第三幕 未知を飲み込む

3-1 疑問

 恋が死んでアモルは泣いた。いつまでたっても子供っぽい奴ではあったが、あれほど泣くのは初めてだった。

 この未来は見えていた。俺達と人間じゃ生きる時間が違う。入れ込んでいいことはない。だからアモルが傷つかないよう、恋とは距離を取るように言い続けた。

 けれど、泣きじゃくるアモルを見ているとそれで正しかったのかと疑問が湧く。分岐はなにを選んでもこの結末にたどり着いたのに、なにかが出来たのではと後悔が浮かぶ。

 動けない俺の代わりにアイツはアモルの背をなでていた。そんなアイツの表情も暗い。自分と同じくらいに生まれた人間が次々と老いて死んでいくなか、自分だけ変わらない。その現状に人として生まれた心がすり減っているように見えた。

 人間と俺たちは別の生き物だ。人間でないものになったとしても、元から人ではなかった者と元々人間だった者とでは感覚が違う。感覚の違い、時間の流れについていけずに消えていった奴らをたくさん見てきた。

 適応できなければそれまで。そう思ってきたのに、アイツがいない未来を想像して俺の体は震えた。

 初めて未来を見るのが怖いと思った。



※※※



 自室のベッドに寝っ転がって、瀬川拓海は天井を見上げていた。妹がいらないと押しつけてきた不細工な犬のぬいぐるみを抱きしめながら今日目にした光景を思い起こす。

 男女がキスする姿を初めて見た。人の体から力が抜ける瞬間も。とっさに藤堂の手を引いて逃げてしまったが、あれが何だったのか拓海にはわからない。ただ恐ろしいと思った。あの男が死んでしまったように見えた。


 藤堂は違うといった。あれは恋心を食べただけなのだと。何かの比喩にしては真剣な語り口に拓海はただ混乱した。

 あの場所に引き返そうとする藤堂を無理矢理家まで送り届けたことは覚えている。その後、どうやって家まで帰ってきたかわからない。女性と男性の姿に藤堂の言葉、それを繰り返し思い浮かべているうちに家についていた。

 家族への挨拶もおざなりに部屋に引きこもり、それからずっと天井を見上げている。


「なにしてんの」


 人の声に驚いて上半身を起こす。ドアを開けた友香があきれた顔で拓実を見つめていた。Tシャツにショートパンツ。いつもと変わらないラフな格好。今日の部活は終わったらしい。


「……友ちゃん、入ってくるときはノックしてって言ってるよね」

「ノックした。声もかけたし。でも返事がなかったから開けたの」


 友香はそう言うと勝手知ったる様子でテーブルの脇に置いてあるクッションに腰を下ろした。小さい頃から一緒に育った幼馴染みだ。お互いの家は第二の家と言っていい。拓実だって友香の家のことはよく知っている。といっても、最近では友香の部屋にまで上がる頻度は減っていた。異性とは思えなくとも女の子だ。男女差もよく分かっていなかった小さな頃と同じように付き合える時期は通り越している。


「珍しい。なに悩んでるの」


 友香も小学校高学年くらいから拓実の部屋まで上がってこなくなった。低学年の頃はお互いの部屋に入り浸っていたのがウソのようだ。それでも友達や異性の部屋よりお互いの部屋がの方が気安いのは変わらず、お互いの部屋に訪問することが全くなくなったわけではない。

 だから友香がこうして拓実の部屋に入ってくるのも日常といえば日常だ。


「愛澤先輩と話したいっていう藤堂さんについて行っただろ」


 その流れは友香も知っていたので驚いた様子もなく頷いている。もしかしたらその件で何かあったことまで予想しているのかもしれない。

 考えてみれば拓実がベッドで考え事を始めてから結構な時間がたっている。部活で帰りが遅い友香が着替えているのがその証拠だ。拓実の様子がおかしいと気づいた母あたりが様子を見てきて欲しいと頼んだのかもしれない。

 拓実としても誰かに話したい気持ちはあった。けれど、どう説明していいのか分からない。


「藤堂さんにふられたの?」

「えぇ!?」

 予想外の友香の言葉に拓実は叫んだ。思わず犬のぬいぐるみを抱きしめる。


「なっ、なんで、友ちゃんが、俺が藤堂さんのこと、す……好きって」

「見れば分かる」

 友香の一言に拓実は固まった。


「分かる?」

「バレバレ」

「ってことは藤堂さんにも?」

「藤堂さんは気づいてないんじゃない」


 友香はどこか投げやりにそういった。拓実は安堵で息を吐き出す。拓実の気持ちが藤堂に伝わっているなんて想像しただけでも羞恥心で火が出そうだ。


「藤堂さんって人の感情には疎いんじゃない? 同世代の友達いなかったって言ってたし、人に恋する余裕もなかったんだと思う」


 友香の言葉に小柄な藤堂の姿を思い出す。勝ち気な姉、幼馴染、妹に囲まれた拓海から見て、藤堂は初めて見る女の子らしい女の子だった。小さくて、柔らかそうで、守ってあげなきゃいけないか弱い存在に思えた。目を離したらどこかに消えてしまうんじゃないかと拓海は気づけば藤堂を目で追っていた。

