第32話

 あの高い壁の中では人類の想像を超える技術がA.Iたちによって作り出されているのかもしれない。ヴェロニカは背筋がぞくっとした。


「ルミをアビスモ居住区へ連れて行き、パーソナリティーを自分の肉体へ戻す手術を受けさせたい。私はその方法をあらゆる手段を使って探した。いちばんの障害は、その手術を受けられるのがアビスモ居住区の住民だけという点だった。仮にアビスモ居住区の住民登録権を首尾よく手に入れられたとしても、ルミの冷凍保存した肉体をアビスモ居住区に持ち込むことは不可能だ」


 冷凍保存した人間の死体を公共交通機関で運ぼうとすれば、おそらく逮捕されるだろう。そのぐらいはヴェロニカでも想像がついた。


「私はネット上でアビスモ居住区の住民登録権が、闇ルートで売買されているうわさが流れているのを見つけ、情報提供してくれる相手を慎重に探した。そんな中コンタクトを取ってきたのがミーシャだった。やり取りを続けていく中でミーシャが、表立って動けない状態にあることが分かってきた。私は、思い切って取引を持ちかけることにした」


 カフェのお客は昼が近づくにつれて段々と増えてきた。周りが騒がしくなってきたがヴェロニカはスティーブの言葉以外、耳に入らなかった。自分の知らないところで、そんなやり取りが行われていたなんて信じられない。


「私が提案した取引は、ミーシャのパーソナリティをミーシャの体から取り出し娘の体にインストールすると言うものだった。ミーシャは死んだ人間になりすますことにより追手の目をごまかすことができる。さらにA.Iテック社の取引を利用してアビスモ居住区の住民登録権を闇ルートで購入し、ミーシャへ渡すことも条件にした。私が彼女に提示した条件はひとつだけだ。ルミの肉体に入ったままの状態でアビスモ居住区へ入りルミのパーソナリティをインストールする手術を受けること。それだけだった」


 アビスモ居住区南ゲートへルミは、カーンを振り切って入って行った。それはスティーブの出した条件に従ったものだったのだ。


「ミーシャは、あなたとの約束を果たしたようですね」


 ヴェロニカは冷ややかに言った。全てが仕組まれていたと思うと怒りが込み上げてくる。


「ひとつ疑問があります。ミーシャのパーソナリティが入っているルミに、ルミ本人のパーソナリティを戻してしまったら、元々入っていたミーシャのパーソナリティはどうなるんです? どこかに保管しておくんですか?」


「それについては、ちゃんと手を打ってあるよ。貨物船『スマリンガーラント』から降りてきた時、私と一緒にいた女性アンドロイドを覚えているかい?」


「ええ、リー捜査官がミーシャと誤認して危うく撃つところでしたから、よく覚えています。確か受付のサリーさんですよね?」


「そうだね、あれは危なかった。君の友達に感謝しなければならん。サリーからはA.Iを取り除き、人間の脳に似た生体部品を組み入れてあった。心の病気の治療目的でアビスモ居住区に入った後、ミーシャの仲間に引き渡したよ。おそらく、ルミの体から取り出されたミーシャのパーソナリティは、サリーに入れられるはずだ。……ああ、サリーのA.lは予備の体に入れ換えたから心配しないでくれ」


「ミーシャ本人の肉体はどうなったんですか?」


 スティーブはアイスティーが入ったカップに視線を落とす。


「申し訳ないが、その質問には答えられない。彼女の安全のためにね」


 公安に追われているミーシャにとっては、次々と容姿が変わる方が都合がいいのかもしれない。もしかしたら、ヴェロニカが知っているグリーンの瞳、銀色の髪のミーシャにはもう二度と会えないのかもしれない。


「ミーシャとルミはいつ入れ替わったんですか?」


 待ち合わせ場所である宝石店の前で初めてルミに出会った時、あの時すでにルミの中にミーシャが入っていたのか? だとすればヴェロニカは、本物のルミと会ったことがないことになる。あの少女とヴェロニカは、まだ出会ってさえいないのだ。そんなことがあっていいのか?


「ルミは自分で仕事をすることを願ったと言ったね。あの日、私の代わりに待ち合わせ場所へ行ったのは本物のルミだよ」


 よかった、ルミと私は出会っていたんだ。無表情だったのは緊張していたのだろう。巨大ロボットを作っていると言ってヴェロニカをあわてさせたルミは、幻ではなかったのだ。


「ミーシャに用意してもらった誘拐の脅迫文を『理事会』に送りつけて、ルミは私が誘拐されたと信じたようだ。私が誘拐されたことによってコード0095が発動された。このことは知っているかい?」


「知っています。あなたが誘拐されたことを警察に相談せずビジネスを継続するという行動計画ですよね」


「コード0095は、私が何らかの理由で社長としての仕事を続けることが出来なくなった時に『理事会』が極秘のプロジェクトを受け継ぐというものだった。警察の介入を許さなかったのは、それが人類にとってもA.Iにとっても極めて危険なものだったからだ」


 そこまで言って、スティーブは腕の端末を確認して眉根を寄せた。


「だが、コード0095は『理事会』たちに秘密の行動計画があったんだ。それはアンドロイドの体からルミのパーソナリティを取り出して超小型のチップに保存すること。そしてそのチップをルミの本当の肉体に埋め込むこと。さらにチップを埋め込んだルミの肉体にミーシャから取り出したパーソナリティをインストールすること。以上のことをルミが自宅に戻ったところを睡眠ガスで眠らせてから、部下のアンドロイドたちが私の指示通りに実行してくれた。その間、私はウスティノフ・トレード社を訪問しサイバードル調達についての相談をしていた。ウスティノフ・トレード社に私を迎えにきた車は娘のルミが運転してたんで驚いたよ。正確にはルミの姿をしたミーシャだったがね」


 スティーブは時計をチラチラと見た。何かを気にしているようなそぶりだ。


「すまないが、もう時間がないようだ。『理事会』が私の居場所を探しているという部下からの情報が入った。ここにいることがバレれば君を危険にさらしてしまうだろう」


「あの……どうして私に本当のことを教えてくれる気になったんですか?」


「ミーシャが教えてくれたよ。君や君の会社の社員たちがルミを救おうとしてくれたことを。同じ働く仲間として受け入れてくれたこともね。感謝している。本当にありがとう。それと同時にこんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない」


 スティーブはニッコリと微笑んだ。どことなくルミに似ているとヴェロニカは感じた。


「それから……よかったらこれを使ってくれ」


 スティーブは白いプラスチック製のカードを差し出した。


「これは?」


「サリーの治療目的で取得したアビスモ居住区の入場パスだ。それを使えばサリーへの面会という理由なら一時的に入場が認められるだろう」


「どうして、これを私に?」


「ミーシャが何のためにこんなことをしているのか? 私は知らないんだ。それについては聞かない約束でね。だが、君にとってミーシャはとても大切な存在だということがわかった。だからそのパスを使ってミーシャに会って彼女から直接聞いてほしい」


 ヴェロニカの言葉を待つことなく、スティーブは席を立った。


「君に会えてよかった。ありがとう」と言い残し、急いで店を出て行くスティーブの背中を、ヴェロニカは立ち上がったままぼう然として見送った。ひとり残されてもう一度腰を下ろす。ふと手元に残った白いパスカードが目に入った。カードをひっくり返すと黒いペンで文字が書かれている。


『幸運を』


 ヴェロニカは口の中で「ありがとう」とつぶやいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る