0.何度でも

 マーゴが欠伸をしながら自室のドアを開けると、飛び込んできたのは珍しい顔だった。

 シェアハウスの管理人をしている愛子がリビングにいるのは分かるが、帰ってきてもすぐに居なくなってしまうメモリアの姿がある。ソファに座るでもなく、身を寄せ合って小声で囁き合う二人の姿に、マーゴは首をかしげた。


 メモリアと愛子はあまり仲が良くない。正確にいうならメモリアが妙に愛子に突っかかるのだ。愛子は受け流しているが、毎度変に突っかかってくるメモリアを好きになれるはずもなく、二人が揃うと空気がひりつく。クティは縄張り争いみたいなもんだと言っていたが、マーゴにはよく分からない。

 そんな二人が仲良く身を寄せ合っている。明らかに異常事態である。マーゴの眠気は吹っ飛んで、恐る恐る二人に近づく。


「二人ともどうしたの? メモリアがまだ居るなんて珍しいね」

「私もすぐ出ようと思ったんだけどさ……」


 メモリアはチラリとマーゴを見てから、視線をある方向へ向けた。先ほどからメモリアと愛子が揃って見ていた方向である。

 一体なにがあるのだろうと視線を向ければ、吐き出し窓の前にクティが座っていた。いつも派手な格好をしているクティにしては珍しい、スウェット姿である。それだけでも十分珍しいのだが、フローリングに座ってぼんやり庭を眺めている姿はさらに珍しい。


「えっ、どうしたの、クティさん」


 思わずマーゴも小声になった。二人が身を寄せ合って話していた意味が分かって、マーゴもその輪に交ざる。メモリアも愛子も何の文句も言わなかった。混乱を共有する仲間を求めているようだ。


「私が起きたときにはすでに」

「まって、愛子さんが起きるのって何時?」

「六時」

「六時から!?」


 思わず大声を出してしまい、愛子とメモリアにそろって「しぃー」とジェスチャーされた。仲が悪いわりに妙に息があっている。実は似たもの同士なんじゃないかとマーゴは思ったが、口に出したら怖いので飲み込んでおく。


「昨日、挨拶した時は普通……いや、ちょっとぼんやりしてたけど、今ほどじゃなかった」

「ここ最近は、上の空の感じだったけど、今日は特に酷い」

「この間、モルさん引きずって病院いったでしょ。あの辺りからクティさん、ちょっと変なんだよね」


 引きこもっているモルを引きずり出し、マーゴまで病院に連行したときは何事かと思った。

 マーゴはクティに「病院とその周辺にいる幽霊片っ端から食え。一匹も逃がすな」と鬼の形相で命令されたので、クティとモルが病院で何をしていたのかは知らない。

 戻ってきたモルはよほど怖い目にあったのか、何を聞いても一言も話してくれなかった。モルは元々無口だが、今回はいつも以上に頑なだ。


「……戻ってきたのかな?」


 ここ最近のクティのおかしいエピソードを愛子と話していると、一通り話を聞いたメモリアが呟いた。マーゴはよく分からなかったが、愛子はその一言で何かを察したらしい。


「たまにあるの。長く別の分岐とか時間軸にいて帰ってくると、時差ボケみたいになるんだって。落ち着くまでぼーっとしてるんだよね」

「今回ほど酷いのは初めてみたけど」


 メモリアと愛子が口々にいう。マーゴはこの中で、クティとの付き合いが一番短い。マーゴが知らないことが沢山あるのだと頭では分かっているが、ちょっと不満でもある。


「それならそうと、言ってくれればいいのに」

「クティさん、弱み見せたがらないからね」

「分かりやすくリビングでぼーっとしてるだけ、甘えてるみたいなもんよ。自室こもって一日寝て、こっちが気づかないうちに調整終わってる時もあるんだから」


 付き合いが長いメモリアはそういって、呆れた顔でクティを見つめている。クティの能力は複雑だから、説明されてもよく分からないことが多い。それでも、時折しんどそうにしていることは知っている。愚痴ぐらい吐いてくれればいいのに、クティは一人で飲み込んでしまうのだ。普段あれだけ横暴なくせして、本当に弱っている時は姿を見せない。猫みたいだと言っていたのは愛子だっただろうか。


「今だったら、甘えてくれるかな」

「やめときなさい。下手につつくと殴り飛ばされるわよ」

「窓割れたら面倒になるから、刺激しないで」


 心配しているわりにはドライな反応である。クティは猛獣か何かかと思ったが、変につついたら猫パンチという名の強打が襲ってくると考えれば猛獣が正しい。

 様子を見ながらそれとなく聞き出すしかないかと考えていると、ピンポーンという間の抜けた音が響いた。


 愛子が玄関へと向かう。ここにいる面々は個性が強く、社交性が欠けているので、来客者の対応はもっぱら愛子だ。誰かが宅配でも頼んだのかなと思いながら、全く動かないクティの後ろ姿を見つめた。


 同じリビングの中にいるのだ。声をひそめても、いつものクティだったらすぐに気づく。気づいて「なんか、文句あんのか」とガンを飛ばしてくる頃なのに、クティは動かない。

 同じ空間にいるのに、別々の場所に居るみたいだ。クティとマーゴの間に分厚い壁があって、こちらの音がクティには一切届いていない。そんな想像をして、クティの能力を考えると可能性はゼロではないのだと思い至る。

