2-5 契約

「あんま近づくな」

 再びクティに体を引かれ、マーゴから引き離された。

 

「えー、クティさんは抱きしめたりしてたのに。やっぱ、ロリコン……」

「お前、俺をそんなにロリコンにしたいのか。殴るぞ」


 マーゴの言葉にクティが何度目かの怒りをあらわにする。最初はそれほど気にしなかったロリコンというマーゴの発言も、回数を重ねるに連れて気になってきた。千春はまっ平らな自分の胸を見下ろして唇をとがらせる。


「……私、そんなに子供ですか……」


 小さな呟きに二人の視線が集まった。クティは目を丸くしていて、マーゴはしまったという顔をしている。二人の反応も気に食わずに千春は頬をふくらませる。


「お前が、ロリコン、ロリコンいうから……」

「ごめん! そんなちっちゃくないよ。ただ、クティさんと一緒にいると犯罪くさいだけ! つまり、クティさんが悪い!」

「はぁ!?」

「私じゃクティさんとは釣り合わないと……」


 たしかにクティは大人で、千春は中学生だ。顔だって整っているし余裕があるし、遊び慣れた雰囲気だから中学生の千春に興味などないだろう。

 わかっている。わかっているが、何度も連呼されると腹が立ってくる。


「私だって、そのうち大きくなりますから。ナイスバディになりますから!」

「いや、それほどは大きくならない」


 見てきたかのようにいうクティに千春はカッとなり、クティを睨みつけた。クティも失言だと気づいたのか、まずいという顔をするがもう遅い。


「大きくならない……?」


 マーゴはクティの発言に眉をひそめた。クティを見る目が先程よりも険しくなる。なにかを問いかけようと口を開いたマーゴ、それに気づいたクティは逃げるように立ち上がった。


「そういえば用事あったんだ。あぶねえ、すっかり忘れてた。マーゴ、千春ちゃんを友達のとこに連れ行ってくれ。休憩スペースで落ち合う約束だから」


 とってつけたような言い訳をしてクティが千春の横を通り過ぎる。前触れのない行動に千春は驚いて、とっさに手を伸ばすが伸ばした手はクティの手も服も掴むことができずに宙をかく。

 

「クティさん!」


 千春はクティの名を呼ぶが、クティは振り返らない。和室のドアに手をかけると、ひらりと手を降った。


「じゃあな、千春ちゃん。また」


 最後まで振り返ることなく行ってしまったクティに千春はなぜか泣きたくなった。

 後を追おうかと思ったが、追ったところで逃げられるのは目に見えていた。クティは逃げるのが上手い。見た目はあれほど派手なのに、気づけば気配が消えている。人ではない存在独特の、特別な力を使っているのであれば千春に追う手段はない。


「また、連絡先教えてもらえなかった……」


 千春は膝を抱えてうなだれた。クティは「また」といったが、それがいつなのか千春には分からない。分かるのはクティだけ。あまりにも一方的な片思いに気持ちがどんどん沈んでいく。


「あの……ごめんね。ボクが余計なこと聞こうとしたから……」


 マーゴが落ち込んだ様子で千春の顔をのぞきこんだ。千春はマーゴのせいではないと首を左右に振ったが、沈んだ気持ちが持ち上がりそうにはなかった。


「クティさん、私のこと邪魔なんでしょうか……」


 考えてみれば千春とクティの関係は一方的だ。千春はクティに会いたいがクティは千春と会っても良いことはない。子供のお守りが増える分、面倒なだけだ。


「いや、クティさんは嫌いなことは嫌いっていうし、嫌なことは絶対にしないから。あれだけ近づかれるの許した時点で君のこと相当気に入ってるよ」

「慰めてくれなくてもいいんですよ……」

「慰めじゃなくて本心なんだけど」


 泣きそうな千春をマーゴは困った顔で見つめている。「どうしたら信じてくれるのかな」と弱々しく呟く姿を見ているとマーゴの言葉を信じてみようかなという気持ちが湧いてきた。


