第5話

「ルミ、聞いて! あなたのお父さんに似た人を見たの。お父さんは無事なの?」


「私が駆けつけた時、ヴェロニカさんは一人で倒れていました。ただ、ミーシャさんの家から……ごめんなさい。あの家について調べさせてもらいました。ミーシャさんはヴェロニカさんの共同経営者ですよね。」


「気にしないで、ルミ。続けて」


「はい、ミーシャさんの家から父のものと思われる衣服や時計が見つかりました」


「一体どうなっているの? ルミ、教えて。まさかミーシャが……そんな」


 ヴェロニカは混乱していた。背後から近づいてきた気配はミーシャだったのだろうか?


「今朝、ルミが電話をくれたのって、お父さんのことだったんだよね」


 ルミは小さくうなずく。


 ヴェロニカはベッドから起き上がろうとして、まだルミの両手のひらが自分の右手をしっかりと握っていることに気がついた。


「えっ? あれ? ルミ。ずっと握ってくれてたの?」


「これは……、ヴェロニカさんが苦しそうだったから。それに……」


「それに?」


「ずっと、名前を呼んでたから」


 ルミのふっくらとした唇の端が少し上がり、瞳がいたずらっぽく輝く。


「ミーシャさんは特別な人なんですね! ずっと名前を呼んでましたよ」


(うわっ、夢の中で握ったミーシャの手、ルミの手だったのね。恥ずかしい)


「そうよ、特別な幼なじみ、それだけだから!」


 照れ隠しにぶっきらぼうに言ってから急いで右手を引っ込めた。


「ヴェロニカさんって、やっぱいかわいい」


(こいつー、かわいくない)


 本当は、父親が誘拐されたルミにそんな余裕があるはずもなく、重苦しい空気を軽くしてくれたのだろう。ヴェロニカは恥ずかしい気持ちと共に暖かいものを感じていた。

 

 ヴェロニカとルミは、サイバードルNow社のオフィスに向かい今後のことについて話し合うことになった。オフィスにはジェイ、ソフィア、カーンの3人も知らせを受けて集合していた。

 ルミは、父親であるスティーブが行方不明となり正体不明の人物から身代金を要求されていること、身代金の金額がサイバードルNow社に調達を依頼した500万サイバードルであることを打ち明けた。


「父は自分の身に危険が迫っていたことを知っていたのかもしれません。今回のような事態が起こった場合に備えて『理事会』に対して行動計画を残していたようです」


「行動計画?」


「はい、社内ではコードと呼ばれています。今回、発令されたコードは警察を介入させずに独自に解決を図るというもののようですがそれ以上のことがわかりません」


「なんか、ヤバそうだな」


 元軍人という経歴を持つカーンはこの手の話に興味があるようだ。


「もうひとつ、私は父の安全の為に今回調達するサイバードルを身代金として使うことを提案しましたが、『理事会』はそれを拒否しました。あくまで今回のビジネスを継続するとのことです」


「ヒドい話ね。でもそれほどまでして続けるビジネスって一体何なのかしら?」


 ヴェロニカは眉をひそめる。


「わかりません。父はビジネスの内容について何も教えてくれませんでした。私に与えられた権限は500万サイバードルを調達すること、そしてそれを送金することだけです」


「ルミさんから警察に相談してみるというのはどうかしら?」


 常識人であるソフィアらしい意見だ。


「それも考えました。警察が介入した場合、『理事会』は父の誘拐自体を否定するでしょう。コードに違反すれば私は役員としての権限を失い、一切の情報にアクセスすることが出来なくなります」


 状況はルミにとって良くないもののようだ。しかし、ルミひとりでいったい何が出来るだろう。


 しばらく沈黙が続いた後、意を決したようにルミが口をひらいた。


「私から皆さんにお願いがあります。調達した500万ドルを身代金として使わせて下さい。もちろん対価はお支払いします」


「何か考えがあるのね、ルミ」


 ルミはコクリとうなずく。


 ルミの計画とは以下のようなものだった。サイバードルNow社はルミからの提案は知らなかったふりをして500万サイバードルを調達する。調達したサイバードルをA.Iテック社のアカウントに移し売却代金をUSドルで受け取る。


 A.Iテック社から送金指示が出るが、ルミが送金先を変更して、サイバードルNow社に伝えることにする。もちろん、送金先はスティーブの映像4次元コードで送られて来たアドレス、つまり身代金の振込先だ。


 サイバードルNow社はルミの指示に従ってサイバードルの調達と送金を行っただけということになり、通常の取引を行なったのと外見上は変わらない。ただ、ルミは会社のコードに違反して勝手に送金したことになる。背任 はいにん行為として訴えられるかもしれない。


「ルミは大丈夫なの?」


 16歳の少女には荷が重いようにヴェロニカは感じた。


「父を助けたいんです。もちろん身代金を支払ったからと言って父の安全が保証される訳ではありません。でも、今私にできることはそれしかないんです」


「ほっとけねーな、ヴェロニカ、助けてやろうぜ!」


 カーンは、不幸な女の子に弱いようだ。


「ちょっと待てよ、今のところスティーブの行方不明に関するニュースは、マスコミ、ネットどこにも流れてない。ヴェロニカはミーシャの家でしばられたスティーブを見た。そこに都合よくルミが助けに来たってわけだ」


 ネットでニュースを検索していたジェイが口をはさむ。


「何が言いたい? ジェイ」


 むっとした調子でカーンが言い返した。


「つまりだ、スティーブが誘拐されたという根拠となっているのは、A.Iテック社にかかってきたという犯人からの電話のみだ。ミーシャの家にいた人物がスティーブだという確証もない。憶測だけで動くのは危険だと言ってるんだよ!」


「ルミがウソを言ってると言うのか?」


「そうは言ってない! 慎重になれって言ってるんだ」


「2人ともやめて!」


 熱くなっているジェイとカーンにヴェロニカが割って入る。


「ルミ、お父さんを助けたいという気持ちは良くわかるわ。できれば何とかしてあげたいと思う。同時に私は、会社と社員を守らないといけない。だから今回のことはサイバードル社とA.Iテック社の正式なビジネスとして成功させたいの」


 ヴェロニカの言葉は自分にも言い聞かせるようだった。


「ごめんなさい、ヴェロニカさん、社員の皆さん。確かに会ったばかりの私を信用して助けて欲しいなんて都合のいいお願いでした。やはり、皆さんにご迷惑はかけられません。父のことは気にしないでください」


 オフィス内に無力感がひろがっていく。16歳の少女と小さな会社の社員が4名。5人でできる事なんて限られている。だが、本当にこれでいいのだろうか?


 ヴェロニカの脳裏にミーシャの言葉がよみがえった。


 そうだ、あの日……


「泣かないで、ヴェロニカ」


 ミーシャは優しくほほの涙をぬぐってくれた。


「あなたには私がついているわ、ヴェロニカ。だから心配しないで」


 ミーシャの指がヴェロニカのあごを軽く持ち上げて、グリーンの瞳が近づいてくる。唇に柔らかいものが押し当てられる感触があった。ミーシャの唇の感触。ミーシャの鼻からもれる熱い息が降りかかってきた。背中に回されたミーシャの手がグッと引き寄せれて、胸の膨らみが押しつけられた。


(いや、私ったらこんな時に何を思い出してるの!)


 うつむく、ルミがとても小さく見えた。私にはミーシャがいた。いやミーシャしかいなかった。今、目の前にいる少女はひとりで運命を受け入れようとしている。






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