第21話

 開いた扉の奥に若い男が立っている。身長はヴェロニカより少し高いくらい、前髪をラフに立ち上げてサイドが短くカットされた髪型に黄色がかった茶色の瞳。人懐ひとなつこい笑顔がヴェロニカ達に向けられていた。


「やあ、ヴェロニカ、いらっしゃい。空の旅はどうだった?」


「ええ、快適だったわ。ありがとう、バル」


「そう、それは良かった。さあお入り下さい」


 ゴーリェに促されて、カーンとルミもヴェロニカに続いて入室する。広くはないが洗練された雰囲気のエントランスの南側に扉があり、5つのデスクがパーテーションで区切られた形で配置されたL字型の部屋へつながっている。エントランスから入ってきた人からデスクが見えないように置かれたグリーンウォールの手前に扉があり、3人はその扉の中に案内された。扉の中はミーティングルームになっており、長方形のデスクの長辺部分に4つの椅子が置かれている。


「初めまして、バルバ・ゴーリェです」


 椅子に座る前にゴーリェは、カーン、ルミと握手を交わす。身長2メートルの大男とお人形のような少女の組み合わせにはかなり違和感があったはずだが、ゴーリェはそんなことはおくびにも出さない。どんな相手でも態度を変えない、投資銀行の営業でつちかわれたスキルなのだろう。


 ゴーリェの隣にヴェロニカ、向かいの席にルミとカーンが座ると、ゴーリェは飲み物を用意してくると告げて部屋を出ていった。


「ゴーリェさんのこと、バルって呼んでるんですか?」


 ルミがヴェロニカに意味ありげな視線を送ってくる。


「ミーシャもそう呼んでるわ」


 あえて素っ気ない返事をした。ゴーリェがお盆に乗せた飲み物と電子デバイスを持って部屋に入ってきた。それぞれの飲み物を配るとヴェロニカの隣に座る。


「ゲブリュルとは会うことができそう?」


 ヴェロニカが口を開いた。


「残念ながらまだだよ。だが連絡は取り合っている。アビスモ居住区への住民登録ができれば、おそらく会うことができると思う」


 ここでゴーリェはカーンとルミの方を向いた。


「ああ、説明が必要ですね。会社名を見てお気づきかもしれないのですが、この会社は私ともう一人ゲブリュルという女性との共同経営なんです。ゲブリュルは訳あってグランドパルマ島にはいないのですが、今申し上げた通りアビスモ居住区への住民登録を申請中で、申請が通ればここで一緒に仕事ができるという訳です」


「ごめん、バル。実はさっきアビスモ居住区の前を通ってその話をしたところなんだ」


 ヴェロニカが声のトーンを落としながら言った。


「いや、気にしなくて大丈夫だよ。別に隠してる訳じゃないから。ご察しの通りゲブリュルは普通の人間ではありません。だがA.Iを搭載したアンドロイドでもない。彼女はアンドロイドの肉体に人間の脳を移植した、言うなれば、サイボーグなんです」


「サイボーグ! そんな技術が存在するのか?」


 カーンが目を見開いた。ルミも驚愕の表情を浮かべている。もちろん医学の進歩で体の失われた部分を人工的な肉体で代替することは現代ではよくあることだ。だが、神経細胞の塊である脳をアンドロイドの肉体に移植するなんて聞いたことがない。


「隠してる訳じゃないと言っておきながら申し訳ないのですが、それについては詳しくは説明できないのです。ただ今はその技術は存在するとだけ申し上げておきます」


「ごめんね。カーン、ルミ。ミーシャとスティーブの行方について調べる上で必要だったからこの話をしたけど、それで納得してもらいたいの」


「いや、人にはそれぞれ事情ってもんがあるもんだろう、構わないさ」


「ゲブリュルさんと一緒に仕事ができるといいですね」


 カーンとルミは快く承諾した。


「ありがとう。じゃあここからはビジネスの話にしましょ、バル。もう敬語はいいわ。カーン、ルミもいいわね」


 カーンとルミがうなずくのを確認してゴーリェは微笑んだ。


「うちの会社は資産管理会社が本業なんだが、ゲブリュルのコネクションを活かして調査業もやってるんだ。探偵とまではいかないけど、かなりヤバい内容の調査も請け負ってる。ミーシャとヴェロニカとは投資銀行時代に知り合ったんだ」


