第30話

「正直に言うが、俺たちの知っているミーシャがそんな大それたことやろうとしてるなんて、なんかこうピンとこねえな」


 カーンが困惑している様子で言った言葉はヴェロニカの気持ちも代弁していた。


「ミーシャ・ヨハンソンの自宅を家宅捜索して、大量の武器を押収しました。あなたたちもそれを見たのでしょう?」


「それは、そうなんだが……せいぜいなんかの反政府運動をしているぐらいにしか考えてなかったよ」


「発見した時点で警察に通報していれば、ここまでの事態には至らなかったのではないですか?」


 リーの鋭い指摘にカーンは言葉に詰まってしまった。助け船を出したのはゴーリェだった。


「ルミ・ヤマグチの父親スティーブが誘拐されたという話だったんだ。スティーブが社長を務めているA.Iテック社の危機管理マニュアル『コード0095』で警察への通報はしないことになったとルミから聞かされていたから彼等は通報しなかった。確かにもう少し疑う必要があったかもしれないがね」


 ヴェロニカは、ルミを助けることが決まった時のやり取りを思い出した。ジェイはスティーブが誘拐されたこと自体に疑問を呈していた。今となってはジェイの判断が正しかったと言わざるを得ないのかもしれない。


「スティーブがあの貨物船から降りてきた時の状態から言って、何者かに拘束されていたとは考えられませんね。スティーブから事情聴取することができれば何かわかるのかもしれませんが、ミーシャの計画に関わっていたという証拠がないので拘束は難しいでしょう」


 ヴェロニカたちにとって状況が良くないことは明白だった。ヴェロニカはスティーブからサイバードル500万ドルの調達を依頼された。だが、スティーブと直接会った訳ではない、メタヴァース上のやりとりで話を持ちかけられただけだ。取引のための待ち合わせ場所にやってきたのは娘のルミだった。その時も違和感を感じたのだが、取引のチャンスを失いたくない一心でその疑念を心に封じたのだった。客観的に見ればルミにだまされて、500万サイバードルを調達した上に闇取引口座へ送金しアビスモ居住区の住民登録権購入の片棒を担がされた、と言うことになる。


 だが、それでも疑問は残る。ヴェロニカは確かにミーシャの家で縛られたスティーブを見たのだ。ヴェロニカの推理では、スティーブはミーシャに誘拐されたのではなく自分の意思でミーシャの家に行き、誘拐されたとヴェロニカに思い込ませるため、縛られた芝居を演じた。スティーブがなんらかの事情を知っているに違いない。なんとかスティーブと会って話を聞かなければならない。


「結果的にミーシャに……あなたがたの認識ではルミに……利用されていたかもしれないという事実には目をつぶりましょう。今はミーシャの目的を阻止することが最重要の目的であって過去の経緯を調べることにそれほど意味があるとは思えませんから」


 リーは、声のトーンを幾分落として言った。


 リーたち公安にとってミーシャは1人だけであり、ヴェロニカと昨日まで一緒にいたブルーの瞳で金髪の少女こそがミーシャなのだ。もうこの世にいないはずのルミの存在はどこにもないのだろう。だが、ヴェロニカにとってはミーシャは自分を支えてくれた幼馴染であり、ルミは救いたいと本気で思った妹のよう少女だった。ふたりはそれぞれ別個の存在としてどこかにいるはずなのだ。なぜルミはミーシャになりすましているのだろう? そして本物のミーシャはどこへ行ってしまったのか?


「これから公安はどうするつもりですか?」


 ヴェロニカはリーに聞いた。


「まず外交ルートを通じて、ミーシャの引き渡しを求めてみます。望み薄ですけどね。もう一つの手段としてはアビスモ居住区内での捜査を行うことですが、こちらも認められる可能性はかなり低いでしょう。最後の手段として――」


 リーはここで一呼吸置いてヴェロニカを見つめた。


「極秘の潜入捜査を行う」


「それって危険なんですよね?」


 アビスモ居住区内は人類の法律は適用されないと聞いた。違法に侵入した人間はテロリストと見做みなされて処刑されるかもしれないと。そんな危険な任務誰がやると言うのだろう。


「あくまで最後の手段ですよ」


 最後の手段、そしてそれが唯一の手段なのではないか? そういう考えがヴェロニカの脳裏に浮かんだ。その後、それぞれ新たに情報を入手したり、思い出したりしたことがあればお互いに連絡を取り合うと言うことを決めて、捜査会議はお開きとなった。


 グランドパルマ島に、これ以上滞在する理由もなくヴェロニカとカーンは翌日の便で帰国することになった。ゴーリェはわざわざ空港まで見送りに来てくれた。


「いろいろありがとう、バル」


「役に立てずすまなかった」


「そんなことないわ……、ゲブリュルにも、ありがとうと伝えておいてね」


 カーンも「世話になったな」と短くお礼を言った。ヴェロニカとカーンはゴーリェと握手を交わすと重い足取りで搭乗口へ向かった。


 ヴェロニカは、帰国するとすぐにオフィスへ向かった。ミーシャの画像が再生された四次元コードプレイヤーを取り出すと、「優しさ」と声をかける。――何の反応もなかった。何度も、何度も試してみた。仕方なく他の言葉もいろいろ試した。だが、プレイヤーがミーシャの画像を再生することはなかった。


 ヴェロニカはそれから数日の間、何もする気がおきず魂が抜けたようになっていた。会社のオフィスで通常の業務を淡々とこなすだけだった。ソフィアとジェイも気を使っているのか、事件についての話題はほとんど出なかった。カーンがミーシャの自宅へ様子を見に行ってくれた。ミーシャの家は敷地が封鎖されており、入ることができなくなっていた。


 幾分か気力が回復したヴェロニカは、ルミに連れられて行ったA.Iテック社の研究所に行ってみることにした。超高層ビルの32階でエレベーターを降りたヴェロニカは愕然とした。32階は空きフロアになっていた。「レンタルオフィス募集中」と書かれた看板が入り口に掲げてあった。機密事項を取り扱っているため、あえて社名を表示していないというルミの説明を思い出して、自分のバカさ加減に腹が立った。


「何もかも……、何もかも嘘だったの? ルミ」


 ガランとしたフロアに立ち尽くしていると自然と涙が溢れてきた。トボトボとした足取りでオフィスへ向かう。オフィスの扉を開けると、ジェイが声をかけてきた。


「ヴェロニカ、大変だ! サイバードルの価格が暴騰してるぞ」


 急いで、モニターで確認すると、このところ7ドル前後で動いていた価格が10ドルまで上昇して買い気配(買い注文が殺到して売り注文を買い注文が大幅に上回った結果、売買が成立しない状態のこと)になっている。


「何が起きたの?」


「ニュース画面を見て!」


 慌てるヴェロニカにソフィアが言った。


『パルマ・デ・ラ・マノ諸島自治政府が、新しい暗号資産「コンキスタ」を政府の正式な通貨(法定通貨)とすることを発表。裏付け資産として「サイバードル」、「レッドスタンプ」、「オリゾン」などを保有と公表した』


 これまでも暗号資産を法定通貨にする例はあった。だが、全く新しい暗号資産を採用するとはどう言うことだろう? ヴェロニカは疑問を感じた。だが、続いて流れたニュースがさらなる衝撃を与えた。


「暗号資産「コンキスタ」の開発及び運営はA .I関連製品メーカー、A.Iテック社の子会社「A.Iテックファイナンスサービスが受注。受注総額は10億USドルに」


 A.Iテック社が暗号資産を調達して行おうとしていたビジネスの全貌が姿を現した。


 

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