 見た目に反して食欲旺盛で、クラスの女子に嫌味を言われても気づかない天然。もの応じしない性格で自分よりも大きな男子に注意したり、上級生のクラスにも平然と乗り込んだりする。


 拓海が見てきた女の子とはなにもかもが違っていた。だからもっと知りたくなった。仲良くなりたかったし、藤堂に自分をもっと見てほしかった。


 けれど、ここに来て拓海は少し藤堂が怖くなった。藤堂はあの光景を見ても動揺していなかった。手を引っ張って逃げた拓海の行動を不思議がってすらいた。

 藤堂は小さな見た目に反して、とても大人に見えるときがある。そんな姿にも惹かれていたけれど、今日の藤堂を思い出して迷いが生まれる。藤堂という少女は本当に、自分が守らなければいけないような弱い存在なのだろうか。


「ふられたわけじゃないなら、何があったわけ」


 黙り込んでいる拓実に対して友香が詰め寄った。男の拓実よりもよほど凜々しい顔をしている友香だが今は眉がつり上がって威圧感がある。この友香の顔が拓実は苦手だ。自分よりも強く、たくましく見えるから。でも今は、そんな友香の圧よりも気になることがあった。


「……どう、説明していいか分からない」


 今日見た光景をそのまま伝えても友香は信じないと思う。何かの見間違いと言うだろうし、本当にキスされた男の人が死んでいるのか確かめに行こうと言いそうだ。友香を危険な目にあわせたくはない。


「藤堂さん、愛澤先輩とケンカでもしたの?」

「愛澤先輩は思ったよりもいい人だった」


 友香はますます意味が分からないという顔をした。拓実だって友香の立場だったら同じ反応をしたと思う。


「愛澤先輩はいい人だったんだけど、その後クティさんが……」

「あの胡散臭い人」


 友香はクティを信用していない。商店街で藤堂と離れた後も大丈夫だろうかとしきりに心配していた。あの時は心配しすぎだと思っていたが、今にして思えば友香の方が正しかったのだろう。


「あの人になにかされたの?」

「あの人にされたわけじゃないんだけど……」


 いや、結果的にはされたのかもしれない。クティを追いかけなければ拓実はあの光景を見ずにすんだ。クティがわざと藤堂に見せつけたんじゃないかという考えが浮かび、不快感で気持ちが悪くなる。そんなことをする理由が分からないのに、それが答えのような気がした。


「結局なにがあったわけ」

「……上手く説明できないけど、今後商店街には近づかない方がいいと思う」


 拓実の言葉に友香は片眉をつり上げた。


「意味がわからない」

「俺だってよく分からない。説明したいけど、上手く説明出来る気がしない。けど、だからこそ、友ちゃんにも藤堂さんにも近づいてほしくない」


 たどたどしく言葉を紡いで、拓実は友香の顔をじっと見つめた。苛立った様子だった友香の表情が困惑へと変わる。いつになく真剣な拓実の主張を友香は時間をかけて飲み込んだようだった。


「……よくわかんないけど分かった。拓実がそれだけいうなら、よくないことがあったんでしょ」


 納得はしていないけれど、拓実の主張を信じる。そう伝わってくる姿に拓実は安堵する。こういうとき言葉が少なくともこちらの気持ちをくんでくれる幼馴染みは有り難い。

 拓実は帰ってきてからずっと胸につっかえていた重石がとれたようで、知らず知らずにこわばっていた体から力が抜けた。


「私はそれでいいけど、藤堂さんはどうするの? 拓実と同じように落ち込んでるなら慰めた方がいいんじゃない」


 またもや投げやりに友香は言った。人と目を合わせて話す友香らしくなく、テーブルの上をにらみつけている。視線の先を見つめてもそこには何もないし、友香が不機嫌になる理由も分からないので拓実は内心首をかしげた。


「藤堂さんは……」


 友香の問いに答えようと思い、別れ際の藤堂の姿を思い出す。「また明日」と手を振った藤堂はいつも通りで、商店街で同じ光景を目にしたとは思えなかった。その時はまだ動揺していたからなんとも思わなかったが、今にして思えばあの落ち着きようは少し怖い。


「藤堂さんは全く気にしてないと思うから大丈夫」

「……ほんと何があったの」

 友香が苦手な数学の問題が出たときと同じ顔をした。


「俺も教えて欲しい」


 あの光景は結局何だったのか、あそこに誘導したクティは何者なのか。藤堂が愛澤と話したいと言い出した理由もよく分からない。愛澤と藤堂の会話は拓実には意味の分からないものだった。


 妹に貰ったぬいぐるみを抱きしめる。潰れてさらに不細工になった犬のぬいぐるみをどんなに見つめても、これからどうすればいいのか分からなかった。

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