2-12 境界線

 小さな声だったのに直接耳に吹き込まれたようによく聞こえた。逃げ道を探していたからかもしれない。とっさに瀬川を見たのは藤堂と同時だった。それから瀬川が見ている方向に視線を向けるのも。


 クティはいつだって派手な格好をしている。今日も真っ赤なジャケットに柄物のインナー。スタッズが装飾されたブーツを履いている。顔立ちが整っていることもあり人目を惹くクティは遠目に見たって見間違いようがない。

 クティは商店街を悠々と歩いていた。この時間であれば駅など人通りの多い場所にいることが多いので珍しいとつい凝視してしまった。


「クティさん!」


 恋が思考していた一瞬で藤堂は走り出していた。スカートをなびかせて走って行く姿を唖然と見つめ、慌てて後を追う。瀬川も恋と同じだったらしく、気づけば隣を並んで走っていた。


「藤堂さん! 待って!」


 瀬川が走りながら声を張るが藤堂が止まる気配はない。クティの背を追って路地へと入り込む。なんでクティがそんなところにという違和感はあったが今は追うほかない。なんとなくだがこのまま放っておくのはいけない気がした。乗りかかった船というのもあるし、恋は少なからず藤堂の気持ちに共感してしまったので。


 角を何度か曲がり、奥へ奥へと入り込んでいく。気づけば商店街を抜けて近所の公園までたどり着いていた。奥まったところにあるせいか人気のない公園は地元民でも一部の人しか知らない。

 久しぶりに全力で走ったので息が切れる。隣の瀬川は余裕があるらしく、息を整える恋の隣で周囲をキョロキョロと見渡していた。


「藤堂さん!」


 瀬川の声が響く。藤堂はクティを見失ったらしく、瀬川と同じく辺りを見渡している。瀬川はそんな藤堂に、犬のようにかけていった。

 わかりやすい態度に恋はなんともいえない気持ちになる。どう考えても脈がない。駆け寄ってきた瀬川に対して藤堂が発した言葉は「クティさん見てない?」だった。それに対して一瞬固まった瀬川は「見てない」と少し沈んだ声で答える。けれど藤堂はそれに気づかなかったようで「そう」と残念そうにつぶやくと瀬川を無視して再びクティを探し始めた。

 寂しそうな顔で藤堂を見つめる瀬川を見ていると居心地が悪い。なんでこんな一方通行な恋愛模様を見せつけなければいけないのか。片想いしている側としては瀬川を応援したくなってしまう。


 いろんな意味で重たくなった体から空気を吐き出して、恋は二人の元に歩いて行った。恋が近づいてきたことに気づいた藤堂はチラリと恋を見たもののクティを探すことを止めない。

 儚げな美少女だと言ったのは誰だったのか。外見だけで中身はかなり図太い。


「クティさん、こっちに来たんだよな?」

「公園に入っていくのは見えたのに、気づいたら見失ってて……」


 肩を落とす藤堂を見て、それも仕方ないと思う。クティは派手な見た目をしているわりに気配を消すのが上手い。気づけば後ろに立っていて驚かされたことは一度や二度ではない。クティが本気で隠れれば普通の人間には一生見つけられないだろう。

 と思ったところで違和感を覚える。なんで急にクティは気配を消したのだろうと。この時間に商店街付近をうろついているのも珍しいし、クティの話をしているときに本人が現れる偶然というのはどれほどの確立だろう。

 そもそもクティは先を見通す力を持っている。


 そう思ったところで恋はある可能性を思いつく。もしかしたら自分は、いや藤堂はここに誘導されたのではないかと。


「あれって、アモルさん?」


 周囲を見渡していた藤堂が声を上げる。恋の中で警鐘がなる。まずい、止めなければ。そう思うのに、アモルという言葉に恋は反応してしまう。従順な犬のようにアモルの姿を探してしまう。


 アモルは翔太と一緒にいた。こちらに背を向け、仲良く並んでベンチに座っている。翔太の方は目ぶり手振りを使って大げさにアモルに話しかけていた。アモルの方はそれを無邪気に見つめている。よくあるデート風景である。場所が人の少ない公園というのも二人っきりになりたい恋人同士と考えれば違和感がない。

