4-3 先輩
ホームルームが終わり、先生が教室を出て行く姿を、千春はぼんやり見送った。部活がある者は早足に、予定がない者はのんびり帰り支度を始める。視界の端に教室を出て行く千波の姿が目に入る。いつもは挨拶してくれるのに、今日はない。そういえば今日一日、千波は千春に寄りつかなかった。
朝は挨拶してくれただろうかと記憶を探るが、千春自身も考え事をしていたため、全く思い出せない。ずっと考え続けていたというのに、答えが出なかったことにため息がもれる。
「藤堂さん」
気づけば瀬川が隣に立っていた。千春が驚きで体を跳ねさせると、瀬川は困った顔をする。
「今日、どこかよってく?」
こちらを気遣うような瀬川の問いに、千春は視線を泳がせる。慣れない考え事をしていたせいで、千春のお腹は空腹を訴えかけているが、いつものように瀬川と二人で買い食いする気にはなれなかった。千春はもう知っている。瀬川は千春のことが好きなのだ。
「えっと、愛澤先輩のとこ行く」
とっさに出た言葉だったが、それは名案のような気がした。瀬川と一緒に居るのが気まずくて、千春は慌てて立ち上がると、いつもより乱暴に教科書やノートを鞄に詰めた。瀬川は「そっか」と曖昧な顔で笑った。傷ついているようにも見えたし、安堵しているようにも見えた。それに対して千春は何も言えない。答えが出ない状態で、中途半端に気遣う方が悪いことのような気がした。
「藤堂さん、また明日」
「また明日」
笑いかけてくれた瀬川に手を振る。瀬川は穏やかな笑みを浮かべて、手を振り返してくれた。良い子なのである。千春の体質に引いたりしないし、気遣い上手で優しくて、明るい。一緒にいて楽しい友達だと千春は思っている。
でも瀬川は友達ではなく千春と恋人になりたいのだ。それを考えると頭の中がぐちゃぐちゃになる。
まとまらない思考を振り払うように、千春は廊下を走る。すれ違った生徒に驚いた顔をされたが、構わずに階段をかけおり、三年教室まで一直線。その勢いのままドアを開くと、まだ中にいた愛澤と他の生徒が驚いた顔で千春を凝視した。
「愛澤先輩! 一緒に帰りましょう!」
「えっ、あ、うん」
いつもよりも大きな声で呼びかけると、愛澤が唖然としながら返事をした。一緒にいる先輩はいない。運動部だと聞いたから、千波と同じく部活にいってしまったのだろう。
愛澤がまだ居てくれて良かったと思いながら、ずかずかと三年の教室に入っていく。衝撃が抜けきらないのか、動かない愛澤の机まで移動すると、愛澤ははじかれたように立ち上がる。慌てて鞄に荷物を詰め込むと、早足で教室を出て行こうとした。千春も慌てて後を追う。
廊下に出て周囲を軽く見渡した愛澤は、肩を落としながら千春に恨めしげな視線を向けた。
「お前、一年なんだから、三年教室に来るときはもうちょっと遠慮しろ」
愛澤は顔をしかめながらそう言って、昇降口に向かって歩き出す。千春はそれに続きながら首をかしげた。千春の反応を見て何かを悟ったのか、愛澤は息を吐いた。
「普通の一年生は、三年生が怖いものなんだよ」
「そうなんですか? 二年しか変わらないのに」
「中学生の二年は大きいんだよ。普通は」
普通を愛澤は強調した。千春が普通ではないのだと、暗に伝えてくる態度にムッとする。
「そんなこと言われても、私にはよく分からないですし、瀬川さんと千波さん以外には愛澤先輩しか友達がいないんです」
千春の言葉に愛澤は足を止め、驚いた顔で千春を振り返った。
「友達?」
「先輩とは友達になれないんですか?」
上下関係というものが千春にはよく分からない。学校で生活していくうえで、皆自然と学んでいくようだが、病院では年齢差など関係ない。年上のお兄さんやお姉さんが居たが、年上だから敬わなくちゃいけないなんて空気はなかった。むしろ、年上だからこそ年下の千春や他の子を気にかけて遊んでくれた人が多く、千春にとって年上とは頼れる存在だ。
しかし、学校では年上は怖い存在で敬わなくてはいけなくて、目をつけられると大変らしい。
千春の問いに愛澤はなんとも言えない顔をした。困っているようでもあり、恥ずかしがっているようでもある。その反応も千春からするとよく分からない。
「私、愛澤先輩とは片想い仲間だと思ってたんですけど、親近感抱いてたのは私だけですか?」
「……嫌な仲間にするな」
今度こそハッキリと愛澤は顔をしかめた。
「俺とお前じゃ状況が違うだろ。アモルちゃんは俺の気持ちに気づいてないけど、クティさんは気づいて見ないふりしてる。っていうか、お前のためを思って、身を引こうとしてるんだろ」
「私のためを思ってで、何で身を引くってことになるんですか」
「大人が中学生に手をだしたらまずいだろ」
「それ人間の法律と倫理観ですよね」
八つ当たり気味に愛澤を睨み付けると、愛澤は視線をそらした。愛澤も自分で言っていて変な話だと思ったのだろう。クティは人間じゃないから人間の法律なんて関係ないし、倫理観も関係ない。クティの歴代契約者には、子供だっているだろう。食事さえ出来れば相手は誰でも良いのだから。
「マーゴさんだって言ってただろ。クティさんと関わり続けたらお前はまた消えるかもしれない。クティさんの力だって万能じゃないんだから、またやり直せるかも分からない」
愛澤の声は固い。本気で心配してくれているのだと分かった。
「じゃあ、私はクティさんを諦めて、瀬川くんと付き合えばいいんですか」
前を歩いていた愛澤が勢いよく振り返る。千春は驚く愛澤を、ふくれっ面で見つめた。
「……告白されたのか?」
「されました」
「よく勇気だしたな」
感心したように愛澤はいう。その様子を見て、愛澤は瀬川の気持ちを察していたのだと分かった。
「愛澤先輩は瀬川くんの気持ち、気づいてたんですね」
「あんなに分かりやすくて、気づくなっていう方がおかしい」
「……私は気づきませんでしたけど」
「まあ、当事者だから分からないってことはあるよな」
愛澤は視線をさまよわせた。愛澤なりの気遣いだと分かっているが、愛澤は千春のことを鈍感だと思っていたようだ。
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