 興味津々という感じでルミが大きくうなずく。


「ミーシャは、ちょうど1ヶ月前にここを訪ねてきた。突然の訪問で驚いたよ。それで、アビスモ居住区の住民登録権を買いたいと言ってきた。それも正規ルートじゃなくて闇ルートでね」


「闇ルートですって?」


 ヴェロニカが思わず聞き返した。


「アビスモ居住区の住人になることができれば、A.Iは自由を得ることができる。アンドロイドの体を持ち人間と同等の権利を行使できる。別の言い方をすれば人間の支配から逃れられるということなんだ。だから世界中の自我を持つA.Iは喉から出が出るほどアビスモ居住区の住民登録権を欲しがっている」


「だが、それは簡単じゃあないってことなのか?」


 カーンが聞いた。


「そうだ、アビスモ居住区の住民登録審査を行なっているのはパルマ・デ・ラ・マノ諸島自治政府と国際人口知能地位向上協議会、通称A.I協議会なんだ。問題はこのA.I協議会でここの推薦がなければ審査自体が始まらない。推薦するかどうかはA.Iとしての倫理観、人間との調和性、人間界への貢献度などを総合評価して決められる」


「でもゲブリュルさんは推薦してもらえたんですよね?」


 ルミの質問にゴーリェは、ああとうなずいてから話を続ける。


「ゲブリュルは協議会の総合評価で極めて高い評価を得たと聞いている。特に人間界への貢献は俺から見ても申し分ないと思う。だがそんなゲブリュルでも登録まですでに2年間待っている状況なんだ」


「2年間も!」


 ルミが目を見開いた。


「そこでパルマ・デ・ラ・マノ諸島自治政府が資金調達の手段として、協議会の推薦なしで住民登録権を与え始めた。多額の金銭を対価としてね。これが闇ルートだ。今のところ協議会も黙認しているようだ。いやもしかしたら協議会にも資金が一部渡っているのかもしれない」


「ありそうな話ね。それであなたはどうしたの? ミーシャとの取引に応じた?」


 ヴェロニカの問いにゴーリェは首を横に振った。


「いいや、確かにゲブリュルのコネクションを使えば住民登録権のブローカーと接触できただろう。だが、ミーシャの話がどうもリスクが大きそうだったんでね。その時は断ったよ」


「ミーシャはなんて言ったの?」


「それなんだが、ミーシャは自分が住民登録をして居住区に住むつもりだと言ったんだ。それにはさすがの俺も慌てたよ。居住区内は人間界のつまり壁の外の法律が適用されない。極端な話、人間だとバレればテロリストとして処刑されてもおかしくないんだ。実際、居住区が出来たての頃に反対派のテロリストが侵入して爆発事件を起こし、多くの犠牲者が出てるんでね」


 ゴーリェは手元にあるグラスに入ったアイスコーヒーを飲み干した。


「お願いした資料を見せてもらえる?」


 ゴーリェは、わかったと返事をして電子デバイスを操作した。デスクに座ったメンバーが見やすい位置に立体映像として資料が映し出された。


 資料の名称は『住民登録権売買の売買実績明細』と記載されている。資料は縦横のマスで構成された表形式になっており一番上の行の左端のマスから順に「売買日時」、「売買先」、「支払方法」、「売買金額」という項目名が記入されている。その下の行から時系列で実際の売買データが並んでいるようだ。


「注目すべき点は、登録権の支払いがすべて暗号資産で行われている点とその金額がそれぞれの暗号資産でずっと同じ金額だという点だ」

 

 確かに、支払方法の列には「レッドスタンプ」、「サイバードル」、「オリゾン」などメジャーな暗号資産の名前が記入されていた。


「ちょっと待って、バル。支払方法と金額の列を拡大して!」


 指示に従ってゴーリェがデバイスを操作する。ヴェロニカは、拡大されたデータを上から下へ食い入るように目で追った。


 ○月○日 サイバードル 500万ドル

 ×月×日 サイバードル 500万ドル

 …………………………………………

 …………………………………………

 △月△日 サイバードル 500万ドル

 …………………………………………

 □月□日 サイバードル 500万ドル


「全部500万ドルだわ!」


 ヴェロニカの声がミーティングルームに響いた。




 

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