第14話

「今、ウスティノフ・トレード社が行っている先回り買いは、誰かが出した売り注文を感知して、うちよりも早く注文を出すという一般的なものではないだろうね。なぜなら俺が作ったシステムより早く注文を出すのは不可能だからだ」


 確かにジェイがトレードシステムの開発においては天才的な才能を持っているのは疑いようがない、システム開発にあまり興味のなかったゲオルグが、ジェイが作ったシステム以上のものを作れるとは思えない。にしても自信ありすぎよね。とヴェロニカは思った。


「ひとつ試してみよう」


 そう言って、ジェイはパソコンのキーボードに何かを打ち込ん


 “マニュアルモード”


 モニターにそう表示された。続いて文字を打ち込むジェイ。


 “買い 1万サイバードル 価格 7.40ドル”


「よし」


 とジェイはつぶやき、ルミの方を向いた。


「ルミ、メアリーにサイバードルの板情報(どの価格に何ドルの注文が入っているか公表されている情報をまとめたもの)にアクセスして変化を読み取るように命じてくれ」


「ええっと、メアリーさん。板情報にアクセスして変化を読み取ってください」


 ジェイの指示がやや複雑だったのでルミは戸惑ったようだった。ジェイが直接命令できない仕様なので仕方ないのだが、おそらくルミに仕事を教えるためにわざとやっているのだろう。


「りょーかーい」


 ダルそうな返事が返ってきた。


 うんとうなずいて、ジェイはエンターキーを押した。モニターの板情報に7.40ドル 2万サイバードルの買いと表示された。


 ジェイがルミに視線で指示をうながす。


「どう? メアリーさん」


「人間にはわからないと思うんだけど、7.40ドルに1万ドル単位の買い注文が2回入ったよ。1回目の注文が100マイクロ秒後、2回目の注文が188マイクロ秒後だったわ」


「もう一回だ」


 ジェイが言い、再度注文を入力する。今度は7.35ドルに1万ドルの買い注文だ。結果は同じだった。7.35ドルに2万ドルの買い注文が入り、1回目が100マイクロ秒、2回目が188マイクロ秒と時間まで一致した。


「おい、助手。この結果から読み取れることはなんだ? わかるか?」


 ルミはしばらく考えていた。キラキラした瞳の輝きが抑えられ深い色に変わっている。


「同じ注文がごくわずかの時間差で2回発注されていることから、ふたつの可能性が考えられます。ひとつは1回目の注文を感知した何者かが、同じ注文を直後に出した可能性、そしてもうひとつは、注文が出されたこともしくは出されることを感知した何者かが先回りして同じ注文を先に出した可能性です」


 ジェイは黙って聞いているのでルミは続けた。


「ただ、当社が出したはずの注文が約定せずウスティノフ・トレード社に買われてしまったことを考えると、後者の可能性が高いと思います」


「それって、ウスティノフに予知能力があるってこと?」


 ずっと黙って成り行きを見守っていたソフィアが口を挟んだ。システムをハッキングしていないならそうかもね、とジェイは言った。


「とりあえず、自動取引モードに戻しておこう」


 このまま先回りして買われ続けたら、有利と思われた状況が逆転される可能性もあるだろう。ふーっとヴェロニカは息を吐き出した。落ち着いて対策を考えねば。注文の予知は可能だろうか? A.Iの判断は合理的なので同じアルゴリズムに従って結論を出すのであれば、ある程度予想は可能かもしれない。


 だが、とヴェロニカはその可能性を打ち消す。さっきジェイがマニュアルモードで出した注文は合理的だっただろうか?値段が下がってくることを期待した買い注文を手動で入力したのだ。その注文さえコピーされた。これは予想できない。予知ではない。監視されている? システムそのもののハッキングではない何か?


「ゲオルグさんって、ヴェロニカさんのこと好きなんですよね?」


 突然ルミが言った。


「それはもう、とんでもなくご執心さ。いろいろプレゼント送ってくるもんな」


 ジェイが答えると、ルミが目を細めてヴェロニカをにらんだ。


「へー、いろいろプレゼントを受け取ってるんだー」


 あきらかに非難が込められているその口調にヴェロニカはあわてて手を振る。


「受け取ってないって! あいつが一方的に送りつけてくるだけよ。それに全部返してるんだからね」


 そう言って、あっと思った。マトリョーシカ人形。ゲオルグがロシア旅行のお土産と言って送ってきた人形。ロシア出身のミーシャが懐かしいと言って眺めていたので、まあいっか物には罪はないし、と自分に言い訳してキャビネットの上に置いてある。


 まさかね、そう思いながらもヴェロニカはキャビネットのところまで歩いて行き、マトリョーシカ人形を手に取った。ロシアの民芸品であるマトリョーシカ人形は、人形の中から一回り小さい人形が出てくる入れ子構造になっている。試しに人形の上半分を外してみると、少し小さい人形が現れた。


 ルミ、ジェイ、ソフィアの3人も集まってきたので、人形を見やすいデスクの上に移動させる。


「これ、ゲオルグのロシアみやげだったわよね?」


 ソフィアも思い出したように言った。


 2番目の人形もふたつに割ってみる、更に小さい3番目の人形が現れる。3番目の人形の上半分を外そうと引っ張るが外れない。取り外せるように継ぎ目はあるのだが、くっついていて外れないのだ。いやな予感がした。男のジェイがうーんと引っ張ってみるが無駄だった。


「これ使ってみる?」


 気の利くソフィアが、ドライバーと小型のカナヅチを持って来てくれた。受け取ったヴェロニカが人形の継ぎ目にドライバーの先端を押し当てて、カナヅチでコンコンとたたいた。ドライバーの先端が人形の継ぎ目に食い込んで、おそらく接着剤でくっつけ

のであろう部分がはがれてきた。まだつながっている部分をちょっとづつ叩いて外していく。


 やがて人形の上下は完全に分離してゴロリと転がった。拾い上げて中をのぞいてみる。銀色をした円筒形の金属が入っていた。ミーシャ家の地下室で見つけた金属部品とよく似ている。


「四次元コードプレイヤーだと思います」


 ルミはそう言って、ミーシャ家で見つけたプレイヤーを持ってきて横に並べてみた。マトリョーシカ人形から出てきた物の方がひと回り小さいものの、ほぼ同じ形をしていた。何らかの目的でゲオルグがこれを送って来たのは間違いないだろう。


「これが原因だよね……」


 安易に受け取ってしまった自分のうかつさに怒りを覚えながら、ヴェロニカはつぶやいた。


「だが、どういう仕組みなんだ?」


 ジェイの問いに、詳しくは解析してみないと分かりませんが、と前置きしてルミが説明を始めた。


「サイバードルNow社のパソコンから出された注文は、オフィス内のルーターを経由して電波となり通信会社の中継基地まで飛んでいくのですが、軍事用に開発されたこの四次元プレイヤーがルーターの機能を乗っ取り、電波を四次元コードに変換したのだと思います」


 そんな技術があるのかとヴェロニカは驚嘆した。


「プレイヤーはあらかじめ組み込まれたプログラムに従って、情報の一部、おそらく注文を出した会社の名前をサイバードルNow社からウスティノフ・トレード社に書き換えます。書き換えた四次元コードを取引認証システムへ送り注文を確定させたのではないでしょうか?」


「でも、それだと注文は一つしか出ないのじゃないか?」


 ジェイが発した疑問と同じことをヴェロニカも考えていた。単に注文が書き換えられただけなら、当社の注文は無かったことになるからだ。


「いい質問だと思います」


 ルミは学校の先生のような言い方をした。

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