもしれないけど」

「それなら良かったです」


 切り分けたアップルパイを再び口に運び、おいしさを噛みしめながら安堵した。これが夢の中でしか食べられないとなれば、これが最初で最後になるかもしれない。夢は見たいときに見たいものが見られるわけではない。こんな美味しいものが二度と食べられないなんて想像するだけで憂鬱になる。


「強い願いがある子しかたどり着けないってどういうことですか?」

「あっ、忘れてなかったんだ」


 アップルパイを食べながら問いかけた千春に少年はクスクスと笑った。アップルパイに夢中で忘れていると思われていたらしい。そんなわけがないだろうと文句を言いたくなったが、質問よりも食べる方に集中していたのは事実なので千春は名残惜しくもフォークを置いた。


「言葉通り、ここは強い願いを持ってる子しかたどり着けない夢の世界。現実ではかなわない望みを夢の中だけでもかなえようって儚くいじらしい人間が集まる場所」

「……私、夢だけじゃ嫌です」

 千春の言葉に少年は微笑んだ。


「そうだね。君の望みは現実でもかなえられる。諦めるなんてもったいないこと言ったら、僕がちょっかいかけちゃうところだったよ」


 軽くいうが、少年のいうちょっかいは可愛らしいものではない気がした。記憶がなくとも分かることはある。目の前の少年はクティたちと同じ、いやもっと強い存在だ。


「あなたの望みは叶えられないんですか?」

「うん。僕の望みは夢でしか無理。この制服姿見れば分かるでしょ? 僕はさ、何も知らない子供みたいに大好きなお兄ちゃんと青春を送りたいんだけど、それをするには僕は大人になりすぎちゃってるから」


 そういってため息をつく少年は容姿が整いすぎていることを除けばどこにでもいる高校生に見える。それは表面だけで中身は大人、というか、人間の枠組みをとっくに通り越しているのだろう。


「だからこうして夢の世界で遊んでいるわけ。現実では叶え得られない望みを夢の中で叶えた気になって満足しようとしてるの。いじらしいでしょ?」

「……いじらしいんですか?」


 わがままで強欲な気がするとは口に出さずに飲み込んだ。それでも少年には伝わったらしく、意味ありげな顔で微笑んだ。その笑みはたしかに高校生の見た目とは不釣り合いな長く生きた老人のものだった。


「さて、そんないじらしくて儚く、優しい僕は、同じようにかなわない望みを抱いて苦しむ子を放っておくことが出来ない。というのはウソで、本当は僕の強い執念に引き寄せられて願いを持つ子が勝手にこの世界に入ってきちゃうんだ」

「なんで一回ウソついたんですか」

「綺麗な建前って必要かなと思って」


 少年はそういうと柔らかく微笑んだ。その笑みはとても綺麗なものだったけれど、どうにも尖った牙が見え隠れしている。そもそもウソだとか建前だとか笑顔で平然と口にするあたりがとても胡散臭い。

 のだが、なぜか千春はこのやり取りを懐かしく感じた。クティやマーゴたちと話しているときと似た感覚。となると間違いなく前の千春はこの少年と話したことがあり、こんなやり取りをしていたのだろう。


「私、あなたと会ったことがあるはずなのに覚えてないんです」

「そうみたいだね。でもそれは君のせいじゃないよ。過保護なクティのせいであり、失敗した僕のせいだね。ごめんね」


 眉をさげ困った顔で少年は笑う。なんで少年が謝るのかわからず、千春は少年の顔を凝視した。


「前にここに来た時、千春ちゃんは忘れたくないっていったんだ。辛くて苦しい記憶だったとしても覚えていたいって。だから僕は君に加護を与えた」

「加護?」

「簡単にいうと、君は僕のお友達だから手出しすんな。って印をつけたの」


 千春は目を瞬かせた。そんなものがついているとは全く気づいていなかった。


「外レ者にはヒエラルキーがあるんだ。強い者に弱い者の能力は効かない。僕はメモリアよりも強いから僕の加護があれば君の記憶は消えない。と思ったんだけど、上手くいかなかったみたい」

