5-7 両想い

 千春が羞恥から顔を覆っている間に場面は切り替わる。場所は変わらずシェアハウスのリビングだが、気づけば過去の千春はソファに座っていた。千春を囲むようにマーゴ、愛子、アモルの姿があり、やせ細っていた千春の頬は多少ふっくりしている。その姿から時間の経過がうかがえた。


 メモリアは過去の千春たちに遠慮なく近づいた。後ろに回り込んで、机に座って紙に何かを懸命に描いている過去の千春を上から覗き込む。


「うわぁ、君、わかりやすっ。解像度が違う」


 メモリアの言葉が気になり、過去の自分に近づいた千春は、思わず声にならないうめき声を上げた。

 過去の千春はスケッチブックに色鉛筆で絵を描いていた。マーゴ、アモル、愛子、ニム。他にも千春が会ったことがない、おそらく変食さんの顔がイラストタッチで描かれている。その中でやけにクオリティーが高いのがクティだ。他の似顔絵と比べて書き込みが多く、本人を見ずに描いたとは思えない完成度だった。


 アモルは無邪気に「千春ちゃん、絵がうまいデース。クティ兄さんに見せたら、喜びますヨー」と千春を誉めてくれているが、マーゴと愛子は苦笑いだった。過去の千春は二人の反応に気づかず、アモルと無邪気にはしゃいでいる。見た目は中学生だが、病院生活が長かった分、一般的な中学生よりも思考が幼いのかもしれない。思考だけは大人びてしまった千春からすると、幼すぎる行動を見ているのはなかなか苦行だ。


「君、面食いなのねぇ。まぁ、分かるけどぉ? クティさん、イケメンだしぃ?」

「面白がるのやめてください」


 わざとらしく、間延びした口調で話すメモリアを睨み付ける。メモリアは愉快だと隠さない態度で口元に手をあて、にんまり笑っていた。その体を叩きたい衝動にかられたところで、ドアが開いてクティが入ってきた。


 クティの姿を見て、皆が口々に「おかえり」と言う。その中でも過去の千春の態度は分かりやすく、描いていたスケッチブックを持ち上げると、子犬のようにクティに向かってかけていった。「熱烈~」とからかうメモリアを睨み付けるが、自分でも頬が赤いことが分かる。効果はないだろう。予想通り、メモリアはニヤニヤ笑っているだけだった。


「クティさん! 見て!」

「お絵かきって……、お前何歳だ」


 クティは、スケッチブックを差し出した過去の千春を見下ろして、呆れた顔をする。クティの言うとおり、中学生が遊ぶものとしては幼いだろう。過去の千春は、クティの言葉に不満げに頬を膨らませた。


「クティさんが、外出ちゃいけないって言った」

「お前みたいなチビ、外出たらあっという間にさらわれて、食われるからな」


 クティはそう言いながら過去の千春の頭を軽く押す。それだけで千春は体のバランスを崩して倒れそうになった。前よりは肉がついたが、その手足はまだ細い。今の健康的な千春でも運動は苦手なのだから、過去の千春はもっとだろう。少し歩いただけでも息切れしてしまいそうな子供を、外に出さないというのは正しい判断だ。しかし、まだ幼い千春にそれは伝わっていないようだった。


「ずっと中にいるの、つまんない。クティさん、すぐどこか行く」


 不満だと隠さない千春にクティは眉を寄せた。マーゴたちがハラハラした様子で見守っているのが分かる。

 クティはお世辞にも優しいとは言えない。短気だし、面倒ごとは嫌いである。そんなクティと幼い子供の相性が良いはずがなく、最初の頃、マーゴや愛子にはかなり気を遣われた記憶がある。クティにはあまり近づかない方がいいとやんわり諭された記憶もあったが、当時の千春はすでにクティ一筋だったので、全く助言を聞かなかった。

 今であればマーゴと愛子の心配も分かる。クティしか見えていない過去の自分の行動に、千春はうめき声を上げた。メモリアはそんな過去と現在の千春を見比べて、始終楽しそうだ。


「なに、描いたんだ?」


 クティがしゃがみこんで過去の千春と目を合わせた。話の流れが面倒になったので、意識をそらす作戦だ。あまりにも分かりやすいが、過去の千春はあっさり引っかかって、誇らしげにスケッチブックを掲げた。


