1-8 友達

「連絡先聞きそびれた!」


 迎えに来てくれた父の車の中で千春はそう叫んだ。千春の声に運転していた父がバックミラー越しに千春を見る。


「千波さんと瀬川くんなら学校で聞けばいいだろ」

「違うの。クティさんの連絡先を聞きそびれたの……」


 千波と瀬川は店を出たあとも千春の迎えが来るまで付き合ってくれた。置いて帰るのは不安だと言うので、父の迎えが来るまで付き合ってもらったのだ。クティも途中までは一緒にいたはずだが、父が到着する頃には姿を消していた。

 クティを探そうとも思ったが到着した父が千波と瀬川を見て感激し、娘に友達ができたと千春が恥ずかしくなるほどはしゃいでしまったので、有耶無耶になってしまった。

 

 大喜びする父を落ち着かせ、つきあわせたお詫びに父に頼んで二人を家へと送ってもらい、やっと一息ついたところでクティの連絡先を聞いていなかったことを思い出したのである。


 今にして思えばクティは連絡先を聞かれる前に逃げたのだ。一緒にいる空気を見せて油断させ、千春たちの意識が自分からそれたところで姿を消した。父が来るまで一緒にいるとお礼をしたいからと連絡先を聞かれることを予想したのだろう。


「お父さんも、クティさん? にお礼したかったなあ。千春が満足したってことは結構な量だろう。見ず知らずの子供にそんなたくさん食べさせてくれるなんて良い人だねえ」


 父はのほほんとんなことをいうが、千春はクティが良い人とは言い切れなかった。千春にたまたま優しくしてくれただけで、誰に対しても優しい人だとは思えない。むしろ冷たい人のように見えた。

 そうなると自分は特別なのかもしれない。そんな期待に千春の胸は高鳴った。だがすぐにまた会えるかどうか分からないという大きな問題に直面して落ち込む。


「そんなに連絡先聞けなかったのがショックなのか?」

 落ち込む千春を見て父は驚いた顔をした。そんな父に千春は素直に頷く。


「千春がそんな反応をするなんてなあ……。そんなに格好良かったのか」

「格好良かったよ。あんなに格好良い人、初めて見た」


 茶化した父に素直に答えると空気が凍った。笑っていた父が強張った顔で千春を見つめる。意味がわからずに首を傾げると父は確かめたくないが、確かめずにはいられないという様子で口を開く。


「も……もしかして、一目惚れ……とか?」

「そうかも」

「まだ嫁にはやらないから!!」

「私、まだ中学生。お父さん、前見て運転しないと危ない」


 いつのまにか車は信号で止まっていたが危ないことには変わりない。千春の言葉を聞いて前に向き直ったものの、父はなにかをブツブツつぶやいている。

 まだ早いとか、許さないとか聞こえた気がするが千春はとくに気にせず外を見た。


 店を出たときは夕方くらいだったが、もう日が落ちている。夜闇を照らす街灯を見つめながら千春は考える。

 クティはいまどこにいるのだろう。どこに帰るのだろう。どこにいったらまた会えるのだろう。


 ため息をつくと父のなにか言いたげな視線を感じた。それに気づかないふりをしながら千春は外を眺め始める。


 きゅうっとお腹の鳴る音がした。あれだけたくさん食べたのに、クティと一緒にいるときは満たされたように感じたのに、今はお腹が空いたと千春に訴えかけてくる。

 このお腹は食べ物よりもクティを求めているのかもしれない。そんなことを思った。



※※※



 次の日学校にいくと瀬川に「おはよう」と挨拶された。今までだって挨拶くらいは交わしていたのに、昨日と今日だとまるで違った言葉に聞こえる。不思議なものだと思いながら千春は瀬川におはようと返した。瀬川は千春の答えになんだかむずがゆそうな反応をする。

