3-6 裏切り

 クティは千春を一瞥すると不機嫌な顔のまま部屋に戻る。乱暴に閉められたドアが機嫌の悪さを物語っていて、マーゴの言葉につられて何も考えずにやってきてしまったことを後悔した。

 クティのことを知りたい。一緒にいたい。だからこそ嫌われては意味がない。今後あってくれないかもしれない。そんな不安に千春の体は冷えて切っていく。


「驚いた。クティさんが許すなんて」

 だから、ポツリとつぶやかれた愛子の声に千春は驚いた。ソファに座った愛子はクティが消えた部屋を見つめて目を丸くしている。


「クティ兄さん、やっぱり千春ちゃんにラブデスネ!」

 恋に抱きついたままのアモルも楽しげに笑っている。そんな二人の反応に瀬川と愛澤は戸惑っていた。千春も二人と同じ気持ちだ。


「怒ってませんでした?」

「めちゃくちゃ怒ってた。ここ数ヶ月で一番機嫌悪かった。だから、さっさと居なくなったのが驚き」


 いてて。と呟きながらマーゴが体を起こす。締められた体を確認するようにゆっくり体を動かすと愛子とアモルと同じようにクティの部屋を見つめる。


「半殺しにされて外に放り出される覚悟してたのに」

「半殺し!?」

 マーゴの呟きに瀬川が悲鳴を上げた。


「そ、そんな怖い人なんですか!?」

「怒らせたらとっても怖いデース! アモル、クティ兄さんだけは怒らせたくありまセン!」

「暴力よりも精神攻撃がきつい」

 噛みしめるように愛子はそういってから未だ動けずにいる千春を見つめた。


「本当にクティさんに気に入られているのね」

 愛子の言葉に被せるようにアモルが「ラブデス!」と楽しげに笑う。千春は二人の言葉が飲み込めず目を瞬かせた。


「……嫌われてませんか?」

「クティさん、本当に嫌いな相手だったら問答無用で外に放り出すから。さっきのボク見てたら分かるでしょ。細身に見えて力あるんだよ」


 千春よりも身長が高いマーゴをあっさり抑えつけられたのだ。千春を外に放り投げるなどクティには簡単だろう。それができるのにしなかったということは家にいることは許してくれたのだ。


「じゃあなんで一緒に遊んでくれないんですか……」

「クティさんが考えてることなんてボクには分かんない。愛子さんなら分かる?」

 ふられた愛子は肩をすくめた。アモルは元気いっぱい「アモルもわかりまセン!」と手を上げている。


「マーゴくんが言うとおり、あなたがクティさんに気に入られているってことしか私には分からない。でもクティさんは気まぐれだから、気に入られているからって調子にのると酷いめにあうよ」


 止めておきなさいと口に出さないだけ愛子は優しい。千春の気持ちをくんだうえで忠告をくれたのだ。

 引いた方がいいのだろう。連絡先も教えてもらえず、家に来たら邪険に扱われた。マーゴたちは千春は気に入られているといっているが、隣を許されているわけではない。クティと千春の間にはハッキリと壁があり、千春がどれだけ壁を壊そうとしても壁はびくともしない。


 その場にしゃがみ込んだまま考え事をしていると勢いよくドアが開いた。いつものようにド派手な格好したクティが部屋から現れ、動かずにしゃがみ込んでる千春を一瞥すると眉を寄せる。


「おい、瀬川拓海」

「うぇあい!」


 いきなりクティに声をかけられた瀬川が変な返事をした。クティが瀬川に話しかけるなんて思っていなかったので千春を含めて全員が驚いた顔をしている。

 クティは千春をじっと見つめた後、瀬川をにらみつけた。


「好きなら離すな。取り返しがつかなくなるぞ」


 固い口調でそう告げるとクティはさっさと部屋を出て行った。もう千春への興味は失せたのか視線すら合わせてくれない。追うには勇気がたりなくて千春は肩を落とした。そんな千春の背をマーゴがなでてくれる。


「さっきのどういう意味ですか?」


 戸惑った瀬川の声が聞こえる。千春も気になったのでのろのろと起き上がるとソファへ向かった。アモルと恋の隣に座る気にはなれずどうしようかと思っていると愛子が横にずれてくれる。

 瀬川、愛子、千春の順番にソファに座る。マーゴはどこからかクッションを持ってきて床の上に座った。マーゴも恋とアモルの隣に座るのは気まずかったらしい。

 愛子が千春にマグカップを差し出す。中に入っていたのは紅茶。良い香りを吸い込むと少しだけ気持ちが落ち着いた。

 

「クティさんが意味深な言い方をして他人を振り回すのはいつものことだけど」


 千春が落ち着いたのを見計らってから愛子が口を開く。恋は顔をしかめ、瀬川はなんとも言えない顔をした。瀬川の中のクティの評価が二転三転しているのが表情だけでもよく分かった。