「完全に消えてるわけじゃないんです。なんとなく既視感みたいなものは残ってます」

「じゃあ、少しは役に立ったのかな?」


 少年の問いに千春は大きく頷いた。千春の反応を見て少年は嬉しそうに笑う。しかしすぐに眉を寄せた。


「でも既視感しか残ってないなら失敗だよね」

「今から私の記憶を戻すことはできないんですか?」

「無理かなー。僕が得意なのは呪うことだからさ、修復とかは苦手なの。君の記憶が完全に食べられる前に止められたのは、食べてる途中のものを横からかっさらったみたいな感じだから、すでに食べられてる分はどうにも出来ないね」


 肩をすくめる少年を見て千春はため息をついた。先ほどまであんなに美味しそうだったアップルパイも色を失ったように見える。


「じゃあ、私の記憶は戻らないんですか?」

「メモリアとはまだ会ってないんでしょ?」

 ティーカップをテーブルの上に置いた少年は千春を見つめる。それに頷くと少年はパッと表情を明るくした。


「それなら良かった。メモリアと会ったらニムと一緒に夢においで。僕に会いたいって思いながら」

「ニム?」


 知らない名前に首をかしげる。少年は「ニムのことはまだ知らないのか」といいながらリビングにならぶドアの一つを指さした。クティの隣の部屋だ。


「ニムっていうのは夢を食べる外レ者。千春ちゃんの言葉を借りるなら変食さん」

「夢……」

「夢には時間っていうものがない。過去にも未来にもつながってる。だからきっと君の失った記憶にもつながるよ。僕とメモリアが協力すれば成功率もあがるはずさ」

「どうしてそこまでしてくれるんですか?」


 目の前の少年のことを懐かしいと思う。けれどクティに感じた激情やマーゴに感じた親しみほど強いものではない。少年と前の千春はクティやマーゴに比べれば関係性が薄かった。そんな気がする。

 少年は千春の問いに目を細めた。なんだかまぶしいものを見るような顔で千春を見る。


「僕はね、諦めない子が好き。望みを叶えようと足掻く子が好き。そして君の望みは僕が協力すればかなう類いのものだから、年長者としては可愛い子にはお節介焼きたくなるよね」

「そんな理由で?」

「ここはさ、お客様が来ないと退屈なんだ。だから来た子のお節介やくのが趣味になっちゃってね。やだねー面倒な年寄りみたいで」


 どうみても若い少年が老人のようなことを言うのがおかしくもあり、自然にも見える。この世界と同様、少年の存在自体がふわふわしていてつかみ所が無い。


「私、記憶を思い出せますか?」

「強く望めば願いは叶うよ」

「私、クティさんとずっと一緒に居られますか?」

「君が諦めなければ一緒に居られるよ」


 優しい笑顔と力強い言葉に千春は泣きそうになった。この言葉が欲しかったのだと心が叫ぶ。千春のためなんて言葉聞きたくない。たとえ不幸になったって千春はクティと一緒に居たかった。


「決意も決まったところで、そろそろ時間かなあ」


 名残惜しげに少年はそういって上を見上げた。釣られて千春も上を見ると、まばゆい光が降ってくる。朝の日差しのような光に目を細めていると部屋の輪郭が薄れていく気がした。

 夢から覚めるのだと気づいた千春は慌てて少年を見る。バイバイと手をふる少年に向かって千春は叫んだ。


「名前! あなたの名前は?」

「僕の名前は羽澤トキア。この名前を言えば変食さんは喜んで協力してくれると思うよ」


 そういうと少年――トキアはにっこり笑う。どこか含みのある言い方に疑問を挟む時間もなく千春の意識は白く塗りつぶされた。

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