2-9 噂

 次の日、いつものように学校に行こうと家をでた千春は予想外の人物が家の前にいることに驚いた。


「瀬川さん、千波さん。どうしたの」


 私服を見た後だと見慣れた中学の制服も新鮮に見える。二人のもとに駆け寄った千春はじっと二人の様子をうかがった。千波はいつもどおり、瀬川は妙に緊張した様子だ。


「昨日話したでしょ。藤堂さん、一人で行動させるの不安だから迎えに行くって」

 千波がぶっきらぼうな口調でいう。不機嫌にも見えるが頬が赤いから照れているのだろう。


「あれって冗談じゃなくて、本当の話だったんだ」

「そんな冗談いうはずないでしょ」


 千春の言葉に千波が眉を寄せた。瀬川はともかく千波はあまり千春のことを良く思っていないようだったので純粋に嬉しい。「ありがとう」と笑うと千波はそっぽを向いた。頬は赤いままだから不快に思ってはいないようだ。それが嬉しくて千春の頬が緩む。


 昨日、アモルたちと別れ、慌てて向かった集合場所にはすでに千波と瀬川がいた。時計を見れば約束の時間より十分ほど遅れており、千春は慌てて謝った。

 怒られるかと思ったが、千波は千春が遅れたことよりも知らない男と一緒にいることに怒った。

 危機感が足りないと。


 クティの知り合いで、急用が入ったクティの代わりに送ってきたとマーゴが必死に説明したが、初対面であることは変わらないと最後までマーゴに不審な視線を向けていた。クティのことも警戒していたので、クティの知り合いというのも信用に値しなかったようだ。

 

 千春をマーゴから引き離すように商店街を後にした千波は千春に「明日の朝迎えに行くから」と告げた。その時は怒りゆえの発言だろうと本気にしていなかったが、こうして迎えに来てくれたのを見ると本気で心配してくれていたのだ。

 千春がほこほことした気持ちでいると千波が眉を寄せた。

 

「藤堂さん、ご飯くれるって言われたら誰にでも着いていきそう」


 酷いことをいう。千波は千春を分別のつかない小さい子だと思っているようだ。否定したい気持ちもあったが、本気で心配してくれていると伝わってきたので黙る。


 千春からすればクティもマーゴも怪しい人ではない。きっと忘れている過去に親しくしていたから、初対面だと思えないのだ。

 しかし、それを正直に説明したら頭がおかしいと思われる。せっかく仲良くなった友達に嫌われたくはない。

 そうなると、千波から見て千春は初対面の知らない男性にあっさり懐いた子。危機感の足りないと思われても仕方が無い。


「藤堂さん、体力もないし、体も小さいんだから。抱えられたら終わりだよ」


 真剣な顔で千波が告げる。たしかに千春はマーゴにあっさり抱えられた。あの時はマーゴだったから抵抗する気もなかったが、抵抗したとして逃げ出せたのだろうか。マーゴではなく知らない大人だったらと想像して千春は怖くなる。

 やっと千波や両親が千春を心配する意味がわかった気がした。


「千波さん、心配してくれてありがとう。気をつける」

「そうして。防犯ブザーとか催涙スプレーとか、スタンガンとか用意した方がいいよ」

「友ちゃん……物騒」


 話を聞いていた瀬川が呆れた顔をする。そんな瀬川を千波は睨みつけた。


「そんなこといって、藤堂さんになにかあったらどうするの。怪しい親戚に、その親戚の知り合いだっていう怪しい大学生に囲まれてるんだよ」


 怪しい親戚というのはクティのことで、知り合いの大学生というのはマーゴのことであっているのだろうか。そんなに千波から見て二人は怪しいのかと首をかしげていると瀬川が焦った顔をした。


「催涙スプレー買おう! いや、プレゼントするよ!」

「……女の子に催涙スプレープレゼントする男って……」


 千波が呆れきった顔をするが瀬川は気づいていない。慌ててスマートフォンを取り出すと検索をかけている。どれがいいかなと真剣に悩む様子に千春は戸惑った。


「二人が一緒に登校してくれるんでしょ? 帰りは瀬川くんが送ってくれるって言ってたし、二人がいれば大丈夫だよ」


 そういうと二人は顔を見合わせて、瀬川は嬉しそうに笑い、千波は照れくさそうに眉を寄せた。二人の反応を見て千春の心はさらにあたたかくなる。やり直す前の関係に戻ったみたいだ。


「本当は私も一緒に帰りたいけど、部活があるから。部活ない日は一緒に帰る」

「えーいいよ、友ちゃん無理しなくて。藤堂さんは俺がちゃんと送り届けるから」

「拓海じゃなー」


 言いながら歩きだす二人についていく。一人で歩く道よりも三人の道の方がにぎやかで楽しい。朝から嬉しい気持ちになって千春は声を出さずに笑った。二人と友達になれて本当に良かった。

 

 いつもと同じ道も三人で歩くと輝いて見える。景色は変わらないのに不思議なものだ。学校までの距離も近く感じて、あっという間に見えた校門に千春は驚いた。

 

 千春たちと同じ制服を着た少年少女たちが挨拶をかわしながら校門を通り抜ける。

 いつもであれば千春はその中に混ざって無言で校門を通り過ぎるのだが、今日は両側に千波と瀬川がいるためにぎやかだ。


 千春に比べて友達が多い千波と瀬川はよく挨拶される。知っている顔もあれば知らない顔もある。みんな二人の間にいる千春に意外そうな顔をし、千春を知っているクラスメイトは挨拶してくれた。