「今回のは真面目に瀬川くんへのメッセージだと思う。君たちを追い出さずに自分が出て行ったことを考えても」

「たしかに。クティさんだったら千春ちゃん、恋くん、瀬川くんを追い出すなんて簡単だもんね」


 猫みたいに首根っこを捕まれて外にポイポイと放り出される自分たちを想像した。それに比べればいることを許してくれただけ温情なのかもしれない。


「あの驚きようからして千春さんがここに来るのは見えてなかったはず。それでも放置したってことは、クティさんにとって悪くない未来が見えたんじゃないかな」

 愛子の言葉にマーゴが顔をしかめた。


「えぇー。結局クティさんの思惑通りってこと?」

「クティ兄さんの力は強いデス! 逃げるの無理!」


 そういってアモルは恋の腕をぎゅっと抱きしめた。密着するほどに恋が苦虫をかみつぶしたような顔をする。おそらくは必死に押しつけられるものに意識を向けないようにしているのだろう。


「せっかく、千春ちゃん連れてくれば面白いクティさん見られると思ったのに」


 テーブルの上に顎をのせ、マーゴはふてくされた顔をする。あんなに痛がっていたのにもう忘れたらしい。ある意味すごいと千春はマーゴを見つめた。このくらい気にせずつきまといにいけばクティの視界に入れるのだろうかと考えて、上手く想像できずにやめた。マーゴの気安さはクティとの付き合いの長さによるものだろうから、出会ったばかりの千春がやって成功するとは思えない。

 覚えていない前にどれだけの付き合いがあったのか千春には分からない。聞いてもクティは教えてくれない。そんな確信だけはあった。


「結局、皆さんはどういう人で藤堂さんとどういう関係なんですか」


 瀬川が探るような視線を向ける。特にアモルのことは警戒しているようだ。アモルの方は瀬川に覚えがないらしく不思議そうに首をかしげていた。


「私と千春さんは今日が初対面。マーゴくんは知ってるのよね?」

 マーゴが頷くと続いてアモルが元気に声をあげた。

「アモルも知ってマス! この間、商店街で会いまシタ!」


 アモルの答えを聞いて愛子は恋に視線を向ける。


「藤堂さんと瀬川さんは同じ学校の後輩です。商店街の後、藤堂さんにクティさんの話を聞きたいと言われて」

「俺は藤堂さんと同じクラスで、藤堂さんが愛澤先輩のところに行くっていうから心配でついて来て……」


 そこで瀬川はチラリとアモルを見た。愛子は無邪気に笑っているアモルを見てある程度の事情を知ったらしくため息をつく。


「アモルちゃん。見られないように気をつけなさいって言ってるでしょ」

「アモル気をつけまシタ! でも、気づいたら見られてまシタ! びっくりデス!」


 アモルはそういうと首をかしげた。その仕草はやはり幼い。アモルを怖がっていた藤堂も幼すぎる仕草を見るとどう反応していいか分からなくなったらしく、戸惑った様子でアモルと恋を見比べていた。


「千春さんが接点ってことね。千春さんはクティさんとはどこで?」

「駅であったことは覚えてます」


 千春の返答に愛子は眉を寄せた。


「覚えてるっていうのは?」

「覚えてないだけで前にあったことがあるはずなんです。たぶん、マーゴさん、アモルさん、愛子さんとも会ったことがあると思うんです」


 千春の言葉にアモルと愛子は顔を見合わせた。恋は神妙な顔、マーゴは楽しげで、瀬川は話について行けないらしく目を瞬かせている。


「話を聞く限り、千春ちゃんはクティさんの力でやり直してると思うんだ。違う分岐ではボクたち一緒に暮らしてたんだよ。だからクティさんの部屋にも迷わずたどり着けた」

「記憶は? クティさんの力は記憶は消せない」

「ボクはメモリアが手伝ったんだと思ってる」


 愛子はしばし目を伏せた。情報を整理しているようだ。アモルは話の流れが分からなかったらしく、恋の手を引いて「どういうことデスカ?」と質問している。恋は困った顔でアモルを見返していた。アモル以上に状況が理解できていないのは瀬川で膝の上に両手をのせて先ほどから百面相を繰り広げている。


「……なんとなく分かった。クティさんが瀬川くんを追い出さなかった理由も、瀬川くんに言った言葉の意味も」


 愛子は自分を納得させるようにゆっくりと言葉を紡いで、それから千春と目を合わせた。膝の上にのせられていた千春の手を愛子はぎゅっとつかむ。


「私はクティさんの考えに賛成。あなたはこのまま人として生きて死んだ方がいい」


 愛子の瞳は真摯で優しい。千春のことと心から考えてくれているのが伝わってくる。それなのに千春はなぜか裏切られた気持ちになった。

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