5-8 聞こえない言葉
静かだった室内から、人通りの多い場所に飛ばされ、千春は急激に増えた情報量に軽い目眩を覚えた。メモリアも顔をしかめて頭をおさえている。
ここはクティが契約者を探すため、よく利用する場所だ。
花壇を区切るレンガに座って、クティは道行く人を眺める。その中から悩みを持っていそうな人間を見つけて後をつけ、契約が出来そうなら声をかけるのだ。
今日も人間を物色しているのだろう。千春はいつもクティが座っている辺りに視線を向けて、クティの隣に過去の千春がいることに気がついた。
さらに時間が経過したらしく、健康的な姿になっている。愛子の趣味である赤色のワンピースに身を包み、クティの隣で機嫌よくアイスクリームを食べる姿に、やせ細っていた頃の面影はない。
クティは契約者を探すとき、いつも気配を消す。変食さんは成人くらいまで成長すると、外見の変化が止まる。大抵の人間は似たような人がいると思い込んでくれるが、時折、人ではないと気づいてしまう者がいる。そういう人に出会うと面倒なので、なるべく人の印象に残らないように気配を消すのだという。
過去の千春もやり方を教えてもらったはずだが、出来るようにはならなかった。アモルとマーゴも、教わったがうまく出来ないと言っていた気がする。ある程度、年数を重ねた変食さんじゃないと難しい技らしい。
その技を、今日のクティは使っていない。おかげで派手な青年と少女の二人組は、道行く人の視線をこれでもかと集めていた。兄妹というには似ておらず、訳ありの空気をひしひしと感じる二人組だ。千春だって通行人の立場なら、どういう関係だろうと凝視してしまったに違いない。
しかし、クティと過去の千春の様子は平然としている。クティは容姿の良さから、この手の不躾な視線には慣れていると察せられるが、過去の自分のあまりにも堂々とした姿はなんだろう。もしかして、アイスクリームに集中するあまり、周囲の視線に気づいていないのだろうか。食いしん坊にもほどがないか。
襲い来る羞恥心に千春は両手を顔で覆う。何かを察したらしいメモリアが、励ますように肩を叩いた。
「千春は自分が何を食べるのか、なんとなく分かったか?」
過去の千春がアイスクリームを食べ終わったのを見計らって、クティがそう問いかけた。千春は名残惜しげに見ていたアイスクリームの包みから目をそらし、不思議そうにクティの顔を見上げる。
「えっと、クティさんは選択、マーゴくんは幽霊、アモルちゃんは愛。愛子お姉ちゃんは幸福でしょ? 私は……」
千春はそこまでいうと難しい顔をする。自分が何を食べるのか、このときの千春はよく分かっていないらしい。千春はメモリアに質問した。
「変食さんなのに、何を食べるのか分からないんですか?」
「人間だって、お腹すいたーとは思っても、体が求めてるものがタンパク質なのか、ビタミンなのかは分からないでしょ。私たちもそんな感じ。能力が分かりやすければある程度推測できるけど、愛子みたいなのは大変。クティさんが居なかったら、手当たり次第に試すしかなかったでしょうね」
「手当り次第……」
それは途方もない作業のように思える。砂漠の中から、姿形も分からない石や宝石を見つけるようなものだ。
「クティさんの力はある程度の未来が分かる。だからあなたみたいな生まれたては、クティさんのところに連れてこられるの。クティさんの力を使えば、ある程度の予測は立てられるから」
そうしてメモリアや愛子は、自分の能力の使い方を教えてもらったのだろう。変食さんがクティには世話になっていると口々に言うのは、生きるための術を教えてくれた、恩人にほかならないからだ。
過去の千春を見たクティは驚いていた。あの時、千春の能力についても何か分かったのだろうか。この段階まで教えなかったのは、千春の体調が思わしくなかったからだろう。人間であったときも病弱だったのだ。食事が足りていない状況で、上手く使いこなせる保証もない能力を使うのは、千春の体に負担がかかると判断した。そう思うのは自分にとって都合が良すぎるだろうか。
「お前が食べるのは だ」
不自然にクティの声が聞こえなかった。過去の千春は眉を寄せている。聞こえなかったというよりは、理解ができていないという様子だった。
「メモリアさん、聞こえました? 私はよく聞こえなかったんですけど」
隣のメモリアを見上げると、険しい顔をしていた。驚く千春とは目を合わせず、メモリアはゆっくり頭を左右にふる。
「聞こえなかった。たぶん、君が思い出したくないと強く思ってるんだ。ここは君の記憶の世界だから」
「私が?」
千春は自分の胸に手を当てる。思い出したいから自分はここまで来た。思い出したいという気持ちに嘘、偽りはない。
だが、どこかで不安を感じているのも確かだ。
千春は胸に置いた手を強く握る。浮かんだ不安ごと握りつぶすように。
見れば、クティと過去の千春は顔を近づけて何事かを話していた。至近距離にクティの顔がある。それに気づいた過去の千春は顔を真赤にしているが、クティは真剣な顔で行き交う群衆を見つめている。
声がよく聞こえないので近づくと、クティは潜めた声で千春に能力の使い方を教えていた。
「いいか、少しだけだ。ほんの少しだけ分けてもらうつもりで、人に触れ。触ったと気づかれないくらい、さり気なくな」
クティの言葉を時間をかけて理解した、過去の千春は首を傾げる。
「気づかれないくらいに触るって、どうやるの?」
「すれ違いざまに、軽く触るんだよ」
クティは簡単にそう言うが、過去の千春にはよく分からなかったらしい。今の千春はどうすればいいのか、すぐにわかった。きっとクティに言われたことを実践していたのだ。
「本当に少しだぞ。お前は大食いだから物足りなく感じるだろうが、お前が満足するぐらい食べると、相手は」
その後の言葉は聞き取れなかった。クティの口が動いている。過去の千春は真剣に聞いている。しかし、千春の耳にクティの言葉は入ってこない。
頭が痛む。思い出したくないと体が拒絶している。
「あんた、大丈夫?」
メモリアが心配そうに千春の顔を覗き込んだ。千春は痛む頭をおさえながら頷いた。
「私は思い出したい」
クティと一緒にいる過去の自分を睨みつける。あんなに近くにいるのに、優しくしてもらったのに、全部忘れてしまうだなんて。隣にいられる権利を放棄したなんて、千春には理解できない。羨ましい。代わってほしい。もう一度、あの場所が手に入るなら、千春は何でもすると思う。
「あんた、すごい素質あるわぁ」
呆れたようなメモリアの声が聞こえたところで、再び視界がぐにゃりと歪む。次の記憶に飛ぶのだろう。
メモリアに言葉の意味を問う前に、再びシェアハウスが現れた。今度は夕暮れ。大きな掃き出し窓から夕日が差し込んでいる。
そんな中、ソファに座っているのはアモルと千春、愛子。その傍らに居心地悪そうなマーゴと、不機嫌そうなクティが立っていた。
全員、真っ黒な喪服を身にまとっていた。
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