第13話

「えっ! 誰?」


 お面をとったルミが口をあんぐりと開けている。


「アンチウイルスソフトのメアリーだ。仲良くな」


 四次元コード技術の発見により、プログラムされたデータ自体を立体映像化することが可能となった。立体映像化されたA.IがA.Iテック社の『理事会』メンバーである、カオスとクロノスであり、意思を持つ立体映像と言えた。

 メアリーは、アンチウイルスソフトに人格を与え、映像化したものであり実用性よりもコミュニケーションを重視した仕様になっているようだった。


「ご主人さ——って、 お人形?」


 メアリーは、ルミの姿を見て言った。金髪ロングでブルーの瞳、透けるような白い肌をワンピースで包んだルミの見た目は確かに「フランス人形」のようだと言えないこともない。一方のメアリーは赤毛の姫カット前髪に赤い目元で病んだような肌色とメンヘラ感満載だった。


「ちょっと、キャラ被ってるんですけど」


 あきらかに不機嫌になるメアリー。


「ルミ、メアリーに当社のシステムがハッキングされていないか調べるように命令してくれ。そいつは呼び出したご主人様の命令しか聞かない仕様なんだ」


 開発者の趣味なんだろうがめんどくさい仕様になっている。それでもルミは、素直にやってみますと答えた。


「メアリー、当社のシステムがハッキングされていないか調べて」


 どことなくぎこちない感じでルミが命じる。


「お人形のくせに偉そうね、でもいいわやったげる」


 急にガラの悪くなったメアリーは光の粒子となって消えた。


「まず、サイバー社のシステムを調べます」


 メアリーの声だけが聞こえてくる」


「侵入された形跡はありません。ウイルス感染も検出されません」


「どういうこと? ハッキングされてないんですか?」


 ルミが姿の見えないメアリーに声をかけた。


「サイバー社から取引相手へのデータ伝達経路を調べますか?」


 一度注文が出てしまえばその補足はほとんど不可能だろう。弾丸を素手でつかむようなものだ。


「ジェイさん、どう思いますか?」


 ルミも困惑した様子だ。


「あり得ない状況だね。うちのシステムには誰も侵入していないってことだ。つまりシステムの注文決定から実際に注文が執行される100マイクロ秒のタイムラグを使ったハッキングではないってことだ」


「メアリーに注文伝達経路の調査は必要ないって伝えてくれ」


「はい、メアリーさん、伝達経路は調べなくていいです」


「OK、お人形さん」


 取引自体を書き換えるなどの偽装も不可能だ。ブロックチェーン技術を応用した取引認証システムの信頼性は極めて高い。現代の仮想通貨は、安心して取引できる通貨なのだ。


「ジェイさん、A.Iテック社が提示している条件は1サイバードルを7.50USドルで買い取るということですよね。A.Iテック社がサイバードルの調達をサイバードル社とウスティノフ・トレード社に依頼する以前、ウスティノフ・トレード社はサイバードルを保有していたのでしょうか?」


 ルミの質問に、ジェイはわからないと答え肩をすくめた。


 A.Iテック社との取引で利益を出すには、手数料を別にして、1サイバードル=7.50USドル未満で500万サイバードルを調達しなければならない。ゲオルグは、サイバードルに追加投資することに決めたと言っていた。というからには、すでにいくらかのサイバードルを保有していたということだろう。


 サイバードル社は、今回の取引以前は300万サイバードルを平均買い単価6.0ドルですでに保有していた。さらに6.88ドルで10万サイバードル購入したため、現在の平均買い単価は6.03ドル程度だ。残り190万サイバードルを9.90ドル以下で調達できれば利益が出る計算になる。ウスティノフ・トレード社の利益が出る価格がいくらなのか? 赤字覚悟で取引をするつもりがないならば、ウスティノフ・トレード社は利益を出る価格以上でサイバードルを買おうとはしないだろう。


 そうこれはオークションゲームなのだ。オークションのように購入価格がどんどん競り上がっていき、先に勝負を降りた方が負ける、そういうゲームだ。だが、オークションに勝って落札できたとしても、赤字の出る高い価格まで買い上がってしまっては意味がない。いわゆる『勝負に勝って試合に負けた』というやつだ。


 ヴェロニカは、サイバードルNow社が、ウスティノフ・トレード社に勝つ条件について思考を巡らせていた。


「まずは、ウスティノフが今日初めてサイバードルを買ったと仮定しましょう。だとするとウスティノフが保有しているサイバードルは20万ドルで平均買い単価は7.50ドルということになるわ。この先、7.50ドル以上の価格で買い続けると最終的にウスティノフに利益は出ない。9.90ドルまで上がっても利益の出る当社の方が圧倒的に有利ということになるわね」


「なるほど、それで当社の注文に先回りして買うことで残りのサイバードルを買い集めるのを妨害しようとしているってことですね」


 ルミが納得したように言った。


「だとすると、考えられる対抗策はふたつだ。ひとつは、9.90ドルで指値をして残り190万ドルの買い注文を入れることだ。この場合先回り買いするとウスティノフは高く買って損をするのでこれ以上買ってこないだろう」


 一見いい方法のように思えた。ジェイは続ける。


「だが、大きな問題がある。現在の価格(7.50ドル)よりも大幅に上の値段で大量の買い注文を入れることでウスティノフ以外の投資家が買い注文を入れる可能性だ。値上がりを期待した投資家を呼び寄せてしまったら、価格の急上昇が起こり手がつけられなくなるかもな」


 価格の上昇によってサイバードルNow社に利益は出るかもしれないが、A.Iテック社との取引は成立せず、スティーブの身代金支払いも出来なくなる。


「もう一つの対抗策は、ウスティノフの先まわり買いをやめさせることだ。これさえ何とかすれば俺のシステムなら価格の上昇を抑えながら残りの額を調達できるだろう」


「やっぱりそれしかないか」


 議論がふり出しに戻ってしまいヴェロニカは落胆の声を上げた。


「ハッキング以外で先回り買いって出来るんですか?」


 ルミが空気を変えるような調子で聞いた。


「一般的に、先回り買いってのは通信速度の差を利用して行われるんだ。市場に出された売り注文の情報を発見するのが同時だとしたら、先に注文を決済システムに伝えた方が買い注文を成立させることができる。大昔は、そのために光ファイバーと呼ばれるケーブルを太くしたり、取引所の近くに会社を置いて物理的な距離を短くしたり大変だったらしいぜ」


「へー、そうなんですね、知らなかった」


 ルミが感心したように言った。そう言えば、自分の仮想通貨の話にも目を輝かせていたっけ。それに比べて自分は物事に感動することが少なくなったような気がする。ほほを少し赤くしているルミの横顔を見ながらヴェロニカはうらやましく思った。

 



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