2-10 来訪者

 班ごとにくっつけていた机を元に戻したところで昼休みが始まる。当番の班が給食の後片付けに向かうのを横目に恋はなにをしようか考えた。


 読みかけの本を読むのもいいし、クラスメイトと適当な世間話をしたっていい。天気がいいから外にいくのもありだなと考えていると、幼馴染の大雅たいががニヤニヤ笑いながら恋に近づいてきた。


「レン、聞いたぞ。下級生泣かせたんだって」


 今朝の話だとすぐ分かった。周囲が聞き耳を立てているのも、大雅がわざと大きな声で自分に話しかけたことも。


「廊下の真ん中に立ってたから邪魔だっていっただけ」

「言い方が怖かったんじゃないの? レン、ぶっきらぼうだし」

「びっくりはしたかもしれないけど、泣いてなかったから。誰だよ、泣いたなんて嘘言ったやつ」


 恋が教室内を見渡すと何人かが目をそらす。恋を目の敵にしている男子生徒もいたが、話したこともない女子生徒も混ざっていた。人のことを話のネタにしたらしい。


「だよなー。レンは口と目つきが悪いから誤解されがちだけど、良いやつだもんなー」


 大雅がそういって恋の肩に腕を回す。わざとらしい大きな声と視線に女子生徒がコソコソと教室を出ていくのが見えた。男子生徒は不満げに恋を睨みつけているが何も言わない。


 恋は噂もあってクラスで浮き気味だが、大雅は明るい性格からクラスの中心人物だ。恋に文句を言いたい人間は大雅の前ではおとなしい。大雅がいないところでは好き勝手に噂するとしても、うるさい視線を向けられ続けるよりはマシだ。


 小声でお礼を言えば大雅がきざったらしくウィンクしてきた。イラッとしたので脇腹を軽く殴ったが、バスケで鍛えた筋肉はびくともしない。少しは運動すべきだろうかと恋は男にしては細い自分の手を見つめた。


「災難だったなあ」


 周囲の興味が自分たちから離れたのを確認して、大雅が前の席に腰掛ける。そこは大雅の席じゃなかったが、席の主は時間があれば外か体育館で動き回っているやつなので問題ないだろう。


「相手の子が一年の女の子だったってだけで、散々な言われようだ」


 眉間にしわを寄せて文句をいう。言い方は悪かったかもしれないが、恋は変なことを言ったとは思っていない。人が行き交う時間帯の昇降口で、ぼんやり突っ立っているのが悪い。


「年下の女の子って以上に、病弱で小学校通えなかったっていう可哀想な美少女だったのが問題だった」


 大雅の言葉に恋は驚いて固まった。恋の反応を見た大雅が「やっぱ、知らなかったか」と苦笑を浮かべる。


「えっ、アイツそんな有名だったの」

「ん? 恋、会ったことあったの?」

「昨日のイベントに来てた」


 恋の言葉に大雅は納得した。恋の家は商店街の一角に店を構える魚屋で大雅は肉屋だ。休日は家の手伝いで潰れた。当分たこ焼きは見たくない。


「見た目にそぐわぬ大食いだって聞いたけど、イベント来てたなら本当なのかもな」


 腕を組んだ大雅が意外そうな顔をする。恋も昨日、今日と見た小柄な少女の姿を思い浮かべて「大食い……」と呟いた。

 病弱だったと聞けば納得のいく吹けば飛んでいくようなか弱い子というのが第一印象だった。美少女と言われればたしかに容姿は整っていたし、眠たげな印象の目を見ていると守ってあげたくなるような庇護欲をそそる子ではあると思う。


「いやでも、元病弱だったとしても今は元気なんだろ。なんで俺が一方的に悪者扱いされてるわけ」

「そういう言い方もあるんじゃないか?」


 大雅が苦笑いを浮かべるが恋は間違ったことは言っていない。本人だって病気が治った後まで病弱扱いされるのは不満だろう。一度付いた印象がなかなか消えないことを恋はよく知っている。