 人と仲良くしたいのだがどう接していいか分からない千春にとって話しかけてもらえることは嬉しいことだ。二人の隣にいるだけで声をかけてもらえるという事実は新発見で、朝から千春の心は浮足立っていた。


 昇降口で靴を履き替えていると元気な女の子の声が響いた。挨拶しながら千波の肩を叩いたのは知らない女の子。日焼けした肌や活発そうな印象からおそらく同じ陸上部の子だろう。

 千波は女の子に挨拶を返す。女の子は一緒にいる瀬川と千春をチラリと見て、両手を合わせた。


「ごめん。ちょっと友香と話したいことあるんだ」

「先、教室行ってていいよ」


 女の子の言葉に千波が続く。靴を履き替えた千春は瀬川と目を合わせた。瀬川はどうしようという顔をする。


「千波さんと一緒に行きたいから、待ってる」


 千春がそういうと千波は驚いた顔をした。女の子はなぜか口笛を吹く。「仲良しだねー」とからかう女の子に千波は眉を寄せたが、その頬は赤いから照れているようだ。


「……藤堂さん、友ちゃんのこと好き……?」

「初めてできた、同性の友達だから」


 そう答えると千羽と瀬川が同時になんとも言えない顔をした。同情や戸惑いを含んだ反応に千春はしまったと思う。

 病院生活が長かった千春にとって友達がいないのは当たり前のことだが、普通の同世代にとっては当たり前ではないのだ。

 千春にとっては大したことではないことが、周囲からすると大層なことに見える。そういった認識の違いにやっと気づき始めたが、未だにわからないことや気づかないことも多い。


 どうしようかと慌てていると千波が「そんなに時間かからないから待ってて」とぶっきらぼうにいう。女の子が「訳ありなの?」と茶化したような様子で話しかけ、千波がうっとおしげに女の子を見た。


 瀬川にうながされて千春は場所を移動する。下駄箱の前に立っていると他の生徒の邪魔になるが、あまり離れた場所にいるのもと周囲を見渡していると、背後に人が立つ気配がした。


「ちょっと、邪魔なんだけど」


 後ろから聞こえた不機嫌そうな声に千春は慌てた。人の邪魔にならないようにするつもりが思いっきり邪魔になっていたらしい。

 慌てて避けながら「ごめんなさい」と声をあげる。ちゃんと目を見て謝らなくちゃと後ろを振り向くと意外な人物がそこにいた。


 学ランの前は閉じておらず、Yシャツの下には派手な赤色のTシャツを着ている。女子が羨ましがりそうな綺麗な長い髪を後ろで止めており、千春を見下ろす目つきは鋭い。その目が千春とあうと驚きで見開かれる。千春も同じように驚いていた。


「恋くん……?」

「お前にくん付けされる筋合いないんだけど」


 不機嫌そうにつぶやかれた言葉に千春は慌てた。アモルが「恋くん」と連呼していたからとっさに言ってしまったが、恋と千春は昨日会ったばかり。しかも相手は年上だ。慌てて千春は「ごめんなさい」と頭を下げる。周囲から視線が集まるのを感じた。


 年上を無遠慮に「くん付け」した失礼な一年生。そんな視線を周囲から向けられているのかと顔が赤くなる。しかし、徐々に様子がおかしいことに気づいた。


「あれって愛澤あいざわ?」

「一年生に頭下げさせて、なにしてんの」

「やっぱ、あの噂……」


 小声で囁かれる言葉は好意的とは言えない。まとわりつくような嫌な空気に千春は顔を上げ周囲を見渡した。少し離れたところにいる千波が驚いた顔をしていて、瀬川は顔を青くしている。


 恋は周囲の様子を見渡して舌打ちすると、千春の横を無言で通り過ぎた。なにかを言う間もなく恋の後ろ姿が遠ざかっていく。周囲の視線は恋の姿を追う。ひそひそというささやき声が大きくなった。


「態度わるっ」

「やっぱあの噂本当なんだ」

「うわー、朝から嫌なもの見た」


 どんどん大きくなる話に千春は嫌な感覚を覚えた。聞いているだけで気分が悪くなってきて、めまいがしてくる。


「藤堂さん、大丈夫?」

「なにかされてない?」


 千波と瀬川が慌てて駆け寄ってきた。千波と話していた女の子も心配そうに千春を見ている。


「私が不注意でぶつかりそうになっちゃっただけで……」


 恋は悪くない。それなのに周囲は恋を悪としているのが伝わってくる。不可思議な状況に千春は怖くなる。昨日少ししか話していないし、嫌なことを言われた相手だ。恋に対して好印象を抱いているわけではない。それでも、こんな風に不特定多数から悪意を向けられるような人間には思えなかった。


 恋くんと嬉しそうに名前を呼ぶアモルの姿が頭に浮かぶ。悪い人があんなに無邪気に好かれるはずがない。


「あの人って」

「愛澤先輩。この学校じゃ有名だけど知らない?」


 千波と話していた女の子に問いかけられて千春は首を左右に振った。なんでという意味をこめて女の子を見ると、女の子は気まずそうに視線をそらす。


「私も噂でしか知らないけど……」

 女の子は千春に近づいてくると小さな声で囁いた。


「愛澤先輩、ストーカーなんだって」

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