 なんだろうと思いながら眺めていると千波にも挨拶された。それに答えながら顔を見ればなんともいえない顔をしている。こちらはこちらでよく分からない。


「昨日、友ちゃんとも話したんだけど、これから帰りは一緒に帰らない? 方向も一緒だって分かったし」


 千春の席までやってきた瀬川が目を輝かせながらそんなことをいう。まぶしい表情と予想外の提案に千春は驚いて固まった。


「拓実、いきなりすぎ。藤堂さん驚いてるでしょ」


 瀬川に続いてやってきた千波が瀬川の頭を小突く。瀬川は小突かれた部分を抑えながら「いきなりごめん」と眉を下げた。


「なんか藤堂さんほっとけないし、一人で食べ歩いてるの心配だから今後も一緒に帰りたいなって……思ったんだけど……」


 だんだんと小さくなる声は千春の反応を伺っている。迷惑かな? と言葉なく訴えかけてくる瀬川の姿を見て、千春は隣にたつ千波を見つめた。


「藤堂さん、小さいしやっかいな体質なのに変に行動力あるから見てて不安」


 ぶっきらぼうにそういった千波に千春は昨日の行動を思い返す。昨日はクティがいたからなんとかなった。クティがいなくとも千波や瀬川がいればなんとかしてくれる気がする。二人とも困っている千春をおいていなくなるような人間ではないと、昨日の出来事でよく分かった。

 両親にも急に空腹で動けなくなったと説明したらずいぶん心配されたし、誰かと行動を共にした方が安心だろう。千波や瀬川と今後も仲良くできればいいと両親もいっていた。学校に通うようになってからなかなか友達ができない千春のことを密かに心配していたようだ。


「私は嬉しいけど、二人は迷惑じゃないの? 千波さんは部活があるでしょ」

 千春の言葉に瀬川はぶんぶんと頭を左右に振った。前に見た水を吹き飛ばす犬の動画みたいだ。


「全然迷惑じゃない! 俺は帰宅部だからいつでも付き合えるし、友ちゃんは部活の息抜きにちょうどいいって」

「根詰めすぎてもよくないから」


 腕を組んだ千波はそういって顔をそらした。それは何かをごまかそうとしているようにも見えたが千春にはよく分からない。


「迷惑じゃないなら嬉しいな。友達と一緒に出かけるのって楽しいだなって昨日思ったの」


 ドラマや小説、漫画では学校帰りに友達と一緒に帰る学生がたくさん描かれていた。経験のない千春は誰かと一緒に帰るのはそんなに楽しいのだろうかと疑問に思っていたけど、昨日二人と行動して疑問が晴れた。同じ道を通ったとしても隣に誰かがいることで景色は変わって見える。部活に打ち込む千波や友達の多い瀬川の話は千春の日常とはまるで違い、話を聞いているだけでも楽しかった。昨日一日だけで終わってしまうのは寂しいと思ってしまうほどに千春にとっては新鮮な時間だったのだ。

 控えめな笑みを浮かべると瀬川が頬を赤くする。千波は驚いた顔をしてから眉を寄せた。


「そんなに楽しかったなら休みも出かけよう。藤堂さんのことだから家でじっとしてられないだろうし」

「……よくわかったね」


 休日の千春の過ごし方は概ね食べ歩きだ。両親の都合がつかないときは近場、一緒に出かけられるときは遠出していろんなものを食べる。家で母と一緒に料理をすることもあるが、食事に時間を費やしていることは同じである。


「遊びに行きたい場所とかあるなら付き合う。小学生の時は遊びにいけなかったんでしょ」

「ほんとに?」


 千春は目を輝かせた。入院している間、元気になったらやってみたいことはいっぱいあった。病気が治っても変な体質が残り、同級生とうまく打ち解けられなかった千春は半ば諦めていたが、こんなところで夢が叶うとは思わなかった。

 輝く千春の目を見て千波がうろたえる。それにかまわず千春は千波の手を取った。


「遊びに行きたい。約束ね」


 そういって手を握ると千波はかすかに頬を赤くする。なにか言いたげにもごもごと口を動かして、それから大きくため息をついた。


「藤堂さん……天然だよね」

 その言葉の意味がわからず千春は首をかしげた。


「マイペースだしね」

 瀬川がほわほわとした笑みを浮かべる。


「天然でマイペースってよくないこと?」

「……悪いことじゃない」


 千波はそういいながらするりと千春の手から逃れる。「むしろ羨ましい」というつぶやきが聞こえたような気がしたが、聞き間違いかもしれない。千春からすれば元気に外を走れて、背も高くて、物事をハッキリいえる千波の方が羨ましかった。


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