第4話
目覚ましの音がする。ヴェロニカはぼんやりとした頭のままベッドから起き上がる。そうだ、今日は重要な1日なのだ。
サイバードルのレートをチェックする。6.85ドル。わずかだが上がっているようだ。結局、ミーシャとは連絡が取れなかった。メールを送ったのだが返事がない。
(もう、ミーシャどこに行っちゃったの?)
確かに最近のミーシャはどこか様子が変だった。経営に関してヴェロニカに任せることが多くなり、会社にもあまり姿を見せなくなった。新しいビジネスの為という理由で世界各地を飛び回っているようだが、具体的な話はヴェロニカも聞かされていなかった。
ヴェロニカはシャワーを浴び、身支度を整える。アッシュグリーンの髪をマッシュボブでまとめジーンズとTシャツのシンプルなスタイルは男の子っぽいとよく言われる。170センチの長身で細身なのだからなおさらだ。色白でロングヘアーのミーシャと歩いているとまるでカップルのようだ。だが、外見とは違いどちらかと言うと天然ボケなヴェロニカを引っ張ってくれていたのはいつもミーシャだった。
ミーシャはいつもヴェロニカに言っている。
「ねえ、ヴェロニカ。あなたには特別な力があるの。人の心を温かくする力がね」
「暖かくする力?」
「そうだよ。あなたといると優しい気持ちを取り戻せるんだ」
「ミーシャは十分優しいよ」
「違うの、ヴェロニカ。私は優しくなんかない。ちっとも優しくなんかない」
それっきりミーシャは黙り込む。その時のミーシャの表情を良く思い出す。苦しげな寂しそうな、そんな表情だ。
私に特別な力があると言うのなら、いつかミーシャの苦しみも取り除いてあげることが出来るのだろうか?
プルルル、ヴェロニカの情報端末から着信の通知があった。秘匿回線での通信だ。
「ヴェロニカ……さん? ルミです。ルミ・ヤマグチです」
「おはようルミ。聞かれるとマズい話なのね」
通信コストが限りなくゼロに近くなった現代では、高度な暗号技術で盗聴を防ぐ秘匿回線は非常に高価で、滅多に使われることはない。
「ヴェロニカさんにお願いしたいことがあります。会って話せますか?」
昨日、ルミとの商談中にかかって来た電話のことを思い出した。あの時ルミの様子は明らかに変だった。であれば話をした方がいいだろう。
「私のオフィスに来たいって言ってたわね。今日は誰もいないからちょうどいいわ」
ヴェロニカは時計を見る。7時45分。
「10時に私のオフィスに来てもらえる?」
「わかりました。伺います」
ヴェロニカのアパートからサイバー社のオフィスまで車で15分、まだまだ余裕がある。だが、ヴェロニカはその前に寄っておきたい場所があった。車に乗り込むと自動運転A.Iに行き先を告げる。
「ミーシャの家へ行って」
「了解しました。到着予定時刻は8時50分です」
ミーシャもヴェロニカと同じ一人暮らしだ。多少朝早くても大丈夫だろう。日曜日の朝ということもあり、街はまだ動き出していないようだ。交通管制システムと接続された自動運転A.Iによって、今やとても安全に移動できる。交通事故もなくなりはしないが人が死ぬことはほとんどなくなった。A.Iによって職を奪われた人々が大量に発生し、社会問題となったことをヴェロニカは学校の授業で教わった。
住宅街の中を車は進み、一軒の小さな家の前で止まる。同じような現代風の家が並んでいる。家は小さいが敷地は広々としており芝生の庭付きだ。家の前の庭の一画が駐車場になっており、ミーシャの赤い車が停まっている。ヴェロニカは庭を横切り玄関のインターホンを押した。反応はない。車があるので在宅だと思ったのだが、留守なのだろうか?
