第25話

 「コード……なんだって?」


 ゴーリェは聞き取れなかったのだろう。怪訝そうな声で聞き返してきた。


「コード0095よ。A.Iテック社が作った危機管理マニュアルのひとつだって」


 ルミからの情報によると、社長であるスティーブの身に何かあったときに発動する行動計画ということだった。そのことをゴーリェに説明する。

 

「ルミは、会社の経営を担っているA.I『理事会』にスティーブの誘拐について警察へ相談したいと申し出たの。でも彼らは、事前にスティーブからコード0095を指示されていることを理由に拒否したんだって」


「コード0095の中身については分かってないんだよな?」


「詳しいことは分からない。分かっているのは、警察を介入させないという指示をスティーブが事前に出していたということだけ。わざわざ警察を介入させるなっていう指示を事前に出すなんておかしいわ」


 2人を乗せた車は峠を越えて、海に向かって下って行く。海面に太陽が反射してキラキラと輝いている。


「確かにスティーブは、何か特定の目的があってコード0095の実行を指示したのかもしれないな。そしてコード0095が実行される状態を作り出すために、誘拐される必要があった、ということか」


「私の考えたシナリオについて話すわ。元々A.Iテック社は調達した500万サイバードルを使った何らかのプロジェクトを計画していたんじゃないかな。一方で、ミーシャとスティーブはその500万サイバードルを横どりしてアビスモ居住区の住民登録権を買うことを計画したの。だけど闇ルートでの登録権購入を自分達ではなくA.Iテック社が行ったように偽装するために、サイバードルNow社とウスティノフ・トレード社に調達を依頼することを思いついた。どちらが調達に成功したとしても、両社にあるA.Iテック社のアカウントから直接、闇ルート購入用アカウントへ送金することによって、自分達の存在を表に出さないようにした」


 ゴーリェはあごに手を当てて、うーむとうなった。ヴェロニカの考えたシナリオを頭の中で整理しているようだった。


「でもアビスモ居住区の住民登録権を欲しがっていたのはミーシャだよな? スティーブがミーシャに協力する理由が分からないな」


「そうね。ミーシャにしろ、スティーブにしろ、何が目的でこんなことをするのかが分からないわ。その欠けているピースを埋めるために2人に会う必要がある」


「なるほど、父親を信じているルミを傷つけたくないってことで、一緒には来なかったんだな」


 車はやがて、海岸沿いの開けた道へ出た。もしバカンスでこの島に来ているのなら絶好のドライブコースと言えるだろう。だがこの先に待っているのは決して楽しい時間でない、そんな予感がする。運転席ではゴーリェが情報端末を使い、港の構造を確認している。一応、運転用のステアリングは装備されているのだが、今はダッシュボード部分に収納されているので、楽に作業できるスペースが確保されている。


 第二埠頭は、コンテナターミナルになっており、水深15mの岸壁は大型船の接舷が可能とのことだ。総トン数3万5,000トンの貨物船『スマリンガーラント』も接舷できるだろう。ふと、ゴーリェの横顔が目に入る。普段笑みを絶やさないゴーリェだが、今は真剣な表情をしている。


「ねえ、バル。ゲブリュルさんってどんな女性ひとなの?」


 突然の問いに、ゴーリェは作業の手を止めてちらりとヴェロニカの方へ視線を送った。


「投資銀行時代の顧客の紹介でね。出会ったその日に2人で仕事をすることになったんだ」


「えっ、なんか運命の出会いって感じね」


 ゴーリェは静かにかぶりを振って、苦笑いを浮かべる。


「最初は、なんて高慢ちきな女なんだって思ったよ」


「そうなんだ、何か言われたの?」


「その顧客から仕事をもらうのに、コメつきバッタみたいなことしたんだろってね」


「コメつきバッタ?」


 意味がわからずヴェロニカは思わず聞き返した。


「ペコペコ頭を下げるって意味さ」


「それはキツイわね」


「ああ、必ずこの女を見返してやるなんて思ったんだが、今思えば彼女なりのエールだったんだろうな。その仕事は彼女にとっては過去の自分から生まれ変わるための重要な仕事だったって後から知ったよ。そんな大事な仕事の相棒が俺みたいな頼りない男だったのがショックだったのかもしれない」


 ゴーリェの茶色の瞳はどこか遠くを見ているようだった。


「まあ、なんだかんだで今は一緒に住むって言う話なんだけどな」


「そのなんだかんだを教えなさいよ」


 ゴーリェに元の人懐こい笑顔が戻っていた。


「お互いに大事な人を守ろうね」


 ヴェロニカの言葉にゴーリェは無言でうなずいた。


 ブエン・ティエンポは歴史のある港町だ。古い石造りの建物がそのことを物語っている。石畳のやや狭い道の両側にはカフェやレストランのテラス席が並ぶ。ヴェロニカは時計を確認する、午後4時40分。夜の営業に向けて店員が準備に忙しそうに動き回っているのが見える。車は街の広場を抜け、真っ白く巨大な教会が見えてくる。聖書の内容に沿った彫刻が施されている分厚い壁や奥行きのある窓にヴェロニカは目を奪われた。


「すごい……」


 ヴェロニカは思わず声を上げる。


「中世ヨーロッパの影響を受けて作られたらしいよ。遥か昔に存在した『ローマ帝国』から名前をとってロマネスク様式って言われているんだ」


 歴史が得意だったミーシャが、尊敬している歴史上の人物としてガイウス・ユリウス・カエサル(共和制ローマの政治家)の名を挙げていたのを思い出す。


「賽は投げられた……」


 ミーシャが大きな取引をするときに口にしていた言葉を口の中で唱えてみる。運命のサイコロはどんな目を出すのだろう? 結果はもうすぐ分かる。車は教会の横を通過して西へ向かう。海に面した公園に突き当たり今度は北上する。ヨットハーバーに様々なヨットが停泊しているのが見えた。ハーバーの外側を観光客を乗せた遊覧船がゆっくりと航行している。マリンブルーの海と青空の間に赤茶けたレンガ倉庫が出現し、港の施設が見えてきた。


 コンテナヤードに積み重ねられた大量のコンテナが何列も並んでいる。コンテナの向こう側、岸壁に沿って赤と白の縞模様でペイントされたコンテナ積み下ろし用のガントリークレーンが姿をのぞかせていた。ヴェロニカたちを乗せた車は埠頭の管理棟前にある駐車場で止まった。管理棟の受付には制服姿の女性職員が座っている。


「受取貨物の確認に来たのですが」


 ゴーリェが要件を伝えると、女性職員は予約を照合しますと答えた。


「ゲブリュル&ゴーリェLLCのゴーリェ様ですね、お待ちしておりました。コンテナ船の入港は午後7時を予定しております。それまで待合室でお待ちください」


 職員の誘導に従ってセキュリティゲートをくぐり、エスカレーターで2階へ上がった。自動ドアをくぐって待合室へ入るとそこは岸壁側がガラス張りとなった明るく広い部屋になっている。ソファと丸テーブルが配置されておりホテルのラウンジといった雰囲気だった。ガラス窓からは埠頭全体が見渡せるようになっている。


 部屋には先客がいた。ネイビーのパンツスーツ姿の女性が、入ってきたヴェロニカたちに背を向けて立っている。すらっとした長身で黒髪を後ろでひとつ結びにしている。両腕を肩の高さまで持ち上げて何かを顔の前で持っているように見えた。ヴェロニカたちが入ってきた気配に気がついたのだろう、女性が手に持っていた物を下ろし素早く振り向いた。


 

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