3-5 知ってる間取り

 マーゴが瀬川と愛澤の分のスリッパを用意しているのが視界の端に映る。家主を無視して中に入るのは失礼だ。そのくらいは病院生活が長い千春でも理解できたが、体が先へ行けと訴えかけてくる。奥にクティがいる。そんな直感に突き動かされて、千春は廊下を走った。


「藤堂さん!?」

「千春ちゃん?」

 瀬川の驚いた声とマーゴの戸惑った声が後ろから聞こえる。それでも千春の足は止まらず、目の前に近づいたドアを開ける。


 ドアを開けると広い空間に出た。二階までの吹き抜けになっており、左右にドアが並んでいる。このドアがここに暮らす者たちの私室であることを千春は知っていた。クティの部屋がどこにあるのかも。

 一階右側、手前から三番目のドアに駆け寄った。ここだと直感が告げる。握ったドアノブの感触に懐かしさを覚えた。何度も、何度も、このドアノブを握ってドアを開いた気がする。

 背後から人が近づいてくる気配がした。マーゴたちが追いかけてきたのだと分かっても千春は止まらず、目の前のドアを開いた。


 中は昼間だというのに真っ暗だった。窓にはカーテンが引かれていて、部屋の中がぼんやりとしか見えない。それなのに千春は迷うことなくベッドへと向かって歩くことができた。どこに何があるのか千春には分かっていた。まるで何度も訪れたことがあるように。


 ベッドにはクティが枕を抱きしめるようにしてうつ伏せになって眠っていた。いつも大量につけているアクセサリーとピアスはベッド脇のチェストに並べておいてある。怪しい印象を強めるピアスがなくなると、顔の造形が整っていることがよくわかる。枕を抱きしめる姿は無防備で、なんだか幼い子供のようだ。

 ベッドに手を置いて寝顔をじっと見つめる。至近距離で見つめてもクティは気づかない。規則正しい寝息が聞こえて千春の胸は高鳴った。ずっと見ていたい。同時に瞳が閉じられていることに不満を覚えた。クティの瞳は不思議な色合いをしていて近くで見つめるととてもきれいなのだ。もっと近くでその目を見たいと思うと自然と手が伸びていた。


 頬に触れるとやわらかく、温かい。もっと堪能していたかったが触られたことに気づいたのかクティが身じろぎした。むずがるように眉を寄せ、閉じていた瞳がゆっくりと開く。

 暗い部屋の中でもその瞳は輝いて見え、千春は思わず吐息をこぼした。そんな千春をクティはじっと見つめている。視線が数秒絡み合い、少しの間をおいてからクティの瞳が見開かれた。


「なんで、千春が!?」


 大声と同時にクティが飛び上がり、慌てて千春から距離をとった。虫でも見つけたような反応に不満を覚える。頬を膨らませながらクティを見上げるといまだ状況が呑み込めないらしいクティは固まったまま千春を凝視していた。


「クティさんおはようございまーす。千春ちゃん、よくクティさんの部屋わかったね」


 のんきな声と共にマーゴが部屋に入ってきた。慣れた様子で窓まで移動しカーテンを開ける。日差しが差し込んで部屋が明るくなると暗闇では見えなかったクティの姿がハッキリ見える。いつもは目立つ色の服を着ているが、今は黒のタンクトップにスウェットパンツ。滅多に見られないラフな姿にときめいた。


「なんで千春ちゃんがここにいるんだよ、マーゴ!」

「一緒に遊びたかったので!」


 元気いっぱいに返事をするマーゴを見て、クティの額に青筋が浮かんだ。勢いよくベッドから降りたクティは怒りの形相のままマーゴに向かっていく。マーゴはそこでやっとまずいと気づいたらしく青い顔をして逃げだした。それを追ってクティは部屋を飛び出す。

 あっという間の出来事を千春はただ見送った。部屋の外からマーゴの悲鳴とクティの怒声が聞こえる。


 状況に頭が追いつくと残念な気持ちになる。もっとクティを眺めていたかったのにと思いながら渋々立ち上がるが、すぐに出ていく気にはならずに部屋の中を見渡した。


 それほど広くない部屋の中にはベッドの他に机がある。机の上にはノートパソコンがおいてあり、クティもパソコンを使うのかと不思議な気持ちになった。部屋の半分を占領するハンガーラックにはたくさんの服がかかっている。どれも目立つ色合いで千春には到底似合いそうになかったが、クティが着ている姿を想像するとしっくりくるから不思議だ。

 部屋の中を物色したい気持ちにかられたが、それはダメだろうと頭を左右に振る。マーゴの悲鳴が断片的に聞こえるのも気になって千春はクティの部屋を出た。


 ドアを開けてすぐに広がるリビング。その床にマーゴが倒れており、クティが馬乗りになって関節技を決めていた。プロレス技っぽいなと思ったがどういう名前の技かはわからない。ただ床を勢いよくたたくマーゴの様子から相当痛いということは分かった。

 そんな二人を愛澤はあきれた顔で、瀬川は青い顔で見つめていた。瀬川はクティを止めようとしているようだが止め方が分からないらしくずっとオロオロしている。


「クティさん、ギブ! 体がちぎれる!!」

「体はそう簡単にちぎれないから安心しろ」


 そういいながら容赦なく負荷をかけるクティ。マーゴの悲鳴が部屋の中に響きわたる。閉まっていたドアのいくつかが開き、中の住人がそっと様子をうかがう気配がした。

 視界に入ったドアを思わず見つめてしまう。ほんの少ししかドアが開いていないため住人の姿は分からない。目があった感覚はなかったが、千春の視線を感じ取ったらしくすぐさまドアは閉じられる。警戒心が強いのか臆病な性格なのか。少なくとも千春を含めた訪問者とは会いたくないようだ。