「見て! クティさん描いたの!」


 過去の千春は恥ずかしげもなく自分の描いた絵をクティに見せる。記憶が戻りつつある千春には、過去の自分の思考がよく分かった。だからこそいたたまれない。

 一方、絵を見せられたクティは目を丸くして固まった。クティにしては珍しい反応に、千春だけでなくメモリア、リビングにてクティと千春のやり取りを見守っていた面々の視線も集まる。

 何の反応もしないクティに、過去の千春が不安になりはじめた頃、クティは吹き出した。肩をふるわせて笑い始めたクティに、付き合いの長い変食さんたちが驚くのが見える。


「おまえ……、分かりやす過ぎるだろ。ほんと、俺のこと好きだな」


 クティはそう笑いながら千春の頭を乱暴になでた。愛子に手入れして貰っている髪が乱れたが、過去の千春も今の千春もそれどころじゃない。無邪気な子供みたいに笑うクティに目が釘付けだった。


「あーおもしろ、趣味悪いにもほどがあるだろ。マーゴの方が優しいだろうに」


 クティは立ち上がりながらそんなことを言う。ぽかんとクティを見上げていた過去の千春は、クティの言葉を飲み込むと反射で怒りをあらわにした。


「趣味悪くない! クティさんはカッコいい!」

「なるほど、優しくはないんだな」


 意地の悪い問いかけに、過去の千春は頬を膨らませて黙り込む。そんな千春を見てクティは一層楽しそうに笑う。そんなやり取りにマーゴと愛子は顔を見合わせ、アモルは目を輝かせていた。


「驚いた。あなた、本当にクティさんといい感じだったのね」

 メモリアが驚きに目を見張りながら呟く。千春は眉間に皺を寄せた。


「思いっきり子供扱いされてますけど、これのどこが良い感じなんですか?」

「なに言ってんの。私はクティさんとの付き合いは数百年くらいになるし、生まれたばかりの頃はあんたみたいに面倒見て貰ったけど、あんな風に笑ったところ見たことないわ」


 メモリアの言葉に千春は驚く。メモリアの顔を見上げれば、先ほどまでのからかう表情は消え失せ、真剣な顔でクティと過去の千春のやり取りを見つめていた。


「あなたがしつこくクティさんを追いかけて、クティさんが根負けしたんだろうと思ってたけど、違うのね」


 本格的にすね始めた過去の千春を見て、クティが眉を寄せ、頭をかく。やり過ぎたと思ったのだろうか、しばし考えるような仕草をしてから、ひょいっと千春を持ち上げた。突然持ち上げられたことに驚いて固まる千春にはお構いなしに、クティは入ってきたばかりのドアから出て行く。慌てて声をかけたのはマーゴだった。


「クティさん!? どこ行くの!?」

「散歩。じゃじゃ馬はお外に行きたいらしいからな。仕方ねえから、そこら辺一周してくる」


 クティは楽しげにそういうと歩き出す。唖然とその後ろ姿を見守る面々も、じゃじゃ馬と呼ばれて唇を尖らせる千春も気にしない。あまりにも自由な姿にクティらしいと思うと同時、今のクティを思い出して千春の胸は苦しくなった。

 過去の自分はこうしてクティに構ってもらえたのに、今の千春は距離をとられるばかりである。


 千春の思考が沈んだことに気づいたのか、メモリアが千春の肩を軽く叩いた。それからクティが出て行ったドアを見つめる。


「クティさんは、間違いなく貴方のこと好きよ。好きの種類が子供に対する愛情なのか、恋愛感情なのかは今のところよく分からないけど。あの人は嫌いな相手に時間を割くような人じゃない。あなたがクティさんに惹かれたように、クティさんもあなたに惹かれる何かがあったんでしょうね」

「何かって、一体?」

「分かるわけないでしょ。私はメモリア。記憶しか読めない」


 メモリアはそういうと千春の背をバンッと叩く。気合いを入れるときの癖なのかもしれないが、結構痛い。


「たぶん、そのうち分かる。記憶をたどっていけば」


 千春が背中の痛みに耐えている間にメモリアはそんなことを言う。その言葉に答えるように見慣れたリビングはぐにゃりと曲がり、形を変える。次に現れたのは、クティと再会した駅前だった。

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