 しかしアモルがなにを食べるのかを知っている恋は嫌な予感がした。そろそろだなと考えていたこともあり、とっさに恋は藤堂と瀬川の手をつかんだ。


「二人とも、帰ろう」


 瀬川は二人の空気から邪魔してはいけないと察したらしく、若干赤い顔のまま大きく頷いた。しかし藤堂の方は不思議そうな顔で恋を見上げている。二人がどういう状況なのかまるで理解していない様子を見て、恋愛方面に鈍いのだろうと察せられた。それだけに舌打ちが漏れそうになる。


「デートの邪魔になるから」

「ちょうどいい機会じゃないですか。翔太さんに噂はウソだって広めて貰った方が」


 空気の読めないことをいう藤堂に今度こそ舌打ちが漏れた。関係ない瀬川がびくりと肩をふるわすが藤堂はまるで動じていない。肝が据わりすぎているのが今は問題だった。


「あの人は俺が嫌いなんだからウソだって広めてくれるはずないだろ。それにもうすぐアモルちゃんの彼氏でもなくなるし」

「それってどういう意味ですか?」

「後で説明するから、いったんこの場から離れよう」


 そういいながら恋はチラリとアモルを見た。出来れば恋の見たくない光景が始まっていないようにと願いながら。しかし、すぐに後悔した。視線など向けず、強引に藤堂の手を引いて公園を出てしまえば良かったと。


 瀬川の素っ頓狂な悲鳴が聞こえる。それで瀬川もアモルたちの方を見たのだと分かった。恋はアモルから目が離せなかった。

 アモルが翔太の頬を両手で引き寄せ唇を重ねている。翔太は衝撃で目を見開いているが頬が赤い。幸せな恋人同士の逢瀬そのものの姿に恋は拳を握りしめた。今になってやっと状況に気づいたらしい藤堂から気まずげな視線を向けられたが、もういい。

 アモルが誰かとキスしている姿を恋は何度も見ている。アモルにとってキスは重要ではない。恋がして欲しいといえば特に気にせずしてくれるだろう。それくらいの価値しかないのだ。

 アモルにとってのキスは食事でしかないのだから。


 幸福に酔いしれていた翔太の表情が変わる。アモルを抱きしめようとしていた両手がアモルを引き剥がそうと動く。赤かった顔は青くなり、どうにかアモルから逃れようと手足をばたつかせ始める。それをアモルは慣れた様子で押さえ込み、翔太の体の上に乗り上げた。


 状況がおかしいと気づいた瀬川と藤堂が視界の端で固まっていた。初めて見たときは自分も似たような反応だったなと他人事のように思う。


 しばらくすると暴れていた翔太は動かなくなる。手足がだらりと垂れ下がり、まるで死んだように動かない男から唇を離し、アモルは唾液でぬれた唇を拭った。


「うーん! 美味しいデス! 美味デシタ!」


 動かない男の上に乗ったまま両頬に手を当てたアモルが歓喜の声を上げる。唇をペロリとなめたアモルが浮かべているのは男を愛する女の顔ではなく、美味しい料理を前にした子供の顔。


 しばし後味を噛みしめていたらしいアモルは翔太に乗ったままだったことを思い出したようで、ひょいっと軽い動作で上から降りた。未だ死体のように動かない翔太の体を持ち上げるとベンチに座らせる。

 一仕事終えた様子で腰に手を当て額を腕で拭うと、そこでやっと恋たち、目撃者に気づいたらしい。パチパチとのぞき込みたくなるような特殊な色合いを放つ瞳を瞬かせ、にっこり笑った。


「恋くん、こんにちはデス! 学校は終わりデスカ?」


 先ほどまでのことが何も無かったように、いつも通りに手を振って駆け寄ってくるアモルに、瀬川が悲鳴を上げた。瀬川を初めて見たアモルは首をかしげ、あの子誰だろうという顔をする。無邪気に誰ですかと問いかけようとしたところで、瀬川が藤堂の手を引いて走り出した。藤堂は事態を飲み込めないまま瀬川に引っ張られていく。見開かれた目がアモルをじっと見つめていたが、アモルはそれに対して変わらぬ笑みを浮かべて手を振っていた。