何だか不安になり、試しにドアのノブを引っ張ってみる。ドアに鍵はかかっておらずドアが開く。
「ミーシャいるの?」
「ヴェロニカだよ」
やはり返事はない。
(まさか急病で倒れてるんじゃ)
心配になったヴェロニカは家に入ることにした。玄関から廊下をまっすぐ進むとリビングだ。何度も来たことがあるので間取りは大体把握している。リビングにミーシャの姿はない。
ガタン! 家の奥から何かが倒れるような物音がした。
「ミーシャ!」
急いで物音が聞こえた方へ向かう。廊下の突き当たりは両側にドアがあり物音はこの辺りで聞こえたようだ。右側のドアを開け中をのぞく。カーテンが閉められており部屋の中は真っ暗だ。明かりを付けようと壁面を探るがスイッチが見当たらない。ドアから入り込む光で部屋の奥がぼんやりと見えた。白い人影が浮かび上がりヴェロニカは息をのむ。ミーシャではない。
「だれ?」
返事はない。ウエラブル端末をライトモードにして人影を照らした。ライトに照らされて、椅子に座った人物の姿が浮かび上がった。白のYシャツとグレーのズボンを身につけており、頭からすっぽりと袋を被せられている。どうやら男性のようだ。
「大丈夫ですか?」
声をかけるがやはり反応はない。頭はがっくりとうなだれており、力が入っていないように見える。男性の体はガムテープで椅子に縛り付けられていた。
(とにかく、助けなくっちゃ!)
ヴェロニカは男性に駆け寄り、被せてある袋をはぎ取った。彫りの深い欧州系の顔立ち、年齢は40代くらいか。顔に光を当てると眩しそうな反応があるもののぐったりとしている。この男性には見覚えがある。どこで会ったのだろう? ヴェロニカは記憶をたぐる。思い出せない。
とにかく助けなくては。縛ってあるガムテープを剥がそうとするがきつく巻きついておりうまくいかない。端末のライトでは良く見えない。カーテンを開けようと一歩踏み出した瞬間、背中にチクリとした痛みが走った。頭がぐらぐらしてヴェロニカはその場に倒れ込む。背後から人の気配がゆっくりと近づいてくる。急速に意識が薄れていく。
(助けを呼ばなくては……)
腕の端末に声を発する。
「助けて」
それっきり何も分からなくなった。
ヴェロニカは、大きな木の下に立っている。昔、住んでいた家の近くにあったイチョウの木だ。太い幹が真っ直ぐに伸び枝には鮮やかな黄色の葉がついている。
ヴェロニカは泣いていた。父さんがいなくなったことが悲しかったのだ。かたわらにいるミーシャが手を握ってくれる。
「泣かないで、ヴェロニカ」
幼い頃のミーシャ。イチョウの木の下でよく話をした。色白でおさげ髪のミーシャ。ミーシャの手の温もりを感じて暖かな気持ちになる。
ヴェロニカはゆっくりと目を開けた。白い壁に白いベッド。誰かが手を握ってくれているのがわかった。
「ミーシャ?」
「気が付きましたか? ヴェロニカさん」
ブルーの瞳が心配そうにヴェロニカの顔を覗き込んでいる。手を握っているのはミーシャではなく、ルミだった。
「ルミ、どうして?」
まだ、頭がぼーっとする。そう言えばミーシャの家で倒れて、どうなったのだろう?
「安心してください、ここは、A.Iテック社の医療施設です」
「ヴェロニカさんは麻酔薬で意識を失って倒れていました。外にケガはしていないようなのでよかったです」
「助けてくれたの? ありがとう」
今ひとつ事態が飲み込めなかったが、ルミが助けてくたのは確かなようだ。
「ヴェロニカさんの緊急コール、私に繋がったんですよ。恐らく最後に通話したのが私だったからでしょうね」
「そうだったんだ、本当にありがとうルミ」
その時、ヴェロニカは思い出した。ミーシャの家にいた男性、あの男性はスティーブ・ヤマグチだ。目の前にいるルミの父親だ。
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