5-6 記憶の中

 そこはどこからどう見ても、変食さんたちが暮らすシェアハウスだった。夢の世界に入る前、愛子とマーゴが座っていたソファを見つめて、千春とメモリアは固まった。


「ここ、私の記憶の中なんですか?」


 そういいながら千春は周囲を見渡す。リビングには誰もいない。並ぶドアの向こうに誰かがいる気配もない。建物そのものが眠ってしまったみたいに静かだ。


「……君の記憶ではあると思うんだけど、ニム姉とトキア様の力で魔改造されてるみたい」


 メモリアは形の良い眉を釣り上げて、何かを考えているようだ。


「魔改造?」

「私の力じゃ、君視点の映像を永遠と見せることしか出来ない。でも」


 メモリアはそこで言葉を区切ると、ぐるりと周囲を見渡した。千春もつられて辺りを見回す。やはりそこは千春にとっては懐かしい、シェアハウスのリビングだった。


「どう見ても、体験型アトラクションよね。記憶の主である、君がいないし」

「そういえば……」


 じゃあこれは、誰の記憶なのだろう。千春は不安にかられてメモリアを見つめた。メモリアは眉を寄せてしばし考えてから、腰に手を当て、前髪をかきあげた。


「夢の中は全てが曖昧。ニム姉の力でいろんな夢と繋げてるのかも。ニム姉だけでこんな事出来ないから、トキア様の言霊ことだまでブーストかけてるって感じかな」

「そんなことが出来るんですか」


 驚きに目を見開くと、メモリアは呆れた顔で千春を見た。


「トキア様がいかにすごいか、やっとわかった? あの方は私たちとは格が違う。私たちはせいぜい、妖怪とか都市伝説とか、そんなレベルの曖昧な存在だけど、トキア様は神といっていい。神としての名がつくのも時間の問題だろうね」

「そんな偉い人だったんですか」

「偉いとはまた違うかな。神といっても邪神側だから。君、好かれてよかったね。嫌われてたら、死んだ方がマシって祟りを貰ってたかも」


 メモリアはそういうと、からかう様に千春の鼻の頭をつついた。

 トキアのことはよく知らない。しかし、トキアが笑顔で人を祟る姿は想像できてしまった。深海みたいな瞳を思い出し、身震いした。


「メモリアはさん、よくそんな怖い人の前で猫かぶれましたね」


 千春は鳥肌の立った腕をさすりながら、メモリアを見つめた。メモリアは不思議そうに首を傾げている。


「今の喋り方が素ですよね。トキアさんの前ではのん  びりした喋り方してましたけど」


 妙に高い声で、語尾を伸ばす話し方。そういう喋り方をする子を見て、隣のクラスの子がぶりっ子と言っていた。よく分からないが、その子の反応から見てあまり良いものではないようだ。


「職業病みたいな? バカだと思われた方がいいんだよ。特に男はね、この見た目とぉ、アホみたいなぁ、喋り方でぇ、だいたい油断するのぉ」


 メモリアはそういうと短いスカートの裾を持ち上げて、体のサイズに合っていないカーディガンを見せつけるように、手を頬のあたりまで持ち上げる。弧を描いた唇と目尻の下がった瞳。無防備にさらされた足や小さく見える体は、人から警戒心を奪うには十分に思えた。


「トキア様は気づいてそうですけど」

「そりゃそうよ。なんなら、トキア様の方が猫かぶり上手い。あの方は自分の容姿の魅せ方、人を魅了する仕草に喋り方をよく分かってる。私のぶりっ子なんて幼稚園のお遊戯会見てるようなものでしょうね」


