2-4 マーゴ
休憩室の外では人がせわしなく動いている気配、壁の向こうからは商店街のざわめきが伝わってくる。それに比べ、休憩室の中は静かだった。
話してくれるといったクティは眉を寄せ黙り込んでいる。どう説明するか言葉を選んでいるようだが、出来れば話したくないという気持ちが透けて見えた。だから千春はじっとクティを見つめ続ける。いうまで幾らでも待つ。その気持が伝わったのか、クティは諦めたように息を吐き出した。
「世の中には、人の姿をした人ではないものが紛れてる」
「クティさんとマーゴさんみたいな?」
千春はクティを見て、それから隣のマーゴに視線をうつした。どちらも普通の人と変わらないように見える。人間じゃないとしたら随分と擬態が上手い。
「見分け方ってあるんですか?」
「気配が違う」
クティの返答に千春は眉を寄せた。気配なんていわれても千春には分からない。クティもマーゴも普通の人よりも空気が独特な気がするが、気のせいと言われれば納得してしまう程度だ。それで見分けろと言われても不可能だと千春はクティを睨みつけた。
「別に見分ける必要ないだろ。普通に生きてたら滅多に会うことねえよ」
「今日、マーゴさんに会いましたけど」
そう言ってマーゴを指差すとマーゴは微妙な顔をした。千春に指さされたのが気になったのかも知れない。
「……この商店街は、俺たちのテリトリーみたいなもんだから」
「ってことは、他にも人じゃないものが紛れてるんですか?」
千春の問いにクティが黙り込む。その反応からみて他にも誰かが紛れているのは確からしい。
「人と違うってどんなところが違うんですか?」
クティとマーゴをいくらじっと見つめても人との違いが分からない。たしかにこれは気配とか空気とかの問題かもしれないと千春は目を凝らす。
そんな千春を呆れた顔でみながらクティは答えた。
「食べるものが違う」
「食べるもの?」
千春はテーブルの上に置かれたお菓子を見る。菓子鉢に入った、個包装のチョコレートやお煎餅。それらを見つめながら千春は首をかしげた。
「なにを食べるんですか?」
「マーゴは幽霊」
千春の隣にいるマーゴを指さしながらクティは言い放った。千春は驚いてマーゴを凝視する。大人しく千春とクティのやり取りを聞いていたマーゴはいきなり話を振られたことに驚いて大声をあげた。
「何で急にボク!? 自分のこと説明する流れだったでしょ!?」
「うるせえ、俺のは説明が面倒なの知ってんだろ」
ギャーギャーと子供みたいに騒ぐ二人を尻目に千春はマーゴをじっと見つめた。どこからどう見ても普通の人間である。幽霊を食べるようには全く見えない。そもそも幽霊は食べられるのだろうか。
「幽霊って美味しいんですか?」
千春の問いにマーゴは少し驚いた顔をした。そんなことを聞かれるとは思っていなかったようだ。しかしすぐに笑みを浮かべて答える。
「美味しい子は美味しいよ」
それから千春をじっと見つめて、ごちそうを前にした子供みたいな顔をした。
「君は美味しそうだ」
マーゴが千春に手を伸ばす。突然のことに驚いて千春が反応できずにいると、背後から体を引っ張られた。背中に温かい感触がして、目の前に誰かの腕がある。顔をあげるとクティに抱き込まれているのが分かった。
「コイツはダメだ」
真剣な声に千春の方が驚いてしまう。妙に心臓がドキドキする。すぐ近くにクティの顔があって、体温も感じる程に密着しているからだろうか。深く考えてはいけないと前を向くとぽかんとしたマーゴが見えた。
「クティさん、どうしたんですか?」
マーゴは眉を寄せている。クティの顔をじっと見つめて、それから千春のことも観察するように上から下までじっくりと見つめる。それでも納得のいく答えが見つからなかったのか眉間にしわを寄せたまま唸り声を上げた。
「やっぱ、ロリコンに……」
「んなわけねえだろ!」
クティが近くに転がっていたらしい空のペットボトルをマーゴに投げつけた。マーゴは慌ててそれを避けながら、未だ納得いかない顔でクティを見つめている。
「人間に関わるとろくなことがないって言ってたのはクティさんでしょ。それなのに、何でその子に関わってるの。契約してるわけでもなさそうだし」