 それに昨日自分に対して怒りをあらわにした姿は見た目の印象とは違っていた。見た目通りのか弱くて小さい子供ではないとわかったから、恋は素直に謝ろうと思えたのだ。

 けれど……。


「クティさんは無謀だよなあ……」

 恋の呟きに大雅が眉を寄せた。いきなりどうしたという反応に恋は昨日見た光景を口にする。


「噂の奴、マーゴさんと一緒にいたんだ。クティさんのお気に入りっていってた」

 恋の言葉に大雅は目を見開いた。すぐに神妙な顔をしてなにかを考えるように下を向く。


 恋たちが生まれ育った小狐商店街には人間ではないものがよく現れる。それを商店街の人間は当たり前のものとして受け入れる、かなり特殊な環境である。そうなるに至った経緯には色々あるようだが、詳しいことを恋は知らない。正確に事情を知っているのは商店街でもごく一部。それでも、小さい頃から当たり前に人ではないものと接していると慣れるのだ。世間では異常であっても恋たち商店街の人間にとっては普通のことだ。

 

 しかしながら、普通でいるためにはルールが存在する。その中で一番重要なのが彼らを怒らせてはいけないというものだ。ひとたび怒らせれば普通は異常に変わる。だから商店街の人間は彼らを隣人として受け入れつつも一線を引いてもいる。人間ではないということを忘れてはいけない。そう恋は祖母に何度も言い聞かせられた。


 そんな彼らの中でリーダー的ポジションにいるのがクティだ。この街に彼らが住み着くようになってから数百年。初めはもっと多くの存在が人間社会に紛れ込んでいたらしい。それは文明の発展と共に数を減らし、現在では数えられるほどになってしまった。その中で、ずっと変わらず生き続けている数少ない存在がクティだ。


 遠目から見ても分かる派手な装い。軽薄な言動。過去と未来を見通す力。すべてが恋にとっては恐ろしい。

 アモルが無邪気に「兄さん」と慕っている姿を見ているので、身内には優しいのだと知っている。しかし、身内以外にはとことん冷徹だということも聞いている。

 

 一応商店街の人間はクティの身内の枠に入っている。親、子、孫と生まれたときから見ていれば情もわくのだろう。商店街の外の人間に比べれば態度は柔らかいし、頼み事も聞いてくれる。それでも怒らせれば容赦はない。


 昔、クティにとことん入れ込んだ女がしつこく恋人になって欲しいと迫り、死んだ方がマシだという目に合わせられたという。その話は怪談として語り継がれている。それを信じずに怒らせた人間にも様々な不幸が舞い込んだという。


「クティさん、あの外見で特定の恋人作らなかったのって幼女趣味だったからなのか?」

「お前、それ聞かれたら酷い目にあうぞ」


 真面目なのか不真面目なのか分からないトーンで話す大雅に恋は忠告する。大雅も冗談ではすまないと思ったのか両手を挙げて降参のポーズをとった。


「いやだって、クティさんが特定の人間を気に入ったって話聞いたことないし。しかもあの子だろ。可愛い子ではあるけど、可愛すぎるっていうか……。子供可愛がるタイプでもないと思うんだけど」


 大雅は思案顔でブツブツつぶやいた。そのつぶやきには恋も同意だ。


「最近のクティさん、様子がおかしいっていうか丸くなったって話は聞いてたけど、まさかあの子が原因で?」

 初めて聞いた話に恋は大雅を見つめた。大雅は恋の視線に気づかず、未だ思考を続けているようだ。


「クティさんが丸くなった……?」

「なんか様子がおかしいってうちのお袋にマーゴさんが話してたんだよ。あんまり怒らなくなったし、ぼーっとしていることが増えたって」


 マーゴがいうクティを想像して恋は違和感に眉を寄せた。クティがぼーっとしている姿など恋は見たことがない。


「クティさんが人間に入れ込んでおかしくなった……?」

 口に出してみてあまりの違和感に首をかしげる。大雅も同じことを思ったらしく表情は険しい。


「その子、気になるな。様子見に行ってみるか」


 しばしの間を置いてから大雅が表情を明るくした。思案に曇っていた瞳は好奇心で輝いている。思い立ったら即行動。その自分にはないアグレッシブさに恋は憧れているが、今回に限っては待ったをかけた。


「やめとけ。本当にクティさんが気に入ってるなら、下手にちょっかいかけたらどんな目にあうか分からないぞ」


 ただでさえクティは温厚とは言いがたい。怪談として伝わっている話はクティが一番多いのだ。好奇心で藪をつついて、怪談の仲間入りなんて笑い事ではすまない。

 恋の忠告に大雅は考えるそぶりを見せた。大雅もクティを怒らせるのはまずいと分かっている。子狐商店街で生まれ育った子は嫌というほど人ではない者たちの怖さを教え込まれて育つのだから。