 メモリアはあっさりと仮面を脱ぎ捨てると、両手を広げて肩を落とし、ため息をついた。


「わかってるのに、お遊戯会やったんですか?」

「だって、怖いんだもの。トキア様と生身で対峙するなんて嫌。薄皮一枚でも、身を護るものが欲しかったの」


 メモリアはそこまで言うと、じっと千春の顔を覗き込んだ。


「あなたは怖くないのね。トキア様が恐ろしい方だって、理解してないわけじゃないのに」


 眉を寄せ、メモリアは上から下まで千春を凝視した。居心地の悪さに千春は身動ぎするが、メモリアは千春の内側まで覗き込むように、無言で千春を見つめ続ける。


「あなた、魂が上質なのね。じゃなきゃ、クティさんとトキア様が相手にするわけないか。二人ともグルメだし」

「魂……?」


 千春が首を傾げると、メモリアは千春の胸の間をトンっと押した。


「魂には質があるの。上質であればあるほど美味しい。上位の外レ者ほど質が良い、綺麗なものを好む。人間が顔がいい奴を好むのと同じ原理」


 千春はメモリアが触れたあたりに手を置く。温かいと思うだけで、魂なんてものの存在は感じられない。目の前の不思議な存在があるというのだから、あるのだろうが、見えないものの質が良いと言われてもよく分からなかった。


「あっ、でも、クティさんは顔よりも、魂の方が重要なんですよね! 私が小さくても、子供っぽくても望みありますよね!」


 拳を握りしめてメモリアに詰め寄ると、しかめっ面を返された。それから大きくて、長ーいため息。


「あんたがクティさんとトキア様に好かれてる理由、ちょっとわかった」


 メモリアはそういうと腰に手を当てる。どういう意味だと千春が問い詰めようとしたとき、静まり返っていた空間に変化が訪れた。千春とメモリアは弾かれたように、変化した方向に体を向けた。


 玄関から続く真っ白なドアが開き、クティが入ってくる。反射的に千春は駆け寄りそうになったが、メモリアに手を引かれた。クティは目の前にいる千春とメモリアに反応しない。

 いや、見えていないのだ。


「ここは託児所じゃねえって、何回言ったら分かんだ」


 クティは後ろを振り返りながら文句を言った。機嫌が悪い声と表情に、千春とメモリアは同時に体を震わす。メモリアも機嫌の悪いクティが苦手のようだ。


「俺だってお前みたいなやつに預けたくないけどな、他に適任がいないんだ」


 一方、クティに怒りをぶつけられた相手は平然としていた。外見は高校生くらい。顔立ちがどことなくトキアに似ており、なんとなくだが人間ではないように思えた。

 メモリアに視線を向けると「外レ者を監視する組織の奴」という答えが返ってくる。そんな組織があるのかと驚いたが、これは過去の記憶。千春たちを無視して話は進んでいく。疑問を口にする時間はなかった。


「ほら、入ってこい。今日からここがお前の家だ。目の前にいる奴はガラは悪いが、能力は確かだから安心しろ」


 クティは文句を言おうと口を開いたが、それよりも先に少年の後ろから小さな子供が現れた。クティの大声に怯えきっていると分かる子供の顔は、どこからどう見ても千春のものだ。


「全然、食べれてないじゃん」

 顔をしかめながらメモリアが呟く。千春もクティに会う前の空腹感を思い出して、お腹を擦った。


 同世代よりも小柄だと言われる千春だが、過去の千春は今よりもさらに小さかった。頬もこけ、手足も細く、今にも倒れそうなほどに顔色が悪い。

 クティはそんな千春を不機嫌そうに凝視して、それからなぜか目を見開いた。


「……何か、見えたか?」


 クティの様子が変わったことに気づいた少年が問いかける。クティは眉間に深いシワを寄せ、無言でその場を立ち去った。不機嫌だと分かる荒々しい足音に、過去の千春が体を震わし、少年の服の裾をつかむ。少年はそんな千春の頭を優しくなでる。


