第31話
コンキスタ――スペイン語で征服の名を冠する暗号資産は、新しい暗号資産であるがゆえに信用力がない。いつ何時、無価値になるかも知れないものに投資家や利用者は見向きもしないだろう。ゆえにコンキスタがいつでも他の暗号資産に交換して引き出し出来る様に裏付け資産を設定したのだ。
パルマ・デ・ラ・マノ諸島政府はいつでも交換に応じられるように、裏付け資産であるサイバードルなどの暗号資産をあらかじめ買って保有しておかなければならない。だからサイバードルの需要が高まることを予想した投資家が大量の買い注文を入れ、価格が暴騰したのだ。
「ゲオルグも今まで持っていれば損しないで済んだのにな」
ジェイの言葉には少しの同情が含まれているように感じた。
ニュースが流れてから数日後のことだ。ヴェロニカは仕事が終わり自宅アパートでくつろいでいるとウエラブル端末に着信があった。
「
ヴェロニカは、ルミから初めてもらった連絡が秘匿回線を使ったものだったことを思い出してひどく動揺した。期待に胸を膨らませて応答するが、通話の相手は男性だった。
「ヴェロニカ・佐藤さん?」
その声には聞き覚えがあるような気がしたがすぐには思い出せず、曖昧な返答をした。
「はい……どなたですか?」
「スティーブ・ヤマグチです」
「えっ、もしかしてルミのお父さんの?」
「はい、その通りです」
落ち着いた声が返ってきた。
「ルミは、ルミは生きているんですよね?」
ヴェロニカはすがるように言った。スティーブと名乗る男性はその質問には答えず言った。
「ヴェロニカ・佐藤さん、あなたと会って話をしたいのですが明日お時間を頂けませんか?」
今すぐに聞きたいことがたくさんある。はやる気持ちを何とか抑えて答える。
「わかりました。どちらにお伺いすれば?」
スティーブは、ヴェロニカの会社から歩いて10分程度の場所にあるカフェチェーンの名をあげた。待ち合わせの時間を午前10時と決めて通話を切った。
翌日、時間よりも20分早くカフェに到着したヴェロニカは、店内を見渡しスティーブがまだ来ていないことを確認してからふたり用の席を確保した。緊張をほぐすために注文したアイスコーヒーをごくりと飲んだ。少し暑くなってきた時期だったので、冷たい喉ごしがうれしかった。
待ち合わせの時間ぴったりにスティーブはやって来た。カフェの入り口に意識を集中していたのですぐにわかった。ストライプシャツの上にネイビーのジャケット、ベージュのパンツとシンプルなビジネススタイルの服装だが、これまで二度会った時よりラフな印象だった。ヴェロニカが手を振って自分の居場所を知らせると気づいたスティーブも軽く手を上げた。
注文した飲み物を受け取った後、スティーブはルミの向かいの席に腰を下ろした。
「お会いするのは二度目かな?」
「三度目です。スティーブさん」
スティーブがどういうつもりで今日この場にいるのか? ヴェロニカには知る
「私は、ルミが生きていると信じています」
ルミと同じブルーの瞳がヴェロニカに向けられているが、その中に優しい光が差したような気がした。
「ミーシャ・ヨハンソンとは、直接会ったことがないんだ。いや正確に言うと、君たちが知っている彼女とは会ったことがないと言った方がいいかな」
「どういうことですか?」
スティーブの言い方は謎めいていてヴェロニカには理解できなかった。
「私はミーシャに私の願いをかなえてもらうことにした。その代わり私もミーシャの手伝いをすることを承諾した」
カフェの雑踏の中、聞き漏らさまいと意識を集中する。
「私の願いは――」
スティーブはヴェロニカの目を真っ直ぐ見て言った。
「死んだ娘を生き返らすことだ」
死者を生き返らす。今そう言ったのか? 疑念と困惑が混ざった複雑な気持ちが湧いてきた。
「信じられないかね?」
スティーブはわずかに微笑んだ。信じられなくても無理はないという表情だった。
「すいません。ちょっと驚いてしまって」
「ダミーパーソナリティを知っているかい?」
ヴェロニカは香港で会った父親のダミーパーソナリティを頭に思い浮かべて「はい」と答えた。
「ダミーパーソナリティは、ある人物の人格をコピーしたもので、オリジナルではない。だが私はオリジナルの人格をデータとして取り出すことに成功した」
スティーブはカップに入ったアイスティーを一口飲んで、ふぅーっと息を吐いた。
「ルミの死期が近いと判断した私は、ルミの人格を四次元コードに保存することにした。難しい作業だったがうまくいった。間も無くルミは死んだ。私はルミの肉体を精巧にコピーしたアンドロイドの制作に取り掛かかり、同時にルミの肉体から病変部分を取り除き冷凍保存した」
スティーブの話が現実に可能なのかどうかルミには判断するだけの知識はない。だが、スティーブが嘘を言っているとはどうしても思えなかった。もしかしたらルミが生きているという可能性を信じたいだけなのかもしれない。
「作ったアンドロイドに人間の脳に近い構造の生体部品を組み込み、保存してあったルミのパーソナリティデータをインストールした。成功してルミが意識を取り戻した時は本当に嬉しかったよ。だが、ルミのパーソナリティは極めて不安定だった。インストールを急ぎすぎたのかもしれない。このままでは、いずれルミのパーソナリティは消えてしまう。なんとかしなければと私は焦った」
「ルミは生き返ることを望んでいましたか?」
ヴェロニカは気になっていることを聞いた。
「いや、彼女は生き返ることは望んでいなかった。もう十分幸せだったと言った。だが私は彼女にもっと生きたいと思って欲しかった。この世界にはもっと素晴らしいことがあるんだと。ルミの母親はルミを産んですぐ亡くなった。私はそれまで仕事人間でね、家庭を
ルミらしいわね、とヴェロニカは思った。
「そこから先は君の方がよく知っているんじゃないのかな?」
「はい、ルミはビジネスをまとめようととても頑張ってました」
「そうか……よかった」
スティーブは目を細めた。
「さて……ここから先は、ヴェロニカさん、あなたの友達ミーシャについての話になるのだが……」
スティーブはどう説明しようか、
「さっき、君たちの知っているミーシャとは会ったことがない、と言いましたよね。どう言う意味なんですか?」
「私は、ミーシャの本当の姿を見たことがないんだ。なぜなら私の前に現れたミーシャは既に
ヴェロニカは、意味がわからないと思った。人が人の中に入る?
「データ化したパーソナリティはアンドロイドだけではなく、人間の肉体にもインストール可能だと言うことは既にわかっていた。だが、インストールされたパーソナリティは非常に不安定で消滅してしまう可能性がある。そんな中、安定した状態でパーソナリティをインストールする技術が、ある場所で発見された」
「まさか……」
「そう、アビスモ居住区だ」
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