1-2 クラスメイト

 さようならの挨拶の後、教室は騒がしくなる。教師が教室から出ていくとさらに開放された空気に包まれる。部活にいく人たちは固まって出ていき、塾や習い事がある人は友達に挨拶して去っていく。


 部活にも入っていないし習い事もしていない千春はのろのろと帰り支度をする。頭を占めるのは今日の夕飯なんだろうと、帰りになにを買って食べようかである。

 

 両親はすっかり大食いになってしまった娘のためにお小遣いを多めに用意してくれた。病気が治って学校に通えるようになったのがよほど嬉しいらしく、千春からみても甘やかしすぎなのではと思うほど千春の望むものは何でも用意してくれる。


 食欲が抑えられない千春からすると両親の配慮はありがたい。家にも食べ物はいっぱいあるが、長らく病院から出られなかった千春にとって町を歩いて買い物をするというのも喜びだ。両親もそれを分かっているから寄り道をする千春になにも言わないのである。


 今日は少し歩いて駅前まで行ってみよう。そう表情には出さないものの内心ウキウキで帰り支度をしている千春の横に誰かが立つ気配がした。


 顔をあげるとクラスメイトの女子三人がニヤニヤと意味ありげな顔で千春を見下ろしている。真ん中で腕を組んで仁王立ちしているのは森田。おとなしい千春とは正反対でいつも複数人の女子と一緒に騒いでいる。スカートは下着が見えそうなほど短く、教師によく注意されていた。

 

 入学してからというもの森田は妙に千春に絡んでくる。性格も違うし、会話だって弾まない。いつも一方的に意味のわからないことを言ってきて、千春は首を傾げて終わるのだ。それなのに今日もやってきた森田に内心千春はうんざりした。


「藤堂さんっていつも買い食いして帰ってるんでしょ? いいな〜。授業中だってお菓子食べ放題だし」

「羨ましいよね。食べても全然ふとんないし、元は病弱っていっても今は元気なのに先生に贔屓されちゃってさ」

「私達はお腹すいてもいつも我慢してるのにね」


 わざとらしくうなずきながら森田たちは千春を見下ろす。千春はそんな森田たちをじっと見つめた。森田の左右に並ぶクラスメイトの名前が全く出てこなかったのだ。


「藤堂さんだってさ、自分だけ贔屓されて居心地わるいなーって思ってるでしょ」

「思ってないけど」


 本当に少しも思ってないのではっきり答えると森田の顔が固まった。わざとらしい笑顔が引きつって眉が釣り上がる。取り巻きたちは顔を引きつらせる森田を見て、視線を泳がせている。

 森田の空気が変わったのはわかったが、なにを言いたいのか全く分からなかったので黙って眺める。

 そんな態度が余計に森田を苛立たせたらしく、森田は千春の机を思いっきり叩いた。大きな音に教室に残っていた他のクラスメイトたちが驚いた顔でこちらを見る。


 「あれ、やばくない」というヒソヒソ声が聞こえたが、千春は机を叩いた森田の手が気になった。あんな大きな音がなるほどの力で叩いたら痛くないのだろうかと。


「藤堂さんさ……」


 怒りに染まった森田の顔が近づいてくる。かすかにメイクもしているようだ。これは校則違反だと千春は思ったが、自分には関係ないので黙っている。

 こちらを睨みつけ続ける森田にもしかして私は殴られる? と今更ながら危機感を覚え目を瞬かせていると、千春と森田の間に誰かが割って入った。


「それ以上藤堂さんに絡むなら先生呼ぶよ!」


 森田を押しのけながらそう叫んだのは千波友香せんば ともか。女子にしては短いショートカット。陸上部だという話を聞いたことがあるくらいで同じクラスでも接点はない。この時間であれば教室にいないことの方が多い千波の登場に千春も森田も目を見開いた。


「いきなり何の用!?」

「それこっちのセリフなんだけど! 藤堂さんになに絡んでんのよ!」


 なぜか森田と千波のにらみ合いが始まった。森田の取り巻きたちも困惑した様子だし、千春は完全に置いてけぼりを食らっている。

 ピンチを助けてくれたのは分かるが、突然のことすぎて千春の思考はまとまらない。学校に通うのも初めての千春にとって同級生に殴られそうになるのも、同級生に助けられるのも初めての経験だった。


 それでも空気が最悪なことは分かる。私のせいで喧嘩しているわけだしなにかすべきかと千春が腰を浮かせたところで、


「先生〜、なんか女子が喧嘩してま〜す」


 という、どこか間延びした声が響いた。

 見ればドアのところに男子生徒が立っていて、廊下の方に手招きしている。その様子を見た森田、とくに取り巻きたちは顔を引きつられせた。「もう行こう」と森田の制服の裾を引き、バタバタと教室を出ていく。森田だけは振り返り、忌々しげに千波と千春を睨みつけた。


「覚えてろよ!」


 なにを? と千春は思ったが首をかしげるだけにとどめた。きっと口に出したら怒るだろうと思ってのことだったが、首をかしげただけでも相手からすると腹が立つ行為だったらしい。顔を真赤にして森田は教室を出ていき、その姿はすぐに見えなくなった。


「俺、ナイスだったよね?」


 気づけば千波の後ろに男子生徒が立っていた。教師を呼んでくれた子だが教師の姿がない。状況を見ての嘘だったようだ。

 男子生徒は千春と目が合うとにっこり笑う。それに千春は目を瞬かせた。


「藤堂さん、災難だってね。森田さんに絡まれて。でも、俺のおかげで助かったわけだから、お礼に食事でも」

「ナンパすんな」


 千春の手を握った男子の頭を千波が慣れた様子でチョップした。その光景をみて、そういえば千波とこの男子生徒はよく喋っていたと思い出す。しかし、それ以上の情報が思い浮かばない。


「千波さんありがとう。それで……えぇっと……名前なんだっけ?」

 正直に聞けば千波と男子はそろって目を丸くした。男子はその場に崩れ落ち、千波は腹を抱えて笑いだす。


「えぇーうそ……俺、結構目立ってたと思うんだけど……」

「クラスメイトってことは分かる。ただ名前が出てこないだけで」


 慰めるつもりでそういったが男子はますます落ち込んだ。千波の笑い声はさらに大きくなり、しまいには男子の隣にお腹を抑えてしゃがみこみヒーヒーと荒い息をついている。


「こ……コイツ、瀬川拓実せがわ たくみっていうの。覚えてあげて……」

「瀬川拓実です……覚えてください……」


 友香が目尻に涙を浮かべたまま瀬川を指差し、瀬川は泣きそうな顔で千春を見上げた。教室で見かけるときはいつも楽しそうに笑っている印象だったので、泣きそうな顔に千春は驚く。それから今更ながらものすごく可哀想なことをしてしまったのだと気づいた。

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