3‐7 食べ物
「話が全然わからないんですけど、どういうことですか。人として生きて死んだ方がいいって、それじゃまるで……」
「私たちは人間じゃない」
瀬川の言葉を遮って愛子は力強い口調で告げた。千春の手を握りしめたまま顔だけを瀬川に向ける。瀬川は大きく目を見開いてポカンと口を開けていた。
「人間じゃないって、そんな冗談。俺もう中学生ですよ? さすがに引っかかりませんよ」
瀬川が乾いた笑みを浮かべながら同意を求めたのは恋だったが、恋は神妙な顔をしている。恋に抱きついたままのアモルはじっと瀬川を見つめている。それは今までの無邪気な表情とは違い、飛びかかるタイミングを見計らっている猫のようだった。アモルに比べるとマーゴは変わらず笑顔だ。しかし重い沈黙が満ちる現状では場違いといえた。
誰も愛子の言葉を否定しない。冗談にしては真剣な空気に瀬川の表情が引きつる。ウソだよねという視線を向けられた千春は頭を左右にふった。
「愛子さんが言っているのは本当。ここにいる人たちは人間じゃない」
「で、でも見た目は……」
「見た目が人と同じだけで中身は別物。私とアモルちゃんはこう見えて百歳を超えてる。マーゴくんは八十歳くらい」
驚愕する瀬川を放置して相変わらずマーゴはニコニコ笑っている。瀬川は愛子、アモル、マーゴを順番に見て、信じられないと引きつった笑みを浮かべた。
「皆で俺を騙してからかうつもりですか?」
「信じられないのも無理はない。って言いたいところだけど、お前アモルちゃんの食事みただろ?」
黙っていた恋が口を開く。
「食事?」
「商店街でみただろ。アモルちゃんがキスするところ」
その言葉をきいた瞬間、瀬川の顔が青ざめた。
「この人たちは特殊なものを食べて生きている。アモルちゃんは恋、マーゴさんは幽霊、愛子さんは」
「幸福」
温度のない愛子の一言に瀬川が息をのむ。千春も愛子を凝視した。
「私は生まれた時から病弱だった。私の家は当時にしては裕福だったからお医者様にかかることも出来た。けれど外には出られず、外で駆け回る同世代の子供たちを見て育った。いつかはきっとよくなる。私はそう思って我慢し続けたけれど、私の体はまるでよくならなかった」
愛子の語る光景が千春の過去とつながった。いつもベッドから外を眺めていた自分。病院の中を、庭を駆け回る同い年くらいの子供たち。仲良くなってもすぐに退院してしまう友達だと思っていた子たち。希望にすがっても、どれだけ望んでもだんだんと衰えていく体。
「もうすぐ死ぬ。そう自分でも分かった時、私は健康な人間を憎んだ。私は死ぬのになんで私以外は元気でいられるのかと。私にはない彼らの幸運を心底憎んだ」
血がにじむような憎悪の声に鳥肌がたつ。穏やかにみえた愛子の顔が化物のように歪んでみえた。しかしそれは一瞬のことで、もとに戻った愛子は小さく息をつくと千春と目を合わせる。
「だから私は外レた時、人の幸福を食べるようになった。幸福というものに人一番執着していたから」
「人間からボクら側に変化する場合、一番執着しているモノを食べるようになるんだって」
のんびりとした口調でマーゴが引き継ぐ。先ほどの愛子の憎悪を見た後ではマーゴの笑顔も恐ろしく見えた。
「ボクはとってもお腹がすいてた。ボクのお母さんはお兄ちゃんばっかり可愛がってさ、ボクに食べ物はくれなかった。お腹がすいて、何でもいいから食べたくて仕方なかった時、ボクの目の前に幽霊が現れた。その幽霊を見たときにボクは思ったんだ」
マーゴは当時を思い出すように恍惚の表情を浮かべた。
「美味しそうって」
怖気が走り、マーゴからとっさに距離を取ろうとした。しかし背中にはソファの感触。隣には愛子がいる。マーゴは千春の変化には気づいていないようで上機嫌に鼻歌を歌っていた。その姿が異様で千春はマーゴという存在を初めて怖いと思った。
