1-9 森田さん
「……いつのまに、そんなに仲良くなったの」
不機嫌な声が聞こえて千春たちは声のした方へ視線を向けた。
そこにたっていたのは森田。眉をつり上げ、不満を隠しもしない顔で千春をにらみつけている。その後ろに立つ取り巻きたちも不審そうな顔で千春たちを見つめていた。
「藤堂さん、千波さんと瀬川くんとそんなに仲良かった?」
「昨日仲良くなったんだよ」
瀬川は屈託なく笑うと、「ね」と千春に笑いかける。千春はただ頷いた。瀬川が千春と仲良くなったと思ってくれたのなら、それは嬉しいことだ。
しかしそんな瀬川の様子をみて森田は一層面白くなさそうな顔をした。
「千波さんも? 藤堂さんみたいなタイプとは合わないと思ってたんだけど」
「そう言ったことあった?」
不機嫌な森田と同じくらい不機嫌な声で千波がいう。森田の後ろにいた取り巻きが肩をふるわすくらいの迫力はあった。
「だって藤堂さんと千波さんってタイプが全然違うし。藤堂さんみたいに小さいだけで持てはやされるような子、嫌いかと思ってたんだけど。残念。私の勘違いだったのね」
森田はあからさまなため息をついて見せた。それから長い髪を翻して千春たちに背を向ける。千波が「なにあれ、むかつく」とつぶやくのが聞こえた。
「……森田さん、妙に藤堂さんに絡むよね……」
「自分より可愛くて、先生に気使われてる藤堂さんがむかつくんでしょ」
「森田さん、美人だと思うけど」
思ったことをそのまま口にすると千波と瀬川の両方になんともいえない顔をされた。
「……藤堂さんはそのままでいてね」
瀬川の言葉の意味が分からず首をかしげている間に先生が教室に入ってきた。二人は慌てて自分の席へと移動する。二人が席につくのをなんとなく眺めていると、強い視線を前から感じた。
視線の方へ顔を向けると森田が千春のことをにらみつけている。メイクで彩られた瞳はつり上がり、千春を視線で殺そうとしているようだ。そこまでにらまれる意味がわからず千春は首をかしげた。それを見ると森田さんは一層険しい顔をする。
美人なのにもったいない。千春は心の中で思った。
森田は千春よりも背が高くて化粧も上手で、臆せずいろんな人と話が出来る。流行だってよく知っていて、無知な千春とは大違いだ。それなのになんで自分をにらんでくるのだろう。そう千春がいくら考えても答えは出ない。
その日は休憩時間になるたび瀬川が千春に話かけてくれて、それにつられるように千波も顔を出してくれた。読書をしたり非常食を食べて時間を潰していた千春にとって友達と話して休憩時間を終えるのは新鮮で楽しかった。千波と瀬川以外のクラスメイトも話しかけてくれるようになって、いっきにクラスに打ち解けたような気がする。
その間も森田からの鋭い視線を感じた。千春の周りに人が集まれば集まるほど森田の表情は険しくなり、視線は重たくなった。森田の周囲に黒いなにかが渦巻いているようで、取り巻きの子たちですら怖がって近づかなくなったほどだ。
なんで森田はこんなに私のことを気にするのだろう。そう千春は何度も考えたが答えは出ず、本人に聞いたら怒らせることは今まで経験で予想が出来た。
千波と瀬川は森田の視線に気づくと千春を隠すようになった。なるべく千春を森田に近づかせないように行動する二人に森田はますます苛立ったようで、次第に教室内の空気が変わり始めた。
ホームルームが終わるといつもなら教室で話しているクラスメイトも我先にと教室を出て行く。千春もそれに続いて帰ろうとしたところで瀬川に声をかけられた。
「藤堂さん、俺、日誌書かなきゃいけないからちょっと待ってて」
瀬川の手には日直が書かなければいけない日誌があった。今日の日直は瀬川だったようだ。もう一人の日直は部活に早く行きたいからと黒板を消す仕事などを主にやって、日誌は瀬川に任せたらしい。
「藤堂さん一人で帰すの心配だから」
そう言いながら瀬川はチラリと森田を見た。森田は鞄に教科書やノートを詰めていたが、苛立っているのはその後ろ姿だけでも分かった。あれほど感じた視線が今は感じないから大丈夫ではないか。そう千春は思ったのだが瀬川はそうは思わなかったようだ。
「藤堂さん、今日は拓実と一緒に帰った方がいい」
千波もそう言いながら森田をチラリと見た。千波は部活があるのにこれを言うためだけにわざわざ来てくれたらしい。
「今日の森田さんはいつにもましてヤバい。藤堂さん刺されるかも」
耳元で千波が囁く。刺されるは冗談だろうが、千波の声はどこまでも真剣で思わず千春は森田を見た。ちょうど教室を出て行くところだった森田と目が合う。森田は不快そうに眉をつり上げ、乱暴にドアを開けて出て行ってしまった。ガンッという大きな音に千春と瀬川は体を震わし、千波は不快そうに森田が去って行ったドアを見つめる。
「……帰っちゃったし、気にしすぎじゃないかな?」
「藤堂さんは危機感がなさすぎる。お父さんかお母さんが迎えに来てくれるならいいけど」
昨日父に迎えに来て貰ったばかりなのに今日もとなると気後れする。両親は気にするなといっているがあまり負担はかけたくない。となれば瀬川が日誌を書き終わるまで一緒に待っていた方がいいのかも。そう千春が考えたところでクティの言葉を思い出した。
『明日は放課後残らず、さっさと帰れよ』
クティはたしかにそう言っていた。それを言った時のクティはやけに真剣だった。
「藤堂さん……?」
瀬川が心配そうに千春を見た。千波がチラチラと時計を気にしている。部活に行かなければいけないが、千春のことが心配。そんな様子に千春は笑顔を浮かべた。
「千波さん、心配してくれてありがとう。瀬川くんと一緒に帰るから早く部活にいって」
「そうだよ友ちゃん、早く行かないと先輩に怒られるんでしょ」
千春の言葉で時間がたっていることに気づいた瀬川もせかす。それが後押しとなったのか千波はのろのろと動き出した。まだ心配そうな千波に手を振ると千波は少し迷った姿を見せてから千春に手を振って走り出す。陸上部らしい機敏な動きに千春は見とれた。自分もあんな風に動ければいいのにと。
「早く終わらせるから、ちょっとだけ待っててね」
千波を見送った後、瀬川はそういって自分の席で日誌を広げる。千春は教科書やノートを詰め終わった鞄を持って、瀬川の隣の席に腰を下ろした。机の主はもう帰ってしまったから借りても問題ないだろう。
千春を待たせてはいけないと思ったのか瀬川が真剣な顔で日誌に向き合い始める。その横顔を見つめながら千春は考えた。
日誌を書くだけとなれば時間はそれほどかからない。その後すぐに帰るのだからクティの言葉には反しないはずだ。そう千春は思いつつも、心のどこかで違うとも思う。クティがすぐに帰れといったのであれば、それは何をおいても従うべきだ。そう知らない自分が主張する。
それでも千春は瀬川が日誌を書くのを眺めていた。内なる自分の主張を信じていないのではない。きっと内なる自分の方が正しいのだ。それが分かっていても千春は動かなかった。
クティの助言を無視したら、クティが文句をいいに現れてくれるのではないか。そんな淡い希望にすがったのだ。
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