第27話

 リーが私たちふたりの方を振り向いた。身分証に載っていた写真のような厳しい表情をしている。


「いいですか、危ないので私が許可するまでここを動かないでください。私たち公安がまず被疑者と接触します。安全が確認されてから調査を開始してください」


 私たちがうなずくのを見届けると、リーは港湾職員へ声をかけた。


「防弾シェルターの起動をお願いします」


 わかりました、と職員は答え、持っていた端末を操作した。ガタンと金属音がした後、ヴェロニカたちが立っている白線に沿って金属と思われる黒い壁が迫り出してきた。壁の高さはヴェロニカの肩ほどで厚みは10cmもあった。壁の一部が透明のプラスティックになっており向こうを覗けるようになっている。


「腰を落として身を隠してください。念のためです」


 驚いていたヴェロニカとゴーリェだったが、言われた通り壁に身を隠した。


「彼はいいんですか?」


 職員が身を隠さず立っているのを見てヴェロニカはリーに聞いた。


「ここの職員は全員、アンドロイドです。カーボンナノチューブによる皮膚装甲を装備しているので大丈夫でしょう」


「お気遣いありがとうございます」


 職員はヴェロニカに笑みを返した。皮膚装甲とは何なのかヴェロニカは知らなかったが、きっと物凄い技術なのだろう。


 階段状のタラップ上部付近にある扉が開いた。乗員が降りてくるのだろうか? ヴェロニカは開いた扉に意識を集中する。すうっとひとり人影が現れた。スーツを着た中年の男性だ。彫りの深い欧州系の顔立ちを見てヴェロニカは思わず声をあげそうになった。――スティーブだ! ミーシャの家で縛られていた時よりは顔色がいいように見えた。続いて、パーカーのフードですっぽり頭を覆い、さらに顔の下半分はパーカーのファスナーを上げることによりマスクのように隠されている人物が出てくる。ダボっとしたズボンを履いており体のラインがわからないため、性別もはっきりしない。


 ミーシャ、あなたなの? 声をかけたい衝動を必死に抑える。リーが身を固くしているのがわかった。スティーブがノロノロとタラップを降りてくるが、後ろの人物もすぐ後ろにピッタリくっ付いて降りてくる。もしかしてスティーブに銃かナイフを突きつけているのだろうか? そのふたりの後からは誰も出てこない。


 リーがゴーリェとヴェロニカに目で合図を送り、手でそのままここにいろ、というジェスチャーをした。スティーブがタラップから地面に降り立ち、あたりを見回した。パーカーもタラップをおり、スティーブの横に立つ。――次の瞬間、猛然と走り出したリーがスティーブとパーカーの前に躍り出た。


「公安警察です、動かないでください!」


 右手で身分証を掲げるが、少し離れているのでふたりには見えないだろう。スティーブは驚愕の表情を浮かべているが、パーカーは身じろぎひとつしない。


「私が何をしたって言うんだね」


 スティーブが叫んだ。


「あなたのお名前を確認させてください」


 リーはふたりに近づくことなく言う、警戒しているのだ。


「スティーブ・ヤマグチだ、身分証もある、ほら」


 スティーブはデバイスをリーに見せようと差し出すが、リーは動かない。


「隣の方、お名前を!」


 リーは大声を出す。だがパーカーからの返事はない。


「待ってくれ、彼女は病気なんだ。私から彼女の身分証を渡す」


「フードをとって顔を見せなさい!」


 スティーブの発言を無視して、リーは一歩近づく。パーカーの右手が少し動いた。


「動くな!」


 リーが腰から拳銃を取り出し構えた。いけない!ヴェロニカは背中に冷たい汗がにじむのを感じた。


「バル、止めなきゃ! ミーシャが撃たれちゃう」


「わかっている。もう少し待つんだ……」


 ゴーリェの額にも汗がにじんでいる。


「銃を降ろしてくれ、私がこの人のフードを取ろう、それでいいかね」


 スティーブの提案にリーは首を横に振った。もしかしたら冷静さを失っているのかもしれない。


「もう一度だけ言う、フードを取るんだ……」


 たまりかねてシェルターから飛び出そうとしたヴェロニカの手首をゴーリェが掴んだその時、リーが突然、喋り出した。イヤフォンに着信があったようだ。


「はい……はい! リーコートンであります。ご、ご無沙汰しております! えっ! それは……いえ、決して忘れては……はい、承知いたしました。ではそのようにいたします」


 通話が終わってもリーはしばらく黙っていた。彼女の肩は大きく上下している。もしパーカーがミーシャなのだとしたら、お願いだから今は動かないで! 