 急に不安に駆られて、マーゴはクティに声をかけようとした。その時、愛子の叫び声が聞こえ、誰かが廊下を走る足音が近づいてくる。


 メモリアとマーゴが振り返る。それとほぼ同時、玄関へと続く白いドアが勢いよく開いた。


 そこに立っていたのは小柄な少女だった。眠たそうな大きな瞳。可愛らしい子だなとマーゴは思ったが、幼い外見と強い決意を宿した眼光が釣り合わない。全く知らない子が突然家の中に入ってきたというのに、マーゴもメモリアもあっけにとられて言葉が出なかった。


「クティさん! 私、忘れませんでした! もう一生、忘れません! クティさんと一緒にいることが私の幸せだって証明してみせます!」


 少女が叫ぶ。その声に反応して、さっきまで石のように動かなかったクティが勢いよく振り返った。少女を視界に入れた途端、目がこぼれんばかりに見開かれる。珍しい表情にマーゴが驚いている間に、クティはさっきまでぼーっとしていたのが嘘のように、俊敏な動きで掃き出し窓から外に飛び出した。


「ちょっと!? クティさん、裸足!」

「あなた誰!? 土足で家の中に入るって、どういう教育されてるの!!」


 メモリアと、追いついてきた愛子が同時に叫んだ。マーゴの頭の中は疑問符でいっぱいだったが、この状況を作り出した少女は「逃げた!」と悔しそうに叫び、遠慮なくリビングを走り抜けた。土足で。


「ちょっと、あなた!」

「誰よ!? あのガキ!」


 愛子とメモリアが叫ぶ。少女はクティが開け放った窓から外に出る直前、二人の声に振り返った。そこでやっと自分が靴を履いたままだったことに気づいたらしく、「あっ」と気まずそうな声を上げる。


「愛子さん、すみません。帰ってきたら掃除します」

 愛子が「何で私の名前」と呟いた。


「メモリアさん! ありがとうございます! 恋する女は強いって証明してきます!」


 そういうと少女は勢いよく窓から飛び出して、クティが走り去った方向へかけていった。お世辞にも早いとはいえない、運動しなれてない動きだったが、クティは裸足だ。それに体力がキレてヘロヘロになった少女を見たら、心配になって戻ってくるような気がした。なぜか分からないが、クティは少女の事を無視できないとマーゴは確信を持っていた。


「……誰?」

「知らない」

「私も知らない」


 三人顔を見合わせ、口々にいう。マーゴは首をかしげ、愛子は腕組みをし、メモリアは前髪をかきあげて天井を見上げた。しばしそれぞれ記憶を掘り返したが、誰も覚えがなかったようで、妙な沈黙が続く。


「クティさんの知り合い?」

「契約者……にしては幼い。趣味変わった?」

「うーん……よくわかんないけど」


 マーゴはクティたちが飛び出していった窓を見つめる。風が吹き込んでカーテンが揺れ、柔らかい日差しがリビングを照らす。少女が台風のように走り去ったおかげか、先ほどまでリビングを包んでいた陰鬱な空気が吹き飛ばされたような気がする。


「なんか、良かったなって思う」


 マーゴがそういって笑うと、愛子とメモリアは眉を寄せた。意味が分からないと口に出さずとも表情が語っている。

 マーゴだって意味が分からない。クティがぼんやりしていた理由も分からないし、謎の少女との関係も分からない。分からないことばかりなのに、なぜだか良かったなと強く思った。

 クティと名前も知らないあの子が、一緒に並んで、明るい日差しの下に居る。それはとても幸せなことに思えたのだ。


 遠くの方から「捕まえたぁ!!」という雄叫びのような声が聞こえた。決着は思ったよりもあっさりついたらしい。

 追いかけっこの勝者を祝福すべく、マーゴは玄関へ向かって歩き出す。悔しがるクティを想像すると、なぜか胸がスッとした。クティが少女に負けることを、マーゴはずっと待ち望んでいた気がする。


 全く意味が分からない。分からないのにマーゴは嬉しくて仕方がない。だから、意味がわからなくてもいいやと思った。

 鼻歌交じりに外に出ると、クティに名も知らぬ少女が抱きついていた。絶対に逃さないと強い意志を感じる姿にマーゴは思わず笑ってしまう。


「クティさん、そろそろ観念しなよ〜」


 そう言いながら近づくと、クティに殺されそうな目で睨まれたが全然怖くない。マーゴは知っている。クティが本気を出せば人間の女の子が追いつけるわけがないのだ。だから、そういうことなのだ。


「ねーねー、君、何ていうの?」


 クティに張り付く少女に話しかける。少女はなぜか一瞬、悲しそうな顔をして、それから何かを決意したような顔で答えた。


「藤堂千春。クティさんといっしょに生きるって決めた人間です」


 その答えをずっと待っていた気がして、マーゴはクティと千春に力いっぱい抱きついた。







「変食さんと私」  おしまい

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変食さんと私 黒月水羽 @kurotuki012

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