第34話
「ねえ、ミーシャ。私、ミーシャの仕事の手伝いがしたい、だめ?」
ヴェロニカの活躍を聞いて、やる気が刺激されたのだろうか? ルミはミーシャに熱い視線を送ってくる。
「ミーシャは知っているのかな? その……私のこと……私ね、1年前に一度死んだんだ」
もちろんミーシャは知っていた。ルミが生き返りを望んでいなかったことも。スティーブと約束した取引は、ミーシャが操っていたルミの肉体へ、ルミ本人のパーソナリティを戻すことで終了した。これ以上この子の面倒を見る必要はない。あとはスティーブに迎えに来てもらうか、日本まで送り届ければそれでいいはずだ。
だが……、世間知らずのこの少女に世の中の現実を教えるのも悪くない。このけがれを知らない青い瞳は、本当のミーシャの姿を知ったらどんな色に変わるのだろうか?
「いいわ、せっかくだから少し手伝ってもらおうかしら」
「本当? やったあ、ふふっ」
瞳をキラキラさせて歓声を上げるルミを
「B.M、来てもらえる?」
腕のウエラブル端末に呼びかけると、程なくしてミーシャがいる病室にタンクトップと穴だらけのジーンズ姿の女性が入ってきた。褐色の肌と盛り上がった肩の筋肉、六つに割れた腹筋を見て、ルミは目を丸くしている。
「何のようだい? ミーシャ同志」
「同志はやめろって言ってるだろ、B.M」
ついいつもの癖で乱暴な言葉遣いになってしまった。ルミを横目でチラリと見るがB.Mの筋肉に目を奪われているようで気にした様子はない。
「ルミ、彼女はブラッディ・マリー、みんなはB.Mと呼んでるわ。あなたの世話係だから必要なことは彼女に聞いて」
「ちょっと待て、いつ決まったんだよ! ミーシャ」
「たった今だよ。ルミを部屋に案内してあげて」
B.Mは抗議の声を上げるが、ミーシャは平然と言う。
「……ったく、B.Mだよ、よろしくね」
「よろしくお願いします。B.Mさん」
親鳥についていく雛のようにルミはB.Mの後について部屋を出ていった。このアビスモ居住区に入るため逃げ出したミーシャを、カーンに追いつかれる直前にバイクで助け出したのがB.Mだ。肉体的な能力だけではなく、仲間を大事にする心も持ち合わせている。ルミのことは彼女に任せていれば大丈夫だろう。
ミーシャは、病室を出て病院がある建物と隣に立っている建物をつなぐ渡り廊下を進んでいく。病室が建物の10階部分にあったため、ガラス張りになっている渡り廊下からはアビスモ居住区と、隣接するセンテェリオ市街がよく見える。
居住区南ゲートのすぐ北には大きな広場があり、そこから放射状に道路が延びている。ミーシャたちの組織が拠点として使っているのは、広場の北東に位置する『デセスペランサ修道院』だ。修道院といっても、過去この場所に修道院があったというだけで、現在は近代的な研究施設になっている。地元の住民がそう呼んでいるだけだ。
研究棟に入ったミーシャは廊下を真っ直ぐに進むとミーティングルームの手前を右に曲がる。階段の前にある踊り場を通り過ぎると左手にドアがある。登録されたミーシャの新しい顔が自動認証されドアが開錠される。中に入るとそこはミーシャの執務室になっている。椅子に腰掛けたミーシャはフーッと息を吐く。
私らしくない、そう思う。ルミに向けられたヴェロニカの優しさが気にいらなかった。たとえそれがルミを演じていたミーシャに向けられたものだとしても。
ミーシャの家を訪れたヴェロニカを背後から襲った時のことを思い出す。ヴェロニカに接近するために必要なのだとスティーブを説得して、椅子にスティーブを縛った。オフィスに出勤する前にヴェロニカが自分の家に立ち寄ることは容易に予測できた。
スティーブを発見して助けようとしているヴェロニカの背中に注射器の針を突き刺した。意識を失って倒れたヴェロニカを医療施設に運び、目覚めるのを待った。ヴェロニカが目を覚ますまでずっと手を握っていた。
「ミーシャ!」
いきなりヴェロニカが私の名を呼んだ。目を覚ましたのかと顔を覗き込むが、規則的な寝息を立てているところを見ると寝言だったようだ。私はここにいる、ずっとあなたの隣にいる。そう言って揺り起こしたい衝動に駆られたが、今の私は父親を誘拐されたかわいそうな少女なのだ。このいたいけな少女を最後まで演じなければならない。そう思った。サイバードルNow社のオフィスについていかれた私は、父を助けるために500万サイバードルを使わせて欲しいという提案を行った。
私の提案は却下されたかに思われた。私はここは一旦引いた方が良いと判断して「皆さんに迷惑はかけられないので、父のことは気にしないでください」と言い孤独な少女を演じた。ヴェロニカの提案は私にとっても意外なものだった。私をアルバイトとして雇い協力してスティーブとミーシャを探すという絶妙なアイデアだったと思う。かくして私は私自身を探すというミッションを請け負うことになった――
プルル……
腕の端末の呼び出し音でミーシャは現実に引き戻された。
「ミーシャさん、暗号資産『コンキスタ』がパルマ・デ・ラ・マノ諸島自治政府の法定通貨に指定されました」
部下からの報告が入る。法定通貨とは、法律により「強制通用力」を認められた通貨のことで支払い手段として受け取ることを拒否できない。『コンキスタ』はA.Iテック社が開発した暗号資産でパッケージとしてパルマ・デ・ラ・マノ諸島自治政府に売り込んだものだ。A.Iテック社のコード0095における第一段階が実行されたのだ。第二段階が実行されると世界は大混乱に陥るはずだ。だが、今はまだそれを防ぐ手段がない。
アビスモ居住区の住民は約25,000人で、ほとんどがA.Iを搭載したアンドロイドだ。居住区代表はサンチェスという男だったが、すでに自分の部下とパーソナリティーを入れ換えてある。明日、アビスモ居住区がパルマ・デ・ラ・マノ諸島から独立するための住民投票をオンラインで行う。3分の2以上の賛成で独立が承認されアビスモ居住区は、アビスモ共和国となるのだ。
ミーシャは机の引き出しを開け、1冊の本を取り出した。
『動物農場』
サイバードルNow社のオフィスに一冊置いてきてしまったが何冊も持っている。この本を読んでからと言うもの、真の平等とは何か? 個人の利益より全体の利益が優先されるのか? ミーシャは常に考え続けた。なぜ、ヴェロニカの両親は死ななければならなかったのか? ヴェロニカの両親は、資産家であると同時に、A.Iの権利を拡大するための活動を精力的に行なっていた。反A.Iを掲げる過激派組織のターゲットになり命を落とした。だが……
私が自宅の地下室に残した四次元コードプレイヤーを起動させるためのヒントをこの『動物農場』のページに挟んでおいた。そこには「ヴェロニカにあって私にないもの」と書いておいた。ヴェロニカは、何度も私が言った言葉を思い出し「優しさ」と言ったそうだ。だが答えはひとつだけじゃなかった。
もう一つの答えは――
「嘘」
正確には、「嘘の記憶」だ。
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