3‐8 記憶

「私からみて千春ちゃんは不安定に見える」

「千春ちゃん、愛子さんと一緒で病弱だったんだって。ほら、モルさんとボクがクティさんに病院に連れていかれたことあったでしょ? あの病院に入院してたのが千春ちゃん」


 マーゴの説明に愛子は目を見開き、続いて泣きそうに歪んだ。千春が愛子と自分を重ねたように、愛子も千春に過去の自分を見ているのが分かった。


「外レるには素質と執着と切っ掛けが必要。千春ちゃんはきっと幽霊を受け入れやすい体質だった」

 意味がわからず千春は目を瞬かせ、幽霊を食べるというマーゴを見つめた。マーゴの方は一人でなにかを納得したらしく大きくうなずいている。


「千春ちゃんの病気を食べるためにモルさん連れて行ったのは納得だけど、なんでボクまでって思ってたんだ。千春ちゃんが生きるために幽霊を取り込まないようにってことか」

「と、取り込む!?」


 瀬川が大きな声をあげる。千春も叫び出したい気持ちだった。


「私、そんなことができるんですか!?」

「今はできないよ。火事場の馬鹿力みたいなもの。死にたくないって思いが強すぎて、生きるために足りないものを補うために幽霊とか自然エネルギーとかとにかく片っ端から取り込んじゃう人が偶にいるの。千春ちゃんは小さい頃から死に近かったから、生者でありながら死者に近づいてた」


 分かるような、分からないような説明に首をかしげる。


「ボクは物理的に食べたけど、千春ちゃんは掃除機みたいに吸い込んだってこと」

「……無意識か意図的かの違いで、結果的には私も幽霊を食べちゃったってことですか?」

「そういうことになるね」

 

 笑っているマーゴと対象的に千春の眉間にはシワがよった。マーゴのことは嫌いじゃないが同じことをしたと言われると微妙な気持ちになる。いくらお腹が空いていても幽霊を食べようとは思わない。


「千春ちゃんはクティさんの力で一度やり直してるのよね?」

 愛子の問いに頷く。今まで感じた既視感はそうとしか説明ができない。


「となると、やり直す前の千春ちゃんは条件がそろって外レた。そのあと私達と一緒に生活しクティさんと仲良くなった」

「でも何かがあってクティさんは千春ちゃんを過去に戻して、千春ちゃんが外レないように根回しをした。って感じ?」

 マーゴの補足に愛子が頷く。アモルはよくわからなくなってきたのか首をかしげているし、瀬川も頭を抱えていた。


「……なんでクティさん私を過去に戻したんでしょう」


 マーゴのことも、初対面の愛子とアモルのことも千春は好意的に思っている。初めて会った気がしない。ずっと一緒にいた友人、もしくは姉のような親近感を覚えている。だから変食さんたちとの関係は良好だったと思いたい。

 千春の問いかけに愛子は目をそらした。

 

「外レ者ってほとんど生き残れないのよ」

 予想外の言葉に千春は固まった。話を聞く限り変食さんは長い年月を生き、特別な力を持っている。そんな存在が生き残れないとはどういうことなのか。


「決まったものしか私達は食べられない。そして食べるものを自分では選べない。体がそれを求めても気持ちが拒絶する。そういうこともある。特に元人間は変化に耐えられない」


 愛子はそういうと深く息を吐き出した。


「私は人を不幸にしなければ生きられない。今は折り合いをつけているけど、外レた当初はとても悩んだ。人を不幸にするくらいなら自分が死んだ方がいいんじゃないかとも思った」


 その言葉はとても重い。ずっと笑っていたマーゴが気遣うように愛子を見つめた。


「でも結局私は死ねなかった。死ぬのが怖かった。だから生きるために人を不幸にし続ける道を選んだ。けれど、あなたは選べる?」

 

 愛子はじっと千春の顔を見る。百年以上生きているとは思えない皺ひとつない綺麗な肌。街を歩けば声を掛けられそうな愛らしい顔立ち。しかしそこには外見とは釣り合わない重苦しい何かがのしかかっているように感じた。


「あなたは私と同じ境遇だった。だから食べる対象も私と近いと思う。きっと誰かから何かを奪わなければ生きられなかった」


 だから耐えられなかったという言葉を愛子は口にしなかった。それでも千春には十分伝わった。人間じゃなくなった時の記憶などないのに胸の奥で何かがうごめている。それが悲しみなのか怒りなのか、ただ荒れ狂う感情からは読み取れなかった。

 

「アモルはよく分かんないデス。人間だって動物、植物の命をうばってマス。なんでアモルたちだけ悪者扱いされるんデスカ」

 子供のように頬をふくらませるアモルに愛子は困った顔で笑った。


「生きることは食べること。食べるということは何かの命を奪うこと。だけど人間は、自分と同じ物を食べることを拒絶する。いえ、仲間同士で殺し合わないために刻み込まれたルールなのかも」