「じゃあ、なんでクティさんは突然行ってしまったんですか。あんな見え見えの嘘ついて。連絡先も教えてくれなかったし」

「ボクがクティさんにとって都合が悪いこと聞こうとしたから聞かれる前に逃げたんだと思う」


 マーゴはそういうともう一度千春と目を合わせて「ごめんね」と謝った。


「クティさんは聞かなくともマーゴさんがなにをいうのか分かったってことですか?」

「そりゃ、分かるよ。クティさんのご飯は選択だもの」


 マーゴの言葉に千春は目を瞬かせた。「せんたく」という言葉をいくつか頭に思い浮かべる。


「それは取捨選択の?」

 マーゴは頷いた。


「食べられるんですか?」

「クティさんが食べてるんだから食べられるんじゃない? ボクは無理だけど」


 マーゴは無邪気に笑っている。その笑顔を見ていると細かいことはどうでもいい気がしてくるから不思議だ。


「クティさんは他人の選択の結果が見える。さっきの場合はボクがクティさんに質問するか、しないか」


 マーゴはそういって、落としたまま放置していたチラシを拾い上げる。キョロキョロと当たりを見回して、テーブルの上においてあったボールペンを発見するとそれを持って戻ってきた。


 チラシの裏に線を引く。最初まっすぐに引かれた線は途中から二本に枝分かれし、質問する、質問しないとそれぞれに書き込まれた。


「ボクは質問するという選択肢を選ぼうとした」

 マーゴはそういって「質問する」と書かれた線の方をさらに伸ばす。


「けど、クティさんには自分に都合の悪い結果が見えた。だからボクに選ばせないために慌てていなくなった」


 マーゴが伸ばされた線の上にバツ印を描く。


「クティさん、自分のこと占い師って言ってましたけど、占いってレベルじゃないですよね」

「クティさんいわく、分岐は見えても本人がどれを選ぶかまでは分からないから、博打みたいなもんだって」


 マーゴはそういいながら、二つだけだった分岐を増やしていく。


「ボクからすると質問する、質問しないの二択しか思いつかないけど、クティさんにはもっといろんな分岐が見えてるんだよ。ボクの選択だけじゃなく、他人の選択も絡んでくるし、急に増えたり、減ったりもするんだって」

「それは複雑そうですね……」

「だから、周りが思うほど万能じゃないし、出来ることには限りがあるって言ってた」

「……それなのにクティさん、私のこと助けてくれたんですね……」


 マーゴが驚いた顔をする。「クティさんが?」と呟く様子からみて、クティは千春の想像通り、誰彼構わず助けるような性格ではないようだ。


「同級生に階段から落とされそうになったんです。その子、クティさんと一緒に黒い穴みたいなものに引きずり込まれて……」


 実際に見たことだが口に出してみると現実味がない。あれは夢だったのではないかと千春は思う時がある。だから今日、クティと再会するまで気が気じゃなかった。クティの存在すらも千春の作り出した妄想で、現実には存在しないのではないか。森田のように消えてしまったのではないか。そんな不安で押しつぶされそうだった。


 千春の言葉を聞いてマーゴは腕を組む。真剣な表情で考え、考え言葉を口にした。


「クティさんの契約はボクみたいに適当とはいかなくて、いろいろ制約があるんだ。クティさんが食べられるのは契約主が本気でいらないって思った選択。クティさんが選ばせたり誘導したりすると旨味がほとんどなくなるんだって。例えるならずっと食べてたガムみたいな」


 マーゴの言葉に千春は顔をしかめる。大量の食べ物を必要とする千春からすれば想像するのも嫌だ。

 

「だからクティさんは契約主に選ばせる。その時連れてくのが、真っ暗な世界に矢印がいっぱい浮かんでる空間。千春ちゃんを階段から落とそうとした子が連れてかれたのはそこだと思う」

「クティさん、その子に父親を選べばよかったって後悔してるだろって聞きました。選び直させてやるとも」


 あの時は意味が分からなかった言葉が繋がっていく。森田はクティと共に黒い空間にいき、森田は父親を選び直した。それにより森田は千春のクラスメイトではなくなった。過去の選択を変えたことにより未来が変わったのだ。


「千春ちゃん、クティさんと本当に契約してないんだよね?」


 森田のことを考えていた千春をマーゴがじっと見つめる。のほほんと笑っていることが多いマーゴの真剣な表情に千春は少し緊張した。


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