 

 歓迎されていない空気に千春は悲しくなった。千春はこの家をとても懐かしく感じているし、親近感を覚えているのになんで歓迎してくれないのか。

 そう思ったところで、なぜという疑問が浮かぶ。クティの部屋を迷いなく開けられたことから考えると前の千春はここに来たことがある。いや、きっと住んでいた。


「わぁー! 恋くんがいマス!」


 千春の思考は子供みたいな無邪気な声にかき消された。二階の手すりから身を乗り出すようにしてアモルがこちらを見下ろしていた。キラキラと輝く相貌は愛澤しか目に入っていない。瀬川が「ひぃっ」と小さく悲鳴をあげたのにも気づかず、軽い足取りで階段を下りてくると勢いよく愛澤に抱き着いた。


「家で恋くんに会えるなんて思いませんデシタ! どうしたんデスカ! アモルに会いに来てくれたんデスカ!」

「ちょっと、アモルちゃん! 近い!」


 必死にアモルから距離を取ろうともがいている愛澤の顔は赤い。同性から見てもうらやましい豊満な胸が愛澤の体に押し付けられている。千春は自分の体を見下ろして眉を寄せた。


「な、なんでここに、この間の人が」

 瀬川が千春のそばに駆け寄ってくる。アモルから千春を守る仕草をした瀬川に千春は戸惑った。


「なんでってここアモルさんのお家でもあるし」

「えっ」

 瀬川が目を瞬かせる。今日は瀬川の驚く顔ばかり見ている。


「どういうこと? ここってマーゴさんの家なんだよね。でもクティさんもいて……家族?」


 自分で口にした言葉に瀬川は納得いかない様子で首をかしげた。それもそうだ。マーゴ、クティ、アモルは共通項がない。愛子もだ。クティとアモルは容姿が整っており、愛子とマーゴは愛嬌のある顔立ちをしているが、似ているとはいいがたい。顔立ちも言動も家族というにはちぐはぐすぎる。


「おい、何も説明しねえでここに一般人連れてきたのか」


 ドスの効いた声がクティから発せられ、いまだ押さえつけたままのマーゴを見下ろした。その顔は全く笑っておらず、ゾッとするほど冷たい。今までギャーギャーと子供のように騒いでいたマーゴが固まる。


「だから怒るって言ったのに」


 ヒヤリとした空気を変えたのはお盆をもって戻ってきた愛子だった。大きなテーブルの上にマグカップを並べた愛子は愛澤、瀬川、千春に座るようにうながした。


「クティさんもコーヒー飲む?」

「いらねえ」


 クティの苛立った返事をかきけすように悲鳴があがる。その声に瀬川が顔を青くしたが、愛澤は見ないことにしたらしくアモルを引っ付けたままソファに座った。アモルは一切マーゴに興味を示さずに愛澤に話しかけているから、ここではよくあることらしい。

 瀬川はマーゴと愛澤を見比べてオロオロしていたが、愛子に手招きされると逃げるようにソファに腰掛けた。愛子が用意してくれたマグカップを口に運ぶと少しホッとした様子を見せる。


 千春はどうしようかと少し考えてクティの元へ行くことにした。痛い、痛いと床を叩くマーゴは涙目で少し可哀想だ。


「クティさん、マーゴさん痛そうですよ」

 千春の言葉にクティは眉間にしわを寄せる。機嫌が悪いときの顔だとわかったが、これくらいならまだ何とかなることも知っている。


「クティさんが連絡先教えてくれないから、マーゴさんに頼んだんです。クティさんが素直に教えてくれたら家までお仕掛けませんでしたよ」

 不満を込めて見つめるとクティの眉間のしわが深くなった。これは怒っているというよりかは対応に困っている反応だ。


「マーゴさんはクティさんに相手にされなくて悲しんでいる私を励ましてくれたんです。だから私はマーゴさんの家に遊びに来たんです。クティさんは偶然そこに居合わせただけです」

「偶然は嘘だろ」


 そういってクティはマーゴを睨みつけた。マーゴは抑えつけられたまま顔をそむけている。その姿は熊を前に死んだふりをしている人間のよう。


「偶然、たまたま、クティさんが寝ているタイミングで私が遊びに来て、マーゴさんの部屋に行こうとしたところ間違ってクティさんの部屋に入ってしまっただけです」

 堂々と言い切ると怒りを通り越したのか呆れた顔をされた。嘘だとバレても全く問題ないので、千春は胸をはる。


「偶然たまたま入り込んだ部屋で寝てる住人凝視するな」

「寝てるクティさんがあまりにも珍しくて」


 悪びれない態度にクティは諦めたのかため息をつき、最後の仕上げとばかりにマーゴの頭を力いっぱい殴った。鈍い音がした瞬間、マーゴがうめき声を上げて頭をおさえる。傍目で見ていても痛そうで、ソファの方から瀬川の悲鳴が聞こえた。


 クティは呻くマーゴを完全に無視して部屋に戻ろうとする。とっさに千春はクティの服を引っ張った。振り返ったクティの顔は千春が想像していたよりも冷たくて、とっさに手を離しそうになった。それをぐっとこらえて千春はクティを見上げる。


「クティさん、一緒に遊びましょう?」

「人の予定をぶっ壊しておいて都合がいいな。俺は出かけるから勝手に遊んでろ」


 機嫌が悪いと分かる声だった。明確な拒絶を感じて千春は手を離す。これ以上わがままを言って嫌われてしまったら。そう思ったら手を離すほかなかった。


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