「あー見えて、面倒見がいい奴だから大丈夫だ。俺もアイツに能力の使い方を教わった」


 過去の千春が目を見開いて、それからクティの消えていったドアを見つめた。そのドアの向こうにあるのはキッチンだと千春は知っているが、過去の千春はまだ知らない。


「あの人もお父さんと、お母さんみたいに居なくなるの?」

「クティなら大丈夫」


 少年はそう言うとしゃがみこんで過去の千春の頭をなでた。それでも千春の表情は晴れない。疑っているのが一目でわかる。


「居なくなる……?」


 千春は過去の自分の言葉に首を傾げる。千春のおぼろげな記憶だと両親は死んでいたはずだ。

 自分が殺してしまった。

 いや、本当にそうだっただろうか。両親はおかしくなった自分をおいて、どこかに行ってしまったのではなかったか? じゃあ、森田に階段から落とされそうになったとき、断片的に思い出した記憶は……?


「落ち着いて」


 気づけば千春は頭を押さえて、しゃがみこんでいた。焦った様子のメモリアが千春の顔を覗き込んでいる。


「ここは過去。終わった世界。目の前にいるのはただの映像。あなたじゃない」


 そういってメモリアは千春の体が実在するのを確かめるように、何度も、何度も背を優しく撫でてくれる。


「あっちに共感しすぎると、夢から覚めれなくなる。クティさんと会いたいんでしょ?」

「会いたいです」


 迷いなく答えるとメモリアは苦笑し、最後に思いっきり千春の背を叩く。痛みで、少しだけ思考がクリアになる。


「私が覚えてる記憶と、過去の自分が言ってることが違います」


 自分の感覚の方が正しいと信じて、千春はメモリアに告げた。メモリアはじっと過去の千春を見つめて、眉間に深いシワを寄せる。


「記憶って、自分の都合の良いようにねじ曲げられるものなの。君が忘れたいと強く願えば忘れるし、こうであったらいいと願えば、願った方が事実みたいに修正される」

「ってことは、過去の私は自分の記憶を、都合のよいようにねじ曲げて認識してるってことですか?」

「……たぶんね。外レかけは不安定だし、記憶が曖昧になっていてもおかしくない」


 千春は過去の自分をじっと見つめる。少年の服の裾をつかむ手は不安そうで、ドアの向こうから聞こえる誰かの気配に小さく体を震わせる。何かに怯えているような姿を見ると、正常な状態には思えなかった。


 過去の千春の様子を観察していると、再びドアが開く音がした。現れたのは、変わらず不機嫌そうな顔をしたクティで、その手にはきれいな飴玉を持っている。

 その飴と、「食え」とぶっきらぼうに差し出すクティの顔を見て、千春はこの光景を見たことがあると思い出した。一緒にいる少年の名前や、ここに来るまでの経緯が倍速映像のように頭を駆け巡る。


 千春が頭を押さえている間に、過去の千春は恐る恐る飴を受け取った。綺麗な色にしばし見とれてから、ゆっくりと口に含む。その時の味を思い出して、千春は胸がいっぱいになる。

 美味しいと表情で語る過去の自分の気持ちがよく分かった。クティの作る飴が一番美味しいのだと、記憶を思い出した千春は知っている。


 クティが持ってきた、ただの飴に見えるそれは、変食さんの非常食。過去の千春のように自分の能力が分からない、上手く使えない外レ者のために、余裕のあるクティやニム、メモリアなどの面々が用意してくれているものだ。


「とりあえず、それ食って大きくなれ」


 美味しそうに飴を舐める千春の頭をクティが撫でる。表情は相変わらず不機嫌そうだが、手つきが優しかったことを覚えている。過去の千春は優しい手つきに驚いて顔をあげ、クティの容姿が今まで見てきた異性の誰よりも整っていることに気づき、驚いた。その時の衝撃やら戸惑いが胸を駆け巡り、千春はいたたまれない気持ちになる。

 

「君……、食べ物貰って好きになるとか、あまりにも動物的過ぎない?」


 メモリアから呆れきった視線が向けられる。千春は言い返すことができずに、熱くなった顔を両手で覆った。

 隙間から見えた過去の千春は、恋してると一目でわかる表情で、クティをじっと見つめていた。

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