「契約……?」
意味深な言葉にクティを見上げる。クティは余計な事を言うなとマーゴを睨みつけていたがマーゴは止まらない。
「知らないってことは契約してないだよね。契約してない子となんで一緒にいるの。クティさんらしくない。頭でも打ったの!? 変なものでも食べた!?」
「お前、俺のことなんだと思ってるんだ」
だんだんクティの反応が呆れたものになる。緊迫した空気が薄れて千春はホッとしたが、疑問は消えていない。
「契約ってなんですか?」
千春はじっとクティを見上げた。クティは千春から目をそらそうとしたが、逃げられないように体の向きを変え、正面からクティの顔を見上げる。間近に迫った千春の顔にクティが驚いたのが分かった。
「契約って、なんですか?」
至近距離でもう一度問いかける。クティはなおも目をそらそうとしたので、千春はクティの顔を両手で固定しようとした。
ところで背後から声がかかる。
「クティさん、そのくらいで観念したほうが。今の絵面ヤバい。他の人に見られたら通報もの」
マーゴの言葉に千春は現状を確認する。気づけばあぐらをかいているクティの足に乗っていた。目の前にクティの顔がある。クティの独特な色彩を放つ瞳と目があった途端、体の熱が上がる。千春は慌てて距離をとったが、逃げられては敵わないと服の裾は掴むことは忘れなかった。
そんな千春を見てクティはため息をつき、ガシガシと頭をかく。
「俺たちが食べるものは特殊だからな、相手の許可が必要だ。その許可をもらう行為が契約」
どこか投げやりにクティは説明してくれる。たしかに幽霊は特殊な食べ物だろうが、許可をとったからといって食べさせてくれるのだろうか。
「幽霊さんは食べてもいいと言ってくれるんですか?」
そう聞けば、唇に人差し指を当てながらマーゴは首をかしげた。千春より年上のはずなのに幼い仕草が妙に似合う。
「んー、そもそも意思疎通とれないことも多いし、意思疎通とれる相手にはほぼ断られるね」
マーゴの答えに千春は納得した。あなたを食べてもいいですかと聞かれて、いいですよと答える人はかなり特殊だ。
「じゃあ、マーゴさんはほとんど食べられないんですか?」
ご飯が食べられな状況を想像して千春は自分のことのように悲しくなった。
マーゴの顔をじっと見つめる。頬が痩けた様子もないし、顔色も良い。空腹を耐えているようにも見えない。となると契約ができる少数の幽霊だけでお腹がいっぱいになるのだろうか。それとも幽霊が主食なだけで、別のものも食べることが出来るのだろうか。
どちらにせよ、一番好きなものが食べられないのはつらいだろうと千春が同情していると、
「許可貰えない幽霊も美味しそうだったら食べちゃうよ」
マーゴは笑顔でとんでもないことをいった。
「……食べちゃうんですか?」
「食べちゃうよ? だってお腹すくし」
「契約は?」
「契約成立した方が栄養あるから、出来れば契約したいんだけど、無理なら仕方ないよね。だって食べなきゃ死んじゃうもん」
人懐っこい笑みを浮かべるマーゴに千春は目を瞬かせる。
「契約って、けっこう適当なんですね」
「皆が皆そうじゃないからな。マーゴの奴が飛び抜けて適当なんだよ。質より量なんだ、コイツは」
「空腹は嫌いなんだよ」
マーゴはそういって自分のお腹を撫でた。その仕草には覚えがある。千春もクティと出会う前、食べても食べても空腹を訴えるお腹をよく撫でていた。
だから分かる。マーゴも千春と同じように耐え難い空腹を体験したことがある。
「空腹は我慢できませんよね」
千春は自分のお腹を撫でた。いくら食べても、食べても、埋まった感覚がしなかったお腹。クティと出会ったことで前よりも落ち着いたが、未だ千春は普通とは言えない。そのうち落ち着くとクティは言ったが本当なのか。
「君とは仲良くなれそうな気がする」
気づけばマーゴの顔が目の前にあった。浮かんでいた不安も忘れて千春はマーゴの顔を凝視する。マーゴがクティと同じく独特な瞳をしていることに気づいて、人ではないものの特徴なのかと考えた。
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