 また遊ぼうと笑う子供みたいな顔で。


「怖がらせちゃったみたいデス。失敗しまシタ!」


 アモルはそういうと自分の頭を軽くたたいた。成人した女性の姿なのに幼い動作がよく似合う。このアンバランスさが人を惹きつけてやまないのだろう。


「……翔太さん、どうするの?」

「そのうち起きると思いマス。まだ暖かいから放っておいても大丈夫デス!」


 にこにこ笑うアモルに罪悪感はない。それはそうだ。アモルは食事をしただけで、悪いことなど何もしていない。

 アモルが食べるのはアモルに対する恋心。一緒にいる期間が長くなればなるほど美味しいらしいのだが、アモルは我慢が苦手で長くても三ヶ月ほどで食べてしまう。食べられた相手はアモルへの好意、アモルと過ごした時間を忘れる。目が覚めた翔太はなぜ自分がここにいるのか分からず、ここ数ヶ月の欠けた記憶に戸惑うことになるだろう。


 でもそのくらい対した代償じゃないと思う。だってアモルとキスが出来るのだ。恋には一生出来ないことが。


「恋くん、この後、一緒に遊びまセンカ?」


 アモルが友達を遊びに誘うような気安さに話しかけてくる。食事を終えたアモルは上機嫌だ。一度の食事で半年は持つらしいので次の契約者をアモルが見つけるまでの間、アモルを独占することも出来る。しかし恋は首を左右に振った。


「勉強しないといけないから」

「恋くん、三年生になってからそればっかりです」


 頬を膨らませて不満を現すアモルに恋は苦笑する。高校受験があるからなんて言っているけど、本音はアモルと距離を取りたいからだ。初めて出会った時から恋はアモルが好きだった。綺麗で無邪気で、ずっと一緒にいたいと思っていた。だからこそ、恋はアモルに恋したくない。

 本気で恋したらすべて食べられて無かったことになるなんて、そんなのあんまりだ。


「お前は偉いな」


 気づけば背後に人の気配がした。振り返らなくても独特なプレッシャーで誰だか分かる。不満そうな顔をしていたアモルが声の主を視界に入れただけで表情を明るくし、相手の元へかけよった。


「クティ兄さん! ここにいるなんて珍しデスネ!」

「ちょっと野暮用。あとアモルがちゃんとやってるか様子みようと思って」

 そういいながらクティはアモルに笑いかけ、アモルの形の良い頬を引っ張った。


「アモル、ちゃんと人気のない場所で、人に見られないように食べろっていっただろ」

「いしゃい、いしゃいデス、兄しゃん! アモルが悪かったデス! やめてくらしゃい」


 クティに両頬を引っ張られて涙目になるアモルと、どうしようかなと悪い顔をしているクティを見ながら恋は眉を寄せる。なにが人に見られないようにだ。わざと見せつけるために藤堂を誘導したくせにと。

 口には出さなかったが表情は険しいものになっていたららしい。恋の視線に気づいたクティがぱっとアモルの頬を離す。涙目のまま両頬を押さえるアモルには目もくれず、クティは恋を見て目を細めた。よく分かったなと口に出さずとも態度が告げている。


「お前はほんと偉いな。線引きが出来てる」


 先ほどの言葉をもう一度クティが口にした。自分に向けられた言葉だと思っていなかった恋は戸惑いながらじっとクティを見つめた。

 クティは初めて見る顔をしていた。それは優しくもあり悲しそうでもある。


「人間とそれ以外が一緒にいたって、幸せになれるはずがない」


 その感情を押し殺したような声で、胸の中でわだかまっていた疑問が晴れた。クティが藤堂に連絡先を教えない理由。わざわざ藤堂にアモルの食事を見せた理由。藤堂の手を引く瀬川を引き留めなかった理由。


「人間は人間と幸せになった方がいい」


 そういいながら藤堂が消えた方向を見つめるクティの表情は柔らかで、だからこそ胸が締め付けられた。たしかにクティは変わった。きっと藤堂という少女によって。だからこそ、クティは藤堂を遠ざけるのだ。


 人の姿をしていようと彼らは人ではない。線を引かなければいけないと祖母は何度も恋に告げた。それは一方的で、人間だけが引かれた境界線を恨めしげに見ていなければいけないのだと恋は思ってきた。

 けれど、本当は、彼らも飛び越えられない境界線を恨めしく思っていたのかもしれない。




 

「第二幕 愛を食む」 終

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