「食べられたら何でも良かったんだよ。で、目の前に幽霊がいたから食べた。だからボクは幽霊を食べるようになった」
「いつ聞いてもゾッとする話」
愛子が自分の体をさすっている。愛子から見てもマーゴの話は恐ろしいらしい。アモルは「美味しくてよかったデスネ」と無邪気なことを言っているが、恋と瀬川も顔色が悪かった。
「食べるものは変えられない。生き続けるには他人の幸福を奪い続けなければいけない」
愛子は千春の手をぎゅっと握りしめた。
「あなたが外レた時、何を食べるようになるか私には分からない。分からないけれど、何であっても辛い。人間の友達とは一緒に生きられない。普通でもいられない。外レなければ良かったと一生苦しむことになると思う」
「ちょっと待ってください。藤堂さんは!」
「外レかけなんですよね」
瀬川の言葉を遮って恋が愛子に質問した。愛子は恋と顔を合わせて深く頷き、千春の手を離して瀬川と向き直った。
「あなたからすれば信じられない話でしょう。ウソだと思うのも騙されてると感じるのも無理はない。でもこれは本当の話。あなたの友達は外レかけている。人間ではない私たちと同じ化物になりかけてる」
「化物ってひどくない?」
ふてくされたマーゴを愛子はにらみつけて黙らせた。
「マーゴくんを見れば分かるでしょ。この子は元々人間だったとは思えないほど道徳心がない。マーゴくんの場合は人間だったころの環境も悪かったんだろうけど」
愛子はチラリとマーゴを見たがマーゴは変わらず笑っている。母親に食事を与えられなかったという悲惨な過去を世間話のように語った姿を見た後では、愛子の言葉は説得力があった。
「アモルちゃんが見た目に反して言動が幼いのは生まれたときから外レているから。外レ者、特に生まれつきは食事を取りやすい容姿に成長する。アモルちゃんの外見が美人なのは人間に好かれるため。クティさんの見た目が良いのもそう」
「クティさんは生まれつきなんですか?」
千春の問いに愛子はうなずいた。
「生まれつきは人と異なる価値観と常識で生きてる。食事をとるために人間社会に紛れ込んでいるだけで、人間を喋るご飯くらいにしか思ってない」
「アモルは恋くん好きデスヨ!」
アモルが非難の声をあげて恋を抱きしめた。しかしそれはお気に入りのぬいぐるみを抱きしめる幼い子どものようで、恋の気持ちを気遣っているようには思えない。
「アモルちゃんが恋くん大好きなのは知ってるけど、それってどういう好きなの?」
「一緒に遊びたいなって好きデス!」
元気いっぱいに答えるアモルにマーゴが苦笑した。恋も困った顔で笑っている。
恋はアモルが自分を恋愛対象として見ていないことをよく分かっている。わかったうえで一緒にいるのだと気づいた千春は恋に八つ当たりをした過去の自分を恥じた。
恋は変食さんと人間との感覚の違いを知っていた。その溝が埋まらないことも体験していた。だから自分と同じ道を歩もうとする千春に忠告してくれたのだ。千春よりもよほど周囲が見えて大人だった。
「クティさんはあなたを気に入っている。だから外レてほしくなくて突き放してる」
愛子はそういうと千春の目を覗き込んだ。私の言っている意味が分かるよね? と問いかけてくる愛子の瞳は長い年月を感じさせるもので、千春は言葉に詰まる。
「このままだと藤堂さんも人間じゃなくなっちゃうってことですか」
瀬川の声がいつもより低い。顔立ちも引き締まり、何だか知らない人のように見えた。
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