 

「スティーブさん、その人のフードをとってください、ゆっくりとお願いします」


 リーの声はやや平静さをとり戻しているように聞こえた。


「わかった」


 スティーブはパーカーのすぐ後ろにこちらを向いて立ち、右手で顔の下半分を覆っているパーカーのファスナーを、左手でパーカフードの左端をつまんだ。パーカーは反応しない。リーに見えるようにゆっくりとファスナーを下げつつ、フードを持ち上げていく。照明に照らされた青白い肌が浮かび上がる。大きなグリーンの瞳がぼんやりと正面を眺め、ピンクのふっくらとした唇は力なく開いている。フードからこぼれた金色の髪がフワッと広がって、美しい女の顔が現れた。


 ヴェロニカの目は、なかなかその顔に焦点が合わなかった。頭が混乱している。見たことがある顔だった。だが、ミーシャの顔ではない。いったいどこで見たんだっけ? そうだ、ルミと初めて会ったあの日、ルミの会社の受付に座っていた女性。名前は何だっけ? サリー? そうサリーだ。


「ミーシャ・ヨハンソンはどこです?」


 リーは拳銃を降ろしスティーブに尋ねた。


「この船に乗っている人間は私だけだよ。この子は私の会社の社員でね。アンドロイドだ。心の病気をわずらっていてね、アビスモ居住区の専門医に診てもらうつもりだ」


「――では質問を変えましょう」


 スティーブが反応しないのを見てリーは言った。


「ミーシャ・ヨハンソンの画像を」


 腕のデバイスに指示を出す。


 リーやスティーブたちから少し離れた空間に、光の粒子がサーッと拡散してから人の形に収束していく。四次元コードによる立体映像だ。背中を向けた女性がそこに立っているかのように出現した。金色の長い髪。ワンピースの裾から形の良い両足が伸びている。ヴェロニカは違和感を感じた。ミーシャの髪はもっとこう銀色に近かったはずだ。立体画像は回転台に乗っているようにぐるりと回転を始めて、女性が徐々にこちら側を向く。


 迷いのないブルーの瞳――だった。待ち合わせの時に初めてヴェロニカに向けられてから、何度も、何度もヴェロニカに向けられた、透き通るような青色。の立体画像はヴェロニカの前でぐるぐると回転を続ける。これは何かの間違いだろう。リーが間違ってルミの画像を表示してしまったのに違いない。


「リー捜査官! その人はミーシャ・ヨハンソンではない。何かの間違いでは?」


 ゴーリェが立ち上がりリーに言った。ヴェロニカも立ち上がる。指示があるまで動くなと言われたがリーはとがめなかった。


「ゴーリェさん、なぜあなたがミーシャ・ヨハンソンを知っているのです?」


「友人だからだ、そして行方を探している」


「私の親友なんです!」


 ヴェロニカも必死に訴えた。リーも困惑の表情を浮かべる。


「やれやれ、なぜそのことを黙っていたのかは後で聞くとして、この立体画像がミーシャではないとするといったい誰だと言うんです?」


 いつの間にか隠れていた大勢の公安捜査員がタラップ付近に集まってきている。スティーブとサリーが身体検査を受けているのが見えた。


「スティーブさん、この画像の女性に見覚えはありますか?」


「あるとも……私の娘のルミだ」


「ルミさんは今どちらに?」


 スティーブは沈黙している。微かに唇が震えているよう見えた。ルミなら今、アビスモ居住区の南側入り口に――とヴェロニカが伝えようとしたその時、スティーブが口を開いた。


「ルミは死んだ。1年前にね」

 


 

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