第3話

「今、うちが持っているサイバードルの平均買いコストはいくらかしら? ジェイ」


 ヴェロニカがジェイに尋ねる。


「平均で6.0ドルってとこだね」


 サイバー社が保有しているサイバードルはヴェロニカがマイニングした分に加えて今よりも安い時に買い集めたものだ。仮にA.Iテック社に今の相場である6.83ドルで売却できれば1サイバードルあたり6.83ー6.00=0.83USドルの利益が出る。300万サイバードルだと300万×(6.83÷6.00−1)=約41万5,000USドルの利益になる。これだけの利益が出ればみんなに特別ボーナスも支給できるだろう。


「早いとこ500万ドル集めてA.Iテック社にうっちまおうぜ!」


 カーンは待ちきれないと言った感じだ。


「1つ問題があるわ、200万ドルを調達するための資金をどうするかってこと」


「ねえ、ヴェロニカ。見込みがあってA.Iテック社との商談に行ったんじゃないの?」


 あきれたようにソフィアが言う。


「投資に回せるだけの現金はないわよ!」


「なんてこったい!」


 カーンが天を仰いだ。


「ジェイ、ソフィア、カーン聞いて」


「調達するための資金は何とかするわ。A.Iテック社との取引は大きなチャンスなの。みんなにも今まで助けてもらった分、恩返しが出来ると思うわ」


「……力を貸して」


 ヴェロニカは3人それぞれの顔を見ながら語りかけた。


「俺に異論はない。みんなで儲けようぜ!」


 真っ先にカーンが答えた。


「ヴェロニカらしいわね、すぐ暴走しちゃうんだから。いいわ! やりましょう」


 ソフィアは苦笑いをしている。


「ジェイ様に不可能はない! ふふふ」


 ジェイは自信満々のようだ。


「みんな……、ありがとう!」


 相談もせずに話を進めてしまったことに後ろめたさを感じていたヴェロニカだったが社員たちの優しさに心が軽くなると同時に力がみなぎってくるのだった。

 その時、ヴェロニカはもうひとつの大きな問題があることに気がついた。


 (ミーシャに何て言えばいいのかしら?)


 ミーシャとは小さい頃から一緒に遊んだ仲だ。いわゆる幼なじみってやつだ。性格は楽天的で大ざっぱなヴェロニカとは正反対の冷静沈着かつ慎重ときている。今回のこのいちかばちかの取引にいい顔をするとは思えない。しかも共同経営者であるミーシャに無断で話を進めてしまったのだ。ヴェロニカは、ミーシャの雪のように白い肌と氷のようにクールな瞳を思い浮かべた。あの瞳の奥に怒りの炎が燃え盛ったとしたら……


 そう考えると急に冷たい汗が噴き出してきた。


「どうした? ヴェロニカ、急に渋い顔して」


 カーンが声をかける。


「腹でも減ったか?」


「えっ! な、何でもない。そう言えばミーシャはどこへ行ったのかしら?」


「朝、出て行ったきり姿を見ないな」


「みんな、何か聞いてない?」


 3人とも首を横に振った。窓から外を見る。すでに日は沈み街の灯りがぼんやりと見える。


「今日はこれで解散! みんなお疲れ様」


「A.Iテック社への回答は明日の15時よ」


「14時時点のサイバードル価格に手数料を上乗せして決めることにしたいの。ただし、うちに損失が発生する6.0ドル以下では提示しない」


 ヴェロニカの提案に3人から異議はなかった。明日14時の価格を確認後、ヴェロニカが提示価格を決め、チャットで社員全員に知らせることになった。






 A.Iテック社の自分のオフィスでルミは1人佇んでいた。ヴェロニカとの商談中にもたらされた報告に打ちのめされ途方に暮れていた。父スティーブが行方不明となり、犯人と思われる男から身代金を要求する電話がかかってきたのだ。しかも身代金の額はサイバードルで500万ドル。ちょうど、ヴェロニカに調達を依頼した金額と一致している。単なる偶然の一致なのだろうか? 身元がばれやすい銀行口座経由の送金や持ち運びが大変な現金の受け渡しと違い、暗号資産での決済は匿名性が高い上に簡単だ。従って、犯人がサイバードルでの受け渡しを要求してきたとしても不自然ではない。


「どうしたらいいの?」


「なんで父さんが……」


 スティーブはルミにサイバードル社との商談を行うよう指示した後ウスティノフ開発という会社に向かったようだ。ウスティノフ開発を出た後の足取りが掴めていない。連絡が取れなくなってから12時間が経過している。A.Iテック社の運営は『理事会』と呼ばれている人工知能で行われいる。人工知能は2つの人格を持っておりそれぞれ『カオス』と『クロノス』と名付けられている。

 ルミは『理事会』に警察に連絡したいと申し出た。


「父の安全を一番に考えて、カオス、クロノス!」


 カオスが女性の立体映像となって答える。


「この件に関してはヤマグチ社長より、コード0095の実行を事前に指示されています」


「コード0095って何なの!」


「お答えできません」


「クロノス、答えて!」


 クロノスは男性の立体映像で答えた。


「ルミ様、コード0095は守秘コードなのです。警察は介入させません」


「父はなぜ誘拐されたの? 知ってるんでしょ!」


「現時点では不明です」


 カオスが女性の声で答える。


 その時、ルミのウエラブル端末に着信があった。発信元不明の着信だ。


「クロノス、分析して! 犯人かもしれない」


「承知しました。ルミ様」


 ルミは通信を『理事会』と共有モードに切り替えて応答する。


「はい、ルミ・ヤマグチです」


「やあ、ルミ。そしてA.Iのお二人。我々はヤマグチ氏に恨みはない。だが、ヤマグチ氏の考えには賛同できない」


「どういうこと? 父は無事なの?」


 声の主は男性のようだ。だが音声が変換されており実際の声とは違うものになっている。


「父上は無事だ。500万サイバードルを我々に支払えばお返ししよう」


「父が無事だという証拠を見せて! 声を聞かせて!」


 ルミの言葉には答えず、声の主は続ける。


「ほう、君のA.Iはなかなか優秀なようだ。我々のネットワークの一部にアクセスを試みているようだ」


「送金先を示す4次元コードをウォールの外に出す。読み取りたまえ!」


 通信が電子音と共に切れる。


「クロノス、発信先は?」


「ルミ様、残念ながら判別できませんでした。4次元コードを受け取りました」


 サイバードルを含む暗号資産を送金するには相手のアドレスが必要だ。現在のアドレスデータは巨大な量子データで構成されており4次元コードと呼ばれる立体映像でやりとりされている。


「コードを見せて、クロノス」


 ルミの前に中年男性の姿が現れた。


「父さん!」


 今朝、家を出た時と同じスーツ姿のスティーブが立っている。


「ルミ、父さんは無事だ。心配しなくていいよ」


 スティーブは悲しげな表情をしているようにルミには見えた。


「ルミ、君は……、君は……、強い子だ。父さんを許してくれ。愛している、ルミ……」


 映像が消える。


「送金先のアドレスを読み取りました。映像は1時間前のものです」


 少なくと1時間前までは父は無事だったと分かり、ルミは安堵の表情を浮かべる。同時にルミの心に引っ掛かるものがあった。男はヤマグチ氏の考えには賛同できない、と言い、スティーブは許してくれと言った。父の考えとは? 何を許すのか? わからない、一体何が起こっているの? クロノスはコード0095が実行されると言った。コード0095とは何なのか?


「父さん、私はそんなに強くないよ。でも必ず助けるわ、待ってて、愛してる」


 ルミのブルーの瞳が力強く光を放った。











































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