 それでも大雅は止めようとは口に出さなかった。悩むそぶりを見せて、なぜか恋を見つめる。


「でもさ、恋気にならないか? あのクティさんに気に入られた子がいるんだぞ」

「気にはなるけど、命はることじゃないだろ」

「本当にそう思うのか? クティさんに気に入られる方法が分かれば、お前だって気に入ってもらえるかもしれない。そうしたらアモルさんとも……」

「大雅!」


 思ったよりも大きな声が出た。勢いのまま立ち上がったせいで椅子が倒れる。教室に残っていたクラスメイトたちの視線が集まる。それでも恋は大雅をにらみつけた。

 大雅は急に怒鳴った恋に驚いた顔をして、それから気まずそうに目をそらす。「ごめん」と小さくつぶやかれた声は張りがなくて、本気で悪いと思っているのが伝わってきた。いつも元気な大雅の落ち込んだ様子を見て恋は冷静になる。


「……悪かった。急に大声出したりして」

「こっちこそ悪かった。お前の気持ちも考えずに勝手なこと言った」


 お互いに謝ってから恋は倒れた椅子を元に戻す。何事かという周囲の視線は無視した。今更噂の一つ二つ増えたところでどうってことはない。


「関わらない方がいい。言われてきただろ。あの人たちとは一線を引くべきなんだ。隣人ではあっても同じ人間ではない」


 固い声で恋はその言葉を口にする。大雅に言っているというよりは自分自身に言い聞かせているようだった。亡き祖母が恋の両手を握って何度も繰り返した話でもある。

 忘れてはいけない。彼らは人の姿をしているけれど、人ではない。


 恋の顔をじっと見つめていた大雅はやがて頷いた。言いたいことを無理矢理飲み込んだような煮え切らない反応をしていたが、それは恋を気遣ってのことだと分かっている。恋の気持ちを知っているから先の言葉を口にし、今は胸に秘めたのだ。出来た幼馴染みだと恋は心の中で感謝した。


「ちぇー。可愛い子だっていうから一回見てみたかったのに」


 わざとらしいふざけた態度をとる大雅に「お前モテるくせに」と恋は軽口をいった。大雅が「そんなことはない」といって、数日前に起こったという出来事を話し出す。

 クティと病弱な女の子の話はこれでおしまい。

 話を切り替えてくれたことに感謝して恋は大雅の話に耳を傾ける。これであの子との縁は終わり。同じ学校に通っている以上見かけることはあるだろうが恋は三年生、今年で卒業だ。商店街に来たとしても知らないふりをすればいい。向こうだって恋に良い印象は持っていないだろうからわざわざ話しかけてはこないだろう。


 そう恋は安堵したのだが、

「藤堂さん!! やめようって!!」

「なんで妙なところに行動力あるの!!」

 どこからともなく響いた男女の悲鳴じみた声に、かすかな感傷は引っ込んだ。


 恋と大雅は顔を見合わせ、声のした方向を見る。クラスメイトたちも同じように廊下を見つめていた。何事かと立ち上がり、様子を見に行こうとする者が現れたところで、大きな音を立てて教室のドアが開く。そこには昨日、そして今朝見かけた儚げな少女が仁王立ちしていた。


「愛澤先輩、いらっしゃいますか!」


 見た目にはそぐわぬ大きな声。眠たげに見えた瞳は強い意志を感じる。少女の後ろには先ほどの声の主だろう男女二人が立っていた。ショートカットの活発そうな女子は額に手を当てて、成長期前の中性的な顔をした男子の方はあわあわと視線をさまよわせている。


「愛澤先輩は!」


 誰も答えないことにじれたらしい少女がもう一度声を張った。その声で固まっていた教室は動き出し、クラスメイトたちが少女の声に支配されたように恋へ顔を向ける。


「……何の用」


 自分でも驚くほど不機嫌な声が漏れた。隣にいた大雅がちょっと距離を取るほどの。クラスメイトたちも引きつった顔をしているし、少女の後ろの男子は顔を青くしている。しかし、一番か弱く見える少女は全く動じなかった。


「聞きたいことがあります」


 これは話を聞くまで引いてくれない。そう感じた恋は大きなため息をついた。

 切れるはずの縁が強引に結ばれた。

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