第26話
ヴェロニカとゴーリェの存在を視認した女性は、耳に挿入したイヤフォンを押さえて何か言った後、くるりとこちら側を向き歩き出した。ヴェロニカが声をかけるべきか迷っている間に、大股で2人に歩み寄ってくる。黒髪でアジア系のシャープな顔立ちだが、二重で大きな目がこちらを見据えている。高い鼻と整った眉が強気な印象を加えていた。近づくにつれて、彼女が手に持っているものが双眼鏡であることがわかった。
女性は細身な上にかなり背が高い、170cmのヴェロニカよりも高いので少なくとも175cmはありそうだ。笑顔はないが、スーツの下に着ているライトブルーのスタンダードカラーシャツが爽やかな印象を与えている。女性は2人の目の前まで来ると、双眼鏡を肩にかけたバッグにしまい代わりに小型の電子デバイスを取り出した。戸惑っている2人の眼前にデバイスを掲げて言った。
「アジア地区担当の公安捜査官、李 雨桐(リーコートン)です。あなた達は「スマリンガーラント」の関係者ですか?」
デバイスには、今よりもっと険しい表情をした女性の写真と、今名乗った通りの肩書きが記載されている。ヴェロニカがどう答えるべきかと迷っていると、ゴーリェが丁寧な口調で答えた。
「私は、バルバ・ゴーリェで、こちらは部下のヴェロニカ・佐藤と言います。私の会社は調査業をやってましてね、貨物の受け取りが遅れたことについて調査を依頼されたんですよ」
ゴーリェは得意の微笑みをリー捜査官に向けているが、効果はないようだ。
「失礼ですが身分証と、先ほどおっしゃった内容を証明できるものがあれば拝見したいのですが」
そんなものがあるのか? ヴェロニカはなるべく動揺を表に出さなように努めた。ゴーリェは、参ったなという感じで眉を上げて見せると、カバンからデバイスを取り出した。素早く操作してから、リー捜査官に差し出す。リーは、腕のウエアブル端末でデバイスのコードをスキャンした。
ピコンと電子音がして、リーが端末へと視線を向ける。ヴェロニカは祈るような気持ちだった。
「確認できました。問題ないようです。ご協力感謝します」
ヴェロニカは、ほっと胸を撫で下ろしたが、リーは興味を失ったように2人から視線を外した。
「リーさん、もしかしたら――」
ゴーリェが、背を向けようとしていたリーに呼びかけるように言った。
「ゲブリュル・シュバーンをご存知ですか? 欧州担当捜査官の」
その言葉にリーは目を見開いた。
「知っています! ゲブリュル上級捜査官は私のスクール時代の恩師です」
「ゲブリュルは私の共同経営者なんです。捜査官育成スクール時代のこともよく聞いてたんですよ」
意外な展開にヴェロニカはあっけに取られていた。そんな繋がりがあったとは。
「ゲブリュル教官は……教官は私の憧れなんです!」
リーの
「ところで、リー捜査官はこちらへはどのような任務でいらっしゃったのですか?」
リーの警戒心が薄れたと判断したのだろう、ゴーリェが何気ない調子で質問した。リーはしばらく迷っていたようだが、言葉を選びながら口を開いた。
「任務に関しては詳しくは申し上げられないのですが、ある人物が間も無く到着する貨物船に乗船しているとの情報があり、ここに配置されたのです」
ゴーリェはあからさまに眉根を寄せて見せた。
「なるほど、船の到着が遅れたのもそいつのせいなのかな? 商品の到着が遅れた損害を保険でまかなうために調査が必要なんですよ」
「そうでしたか、ゴーリェさんの調査のお邪魔はしたくないのですが、危険な目に遭うといけませんからここにいる間は私の指示に従っていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ、そう致します」
そういってからゴーリェは、ヴェロニカの方を向いて「わかった?」というふうに小さくうなずいた。ヴェロニカも承諾の意味でうなずき返した。
「では、ゴーリェさん、ヴェロニカさん。私は任務に戻りますので、必要があればお声がけください。失礼します」
リーはイヤフォンに向かって「監視を再開する」と言うと再び大股でガラス窓まで歩いて行った。カバンから双眼鏡を取り出し、目にあてがうとヴェロニカが最初に見たポーズに戻った。
ヴェロニカとゴーリェはリーからなるべく離れたテーブルのソファに腰掛けた。ゴーリェにはいろいろ聞きたいことがあったのだが、リーに怪しまれるといけないので黙っていることにした。
ガラス窓から外を眺めると肉眼でもこちらに向かってくるコンテナ船を確認できるようになっていた。沈んでいく夕日が水平線と青空の境目を黄色に染め上げている。
『まもなく船が到着致します。関係者の方は
待合室に女性の声でアナウンスが流れ、しばらくして青い作業着を身につけ、白いヘルメットを被った若い男性職員が入室してきた。職員について来てくださいと言われ、ヴェロニカ、ゴーリェ、リーの3人は待合室を後にした。途中、用意されていた黄色の高視認性安全ベストと職員と同じ白いヘルメットを身につけさせられた。リーにそれらが全く似合っていなかったので思わず笑ってしまった。
エレベーターで1階へ降りると管理棟をでた。地面の誘導表示に従って歩く職員の後を連れ立って歩いて行く。西にある岸壁へ向かって歩くヴェロニカたちから見て左側にコンテナヤードがあり、オレンジや茶色、緑といった様々な色のコンテナがブロックのように積み重なっている。そのコンテナの上に橋をかけるようにブルーの巨大なクレーンが設置されており、タイヤがついて自走するそうだ。埠頭の北側を200mほど進むと船が接舷する岸壁に着いた。車からは遠目に見えたガントリークレーンが今は目の前にその巨大な姿をさらしている。
色とりどりのコンテナを積んだ船がもう目の前に迫ってきていた。タグボートに
「こちらでお待ちください」
ここで停止、と地面のコンクリートに書かれた場所まで来ると職員が言った。リーがイヤフォンに向かって小声で何か指示をする。内容は聞き取れなかったが、おそらく他の捜査官が既に待機しているのだろう。ヴェロニカは腕の端末で時刻を確認する、午後7時20分。コンテナ船の到着は定刻より20分遅れているようだ。既に日が沈み空は暗くなってきているが、埠頭内は明るい光源で照らされまぶしいくらいだ。
「コンテナ船が接舷して乗降用タラップが降ろされるまで、どれくらい時間がかかりますか?」
リーが職員に尋ねる。
「そうですね。乗組員の作業状況にもよりますが通常は10分もかからないはずです」
リーはありがとうと言って時計を見た。コンテナ船から発出された係留用のロープを作業用ロボットが受け取り岸壁のピットに固定した。タグボートのエンジン音が大きくなり、コンテナ船を岸壁に向かって押し始める。岸壁と平行を保ったままゆっくりと近づいて、まもなく接舷が完了した。
「岸壁まで行きましょう」
接舷を確認した職員に促されて、岸壁まで歩く。船の船尾に設置されている乗降用タラップが降ろされる場所の近くまで歩いて行くことができた。リーが周辺を警戒して意識を張り巡らせているのを感じる。ゴーリェの表情もわずかだがこわばっているように見えた。今のところ船の甲板上に人の姿は確認できない。ウインチのモーターが回転する音が鳴り、タラップが岸壁に下ろされた。
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