 アモルはよく分からなかったらしく首をかしげた。恋の服を引っ張って「恋くんわかりマスカ?」と聞いているが恋も曖昧な顔で笑った。

 恋はきっと分かっている。わかっているけれどアモルに説明する気はなさそうだ。アモルもそれを感じたらしく先程と同じように頬を膨らませた。


「完全に私達側に変化できるかどうかの試練ともいえる。私達は大食いじゃないと生き残れない。マーゴくんみたいに人間性をなくさないと成長できないのよ」

「ボクのこと人でなしみたいにいう」


 マーゴは不満そうにそういったが、今までの言動を考えると否定ができない。誰もフォローしてくれないのを見てマーゴは不貞腐れた様子で机の上に顎を乗せた。


「人間は生まれ変わることができるけれど、私達はできない。死んだらそれでおしまい。クティさんはきっと千春ちゃんに消えてほしくなかったのね」

「……それだけ前の私は好かれていたって思っていいんですか?」

「クティさんがこんな面倒な根回しするところなんて私はみたことない。千春ちゃんはクティさんにとって特別だったんだと思う」


 愛子は柔らかく笑う。母親みたいでありお婆ちゃんみたいでもあった。前にもこの表情を向けられたことがあるような気がして懐かしさと切なさを覚える。


「でも、私はそれを覚えてません」


 クティは千春のことを大事に思ってくれている。そうしたいと思えるほどの積み重ねが千春とクティの間にはあったのだ。

 けれど、千春にはそれがない。離れたくないと思う。ずっとそばにいたいと思う。それなのにどうしてそう思うのかが分からない。


 千春を気遣うように愛子が優しく頭を撫でてくれる。母親の手に比べると柔らかくて小さいのに、何度も撫でられたことがあるような懐かしさを覚える。それなのに、やはり記憶は一つもない。それに鼻の奥がツンとして、千春は泣き出したくなった。


「でもさ、千春ちゃん完全に記憶が消えてるわけじゃないよね?」

 マーゴの言葉に顔をあげる。テーブルの上に顎を乗せていたマーゴはいつのまにか姿勢を正して千春を見つめていた。


「メモリアが食べたら本当に全部忘れるはずなんだよ。クティさんを覚えているはずないし、この家の間取りだって覚えているはずない。ボクらが人間じゃないって話だって、普通ならすぐには信じない。そこの子みたいに」

 マーゴが指さしたのは瀬川だった。突然話に巻き込まれた瀬川はうろたえる。


「食べたものは戻ってこない。メモリアが食べたなら千春ちゃんの記憶は間違いなく消えてるはず。それなのに中途半端に残ってる。これってなんでなんだろう」

 自分でいいながらマーゴは腕を組み首をかしげた。答えが見つからないらしく「うーん」と唸り声を上げている。


「メモちゃんが食べ残したのデスカ?」

「既視感だけ残すなんて器用な食べ方できるかな? 未来のメモリア超成長してるの?」

「超成長している可能性は捨てられないけど、言われてみれば変ね」


 変食さんたちは顔を見合わせた。


「意図的に残したのだとしたらメモリアは千春ちゃんの記憶を消したくなかった? でもそれなら、最初からクティさんに協力しないわね」

「メモちゃん、嫌なことは絶対やらないデス」

「そもそもメモリアが協力したっていうのが不思議。報酬貰わなきゃ基本動かないでしょ」


 マーゴと愛子はそろって眉を寄せた。アモルですら顔をしかめている。

 メモリアという変食さんに会ったことがない千春は三人の会話を黙って聞いていることしかできなかった。恋もメモリアに関しては詳しくしらないらしい。ずっと居心地悪そうな顔をしている瀬川は論外だ。


「少しでも残っているなら……メモリアなら見えるかもしれない」

「それ本当ですか!?」


 愛子のつぶやきを聞いた瞬間声が出ていた。早く答えてほしいと愛子に詰め寄るが、愛子は千春が目に入っていないかのように考え事に集中している。

 少しの間をおいてから愛子は千春と目を合わせた。


「詳しいことはメモリア本人に聞いてみないとわからないけど、可能性はあると思う」

「メモリアさんは今、どこに?」

「それが分かんないんだよねえ。メモリア、全国を転々としてるし、気まぐれだから」

 マーゴが肩をすくめる。愛子も申し訳無さそうに目を伏せた。


「一応連絡はしてみるけど、返事が返ってくるかは五分五分ってところね」

「本当に気まぐれなんですね」


 恋が呆れた顔でいうとアモルが「メモちゃんは猫さんなんデス」とにこにこ笑う。

 千春は肩を落とす。クティが過去を教えてくれる気がない以上、メモリアに頼るしか道はない。なるべく早く会いたいのが本音だがそれを言っても愛子たちを困らせるだけだろう。


「連絡とれたら教えてください」

「えぇ。すぐ教えるわ。連絡先はマーゴくんが知ってるのよね?」

「知ってる〜」


 マーゴはそういうとポケットから取り出したスマートフォンをひらひらとふった。動かすたびにお菓子を模したキーホルダーが揺れる。女子高生が持っていそうな私物だがマーゴは不思議と違和感がない。


「お菓子と紅茶くらいは出してあげるから、食べて飲んだら帰りなさい。聞きたいことは聞けたでしょ」


 そういうと愛子は立ち上がった。千春はもっと話が聞きたくて、引き留めようと手を伸ばしたがするりと躱される。

 クティといい、まだ会ったことのないメモリアといい、変食さんはみんな猫みたいだ。


「モルさんにも話を聞いてみたいんですけど」

「モルはダメ。あの人は人間を怖がってるの」


 足を止めた愛子は今までに比べて険しい顔をした。それは大事なものを傷つけられないようにと周囲を威嚇する動物のようで、愛子にとってモルがどういう存在なのか察するには十分だった。

 そんな態度を見せられては引き下がるしかない。千春が黙り込むと愛子はさっさとドアの向こうに消えてしまう。そちらは台所やお風呂などの水回りがまとめられている空間だと千春は知っていた。

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