第33話
ミーシャ・ヨハンソンは真っ白い部屋で目を覚ました。上半身を起こしぼーっとした頭で辺りを見回す。天井に設置された淡い照明が部屋を照らしている。部屋の壁面は真っ直ぐではなく緩やかにカーブを描いており一部分だけ直線になっている部分があった、その直線の壁に沿ってふたつのベッドが配置されている。ふたつあるベッドのひとつにミーシャはいた。ミーシャが身を起こした方向の向かって右側に少し離れてもうひとつベッドが置いてある。そのベッドには見覚えのある少女が横たわっていた。まるで西洋人形のような整った目鼻立ちとベッドに無造作に放り出されている金色の長い髪の少女。どうやら手術は成功したようだ。
ミーシャはベッドから降りてベッドサイドに置いてあるスリッパを履くと、部屋の左側の壁に設置している洗面台へと向かう。洗面台の上部に設置してある鏡には、馴染みのない顔の女が眠そうな顔をしてこちらを向いている様子が映っていた。濃い茶色の髪はウェーブを描いて胸のあたりまで垂れている。尖った形のいいあごとふっくらとしたピンクの唇、整った細いまゆの下にやや垂れた大きな茶色の目。笑顔を作れば大半の人が好印象を持つだろう愛らしい雰囲気の若い女。本来の自分とは真逆の印象を持つ女。自分があまりに不釣り合いな変貌を遂げたことに自然と苦笑いが浮かんできた。
少し前まで受付嬢サリーであったこのアンドロイドの体が私の新しい体なのだ。目的を遂げるために早く慣れないといけない。さて、次は少し前までの自分だった少女を起こさないと。ミーシャは少女が眠るベッドまで歩いて行くとベッドサイドに置いてある丸椅子に腰を下ろし少女を見下ろす。ミーシャのパーソナリティが取り除かれたせいか、眠っているせいなのか表情が柔和になったような気がする。ミーシャは少女の細い肩を軽くゆする。
「ルミ……」
「うっ」
少女の口から短い吐息がもれミーシャの手から逃れるように軽く身をよじった。ミーシャは少女のほほを指先で触れながら再度、名前を呼んだ。少女の目が薄く開かれて焦点の合っていないブルーの瞳がのぞいた。少女の顔を覗きこでいるミーシャと少女の目があった。
「えっ、サリー?」
まだ意識がはっきりしないのか視線をさまよわせている。
「ここはどこ? 私どうしたの?」
どう説明したものか? 頭を悩ましながらミーシャはとりあえず言葉を返す。
「ここは病院よ。あなたは手術を受けて眠っていたの」
「手術? 私、病気なの?」
「いいえ、病気ではないわ。安心して。あなたが本当の体を取り戻すための手術だったの」
突然何かを思い出したように、ルミが目を見開いた。
「サリー、お父さんを……お父さんを助けなきゃ」
そう言って身を起こそうとするルミの背中を支える。
「大丈夫だよ。お父さんは無事に解放されたわ。だから安心して」
「お父さんに会いたい。お父さんはどこ?」
ミーシャは、ルミのパーソナリティが不安定になり自宅で倒れ、元の肉体へ戻す緊急手術を行うためグランドパルマ島へ搬送されたと説明した。ルミは何日も眠った状態だったため父親のスティーブはいったん日本へ帰ったということにした。さすがに受付嬢サリーをこのまま演じるのは無理があったため、自分はサリーと同型のアンドロイドでスティーブからルミの面倒を見るよう指示されたと伝えた。ルミはミーシャの話を信じたようだった。だが、もうひとつ心残りがある様子でミーシャに聞いてきた。
「私、サイバードルNow社のヴェロニカさんと取引する約束をしてたんです」
「ああ、それならスティーブさんと私が引き継いで無事取引を成功させたわ」
「そうですか……よかった」
ルミは安心したようなそれでいて残念そうな複雑な表情を浮かべた。ミーシャは良心がちくちくと痛むのを感じた。本当ならルミが経験するはずだったサイバードル調達での様々な苦労や困難を乗り越えた時に感じる達成感、仲間と分かち合える喜びを全て自分が奪ってしまったのだから。
「ああ、でもね。途中でライバル社が邪魔をしてきて大変だったの!」
ヴェロニカとの甘い日々を思い出して気分が高揚したのか、話したくて仕方がない。
「ええっ、そうなんですか?」
ルミには、自分がスティーブの指示でサイバードルNow社の臨時社員として派遣され、ヴェロニカたちと一緒に仕事をしたことにした。それがとんでもなく恥ずかしいウソであることは自分でもわかっていたが話を聞いてもらいたかったのだ。
「ゲオルグっていう男がね、ヴェロニカにマトリョーシカ人形をプレゼントしたんだけど……、えっとマトリョーシカ人形って知ってる? うん、そう、人形の中に小さい人形がいくつも入っているやつね。その中には実は四次元コードプレイヤーが隠されていてね――」
しらじらしいと思った。ゲオルグがヴェロニカに送ったマトリョーシカ人形を用意したのは私だ。ゲオルグのヴェロニカへの恋心を利用してそそのかした。この人形をヴェロニカに送り先回り注文をすることで、追い詰められたヴェロニカは、ゲオルグに助けを求めてくるはずだからその弱みにつけこんで交際を迫ればうまくいく、そう言ったのだ。ゲオルグは大喜びで計画に同意した。一方ヴェロニカには、祖国ロシアの人形を懐かしいと何度も言うことで会社にそのまま置かせることに成功した。
「うわー、すごい! どうやってライバル会社の陰謀に打ち勝ったんですか?」
どうやって? 簡単なことだ。会話をうまく誘導してヴェロニカの意識がマトリョーシカ人形に向くように仕向け、四次元コードプレイヤーを発見させる。あとは、事前に把握していた注文を先回りする仕組みをさも今調べてわかったように発表する。それだけだった。
「でもね、ヴェロニカの考え出した計画がとっても素晴らしかったの」
ミーシャはルミに、四次元コードプレイヤーに電波をふたつに分ける機能があり、その機能を利用することでゲオルグの会社に大量の間違った注文をわざと出させることにより、サイバードルの価格を上昇させたことを説明した。
「へー、暗号資産の取引のことはよくわかりませんがすごいアイデアだったんですね」
無理もない、ヴェロニカと一回会っただけのルミに理解できるわけがない。この話は完全に私の自己満足を満たすだけの思い出話だ。
「それで、あまりに高い値段でサイバードルを大量に買ってしまったゲオルグは、怖くなって今度は全額を売る注文を一気に出したの。その注文でサイバードルの価格は急激に下がった。下がりきった安い価格でヴェロニカは必要なサイバードルを買ったというわけなんだよ! でもいちばんすごいのはヴェロニカがその計画をたまたまデスクに置いてあった新聞の記事を見て思いついたってこと」
ルミはニコニコしながら黙って聞いている。すごく素直ないい子なのかもしれない。新聞はたまたま置いてあったわけじゃない。私がその記事がよく見えるように折りたたみ、なるべくヴェロニカの目に入りやすいように置いたのだ。もちろん、それでもヴェロニカがその記事に気づかない可能性もあったし、記事を見たからと言ってアイデアが思い浮かぶわけじゃない。その時は第二、第三のヒントを出すことも考えていたし、最悪ルミになりすました私が思いついたことにしてもいい、そう思っていた。
だが――さすがは
あなたには分からないでしょうね。
ミーシャの話をただ楽しそうに聞く青い目の少女に向かって心の中でつぶやいた。
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