4-5 不思議な夢
商店街にある魚屋、それが愛澤の家だった。愛澤の部屋に通された千春、マーゴは小さなテーブルを囲むように座る。テーブルの上には、愛澤が用意してくれたお茶が三人分。窓から元気に魚を売る、愛澤の両親の声が聞こえてくる。
千春は初めて訪れる友達の家にドキドキしていたが、マーゴは初めてとは思えない、リラックスした様子でベッドに寄りかかっていた。
「なんで突然俺の部屋……」
千春の向かいに座っている愛澤が、微妙な顔で深いため息を吐く。その様子を見てあまりにも突然だったと千春は反省したが、すでに上がり込んでしまった後である。今度美味しいものでも持ってこようと決意し、愛澤に向かって頭を下げた。
「すみません。他に話が出来る場所が思いつかなくて」
「ボクの家だとクティさんに今度こそ追い出されそうだし、千春ちゃん家にボクらが押しかけても追い出されそうだよね」
両親は驚くだろうが追い出しはしないと千春は思ったが、家に連れて行くという発想がなかったのは事実だ。それは両親に心配をかけたくないという気持ちが大きいためで、その結果愛澤に迷惑をかけているのだと気づき、千春は肩を落とした。
「ごめんなさい。マーゴさんと話しがしたいしか、頭になくて」
「もういいよ。なんかうちの親喜んでたし。藤堂の家に行くとなったら色々気まずいし」
愛澤はそういうと顔をしかめる。
愛澤が言う通り、愛澤の両親はマーゴと一緒に現れた千春を大歓迎してくれた。彼女と勘違いされたときは愛澤とマーゴが、千春よりも必死に否定していたが。
「先輩、友達いないんですか?」
「お前に言われたくない」
不機嫌そうに愛澤の眉がつり上がる。地雷だったらしい。
「恋くんはアモルちゃんに気に入られちゃったからねえ。商店街の子たちの中でも遠巻きにされちゃって、ほんとアモルちゃんがいつもご迷惑を」
だらけていたマーゴが突然姿勢を正し、愛澤に向かって頭を下げる。千春も驚いたが、愛澤はさらに驚いたようで、慌てた様子で両手を左右に振った。
「いや、迷惑だなんて、俺もアモルちゃんと一緒にいるの楽しいし」
「でもさ、人間の友達は出来ないでしょ? 仲いいのは大雅くんくらい?」
マーゴの指摘に愛澤は黙り込んだ。
「アモルちゃんはあの通りだから、空気を読むとか、周囲を気にかけるとか苦手でさ。恋くんの苦労とか全く気づいてないと思うよ。ボクもあんまり恋くんに構うなっていってるんだけど、聞かないし。迷惑だったら恋くんからビシッと言わないと」
「迷惑じゃないですし……」
愛澤はそこで言葉を句切ると、マーゴから視線をそらしたままつぶやいた。
「俺、中学卒業したらここから離れるつもりなので、アモルちゃんとの関係もそれで終わると思います」
愛澤の消え入りそうな告白に、マーゴは目を瞬かせて、「そっかぁ」と気の抜けた声を出した。声だけ聞くと薄情だが、表情は複雑だ。寂しさやら申し訳なさらやら、決断に対する敬意やら、様々な感情が透けて見える。
「アモルちゃん、寂しがりそうだねえ」
「アモルちゃんなら、すぐ忘れますよ」
愛澤の言葉に、マーゴは何も言わずに笑みを浮かべた。感情の読み取れない曖昧な笑みだったが、千春には、マーゴが自分と同じ事を考えていると分かった。
愛澤が思っている以上に、アモルにとって、愛澤は特別だ。離れたところで、簡単に縁が切れるとは思えない。距離と時間をおいて愛澤が風化させたとしても、人間とは時間の流れが違うアモルが忘れるとは限らない。
それでもマーゴは何も言わなかった。愛澤とアモル、どちらのためなのかは分からなかったが、マーゴは言葉を飲み込んだのだ。その思慮深い態度を見て、マーゴはたしかに、長い時間を生きる変食さんなのだと思った。
「それで、千春ちゃんの話したいことって?」
空気を変えるように、マーゴは明るい声をだす。愛澤がほっとした顔が見え、これはマーゴの思惑に便乗した方がいいのだろうと、千春は本題を切り出した。
「不思議な夢を見たんです」
「夢?」
突拍子のない話に、マーゴと愛澤が不思議そうな顔をした。千春も二人の立場だったら、わざわざ呼び出して言うことがそれかと思っただろう。
「夢の中で、綺麗な顔をした高校生くらいの男の人に会いました。その人に、消えた記憶を思い出したいならメモリアさんと、ニムさんって変食さんと一緒にもう一度夢に来てって言われたんです」
「夢に来るって、どうやって」
「強く願えばいいって、その人は言ってました」
愛澤は顔をしかめた。変な宗教にはまった人間を見るような反応に、千春は少し傷つく。
「それって夢の話なんだよな?」
「はい。夢の話です。でもただの夢とは思えないというか……」
「千春ちゃんって、ニムさんのことは知らないよね」
マーゴからの問いかけに千春は頷いた。先ほどまでニコニコしていたマーゴの顔は、真剣なものへと変化している。
「千春ちゃんは、前の記憶が中途半端に残ってるみたいだけど、ボクと会うまで、ボクのことは覚えてなかったでしょ?」
「はい。クティさんのことも、駅であって初めて思い出しました」
何かを忘れているという感覚はあったが、その何かはずっと分からなかった。かすかに残っていた記憶が反応したのは、クティにあってから。
「恋くんもニムさんのことは知らないよね?」
愛澤は頷く。その反応を千春は意外に思った。
「ニムさんは夢を食べる変食さんなんだけど、シェアハウスでほとんど寝てるんだ。部屋はクティさんの隣。生きてる年数はクティさんと変わらないらしいんだけど、起きてる時間が極端に短いから、知らない人の方が多いんだよね」
クティと同じくらい生きているという発言に、愛澤は目を見開く。変食さんの平均寿命など分からないが、長寿の部類なのだろう。
「偶然って片付けるには違和感があるね。夢はニムさんの領域だし。その夢であった男の人っていうのはどんな人なの?」
ぼんやりとした夢の輪郭を、千春は必死にたぐり寄せる。長い髪に女性のように整った容姿。言動も高校生にしては大人びていたような気がする。それらを一つ一つ思い出していくうちに、彼が最後に言った言葉が頭に浮かんだ。
「自分の名前は羽澤トキアだって、言ってました」
その名を出した瞬間、マーゴが後ずさった。背にしていたベッドにぶつかっても気にもとめず、青い顔で千春を凝視している。予想外の反応に、千春と愛澤は驚き固まった。
「えっまって、本当に!? 本当にトキア様!?」
次の瞬間には、青い顔のまま愛澤のベッドにすがりつき、動揺しきった様子で騒ぎ立てる。クティにプロレス技をきめられていた時ですら、ここまで怯えていなかった。
「青い髪で、青い目で、長髪で、中性的な顔した美少年だった!?」
「はい」
頷くとマーゴはベッドに額を押しつけた。言葉にならない悲鳴のような、呻き声のようなものが聞こえて、千春は思わず愛澤と顔を見合わせた。
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