第39話

 振り向くとメアリーがいつの間にか二、三歩後ずさりしていた。瞳には嫌悪の色が浮かんでいる。


「あんたは支配してるんじゃない、支配されてるんだよ」


 メアリーは吐き捨てるように言った。


「この私が……支配されている?」


 ミハイルはほうけたような表情になった。


「そうか……君もアンドロイドなんだね。だから私がうらやましかったわけだ。そうだ! 君も『アトラス』のために働いてみないかい? 理想の世界を作ることができるぞ。何なら紹介してあげてもいい」


 ミハイルはまくし立てるように言う。その目はもう誰もみていない。ヴェロニカの背筋に冷たいものが走った。


「ヴェロニカ、もう行こう!」


 メアリーに強く腕を引っ張られて挨拶もそこそこに病室を出る。ミハイルはなんとも言えない笑顔を浮かべて出ていくふたりをただ眺めていた。オフィスビルを出ると新鮮な空気が心地よかった。あの病室の空気は暗くよどんでいた。何事にも醒めていると思っていたメアリーの意外な一面を見たような気がした。A.IであるメアリーにはおそらくA.Iとしてのプライドがあるのだろう。人間でありながら『アトラス』を盲信するミハイルが許せなかったのかもしれない。


「博物館に行ってみる?」


 少しでも気が晴れればと声をかけてみた。


「気が利くわね、忘れてたわ」


 目的の「デザストレ・ナトゥラル博物館」はルネサンス様式で建築された円柱と半円のドームが特徴の博物館だそうだ。壁の最上部に軒蛇腹コーニスと呼ばれる美しい装飾がある。もちろん博物館の営業時間はとうに終了して入り口は閉ざされていたが、その華麗な姿は外側からも十分堪能できた。


 博物館の周りを2周してようやくメアリーは満足したようだ。


「ねえ、ご主人様。明日はどうするつもり?」


「どうするって? いきなり言われても」


「南ゲートから北ゲートへ続く幹線道路があるのでしょ。その最短ルートをミーシャは避けて通ったって言ったじゃない」


「ああ、東に大きく迂回して北ゲートにある、さっきの病院へ行ってたからね」


 メアリーはピョンとジャンプしてヴェロニカの方を振り向いた。腰に手を当てて仁王立ちしながら言う。


「ならその道路を調べるのよ」


「えっ」


 メアリーの突然のやる気に困惑していると、メアリーはヴェロニカを指差す。


「考えるのニガテって言ったでしょ。行動あるのみなのよ!」


 と謎の宣言を行った。ホテルに帰ったふたりは明日の捜索に備えて早めに寝ることにした。翌日の朝、身支度を整えたヴェロニカとメアリーはホテルを出ると歩いて南ゲートの北にある広場へ向かった。ホテルから広場までは距離にして500mほどだ。


 歩道を歩く住民とすれ違うがメアリーの服装にチラッと視線を向けるぐらいで、ヴェロニカたちに興味を持っている様子はない。住民に老人はいない。やはりA.Iも若くて美しい容姿を好むのだろうか? だが、住民の容姿はさまざまだった。さまざまな人種、体格の人が歩いている。やはりA.Iといえどもいろいろな好みと考え方があるようだ。それはそうだろう、今、自分の隣にその代表みたいなメアリーがいるのだから。


 ミハイルが言っていた『アトラス』による完全な世界って何なのだろう。世界金融システム支配プログラムとは? あそこにもう少しいてミハイルを問い詰めた方がよかったのだろうか? いや、ここに来た目的はミーシャに会うことなのだ。この世界の真実を暴くことではないはずだ。


 やがてふたりは広場に到着した。広場の中央には円形の噴水があり女神の彫像が設置してある。噴水の周りを歩道と車道が囲んでおりここを起点に幹線道路がいくつかの方向に伸びている。ふたりは噴水の周りをぐるりと回ってから北ゲートへ真っ直ぐ延びている道路へ向かった。道路は見通しがよく北ゲートが小さくだが確認できた。


 どうやらこの南北に走る通りがこの居住区のメインストリートらしい。緑の並木が続く歩道を北に向かって歩く。高級ブランド店が軒を並べているエリアを抜けると、雑貨店、レストラン、銀行などさまざまな店舗が現れる。あたりに注意して進んでいくが特に目を引くような建物はないようだ。


 ビルの上部に設置してある立体映像広告エリアに見覚えのある映像が表示された。スーツ姿の男女が呼びかける。


「独立投票の投票時間は、本日12時から17時です。みなさん忘れないように投票しましょう!」


 何人かの通行人が映像を見上げるが反応は薄い。時刻を確認すると午前11時だった。あと1時間で投票が始まる。もしかしたら投票が始まれば何か動きがあるかもしれない。


「どこかに居住区を一望できるような建物はないかしら?」


 高い場所から見れば何かわかるかもしれない。ヴェロニカはメアリーに意見を求めるがメアリーは「うーん」とうなるだけだった。こうなったら通行人に聞いてみるか。ヴェロニカは道端で情報端末をいじっていた若い男性アンドロイドに声をかけた。


「すいません。ちょっとお聞きしたいんですが」


 男性は端末から目をあげてヴェロニカを見た。


「えっ、はい、何すか?」


「この辺で居住区を一望できるような高い建物ってありますか?」


 男性は首をかしげながら答える。


「高い建物っすかー? うーん、なんか制限があるんすよ。ほら、居住区の外まで見えちゃうから」


 そうか、せっかく高い壁で囲って隔離しているのだ。あまり高い建物でどちらかも見えてしまうのは良くないとの判断だろう。


 男性の端末からピコンと音がした。


「あっ、ちょっといいすか?」と言って男性は端末に視線を落とす。


「ねえ、それ何? 面白そうね」


 突然メアリーが話に割り込んできた。


「えっ、それって?」


「それよ、今あんたがやってるアプリよ。普通のSNSじゃなさそうじゃない」


 聞かれるとマズいと思ったのか、男性は声のトーンを落として言った。


「今、壁の外とやりとり出来なくなってるじゃないすか? でもこれがあったら出来るって回ってきたんすよ」


「ムチャ面白うそうじゃん。私にもシェアしてよ」


「いいけど、君の写真撮らせてもらえる?」


 男性はメアリーの写真と引き換えにアプリをシェアしてくれた。男性の言葉が本当なら試してみる価値があるかもしれない。アプリを開きゴーリェ、ジェイ、カーン、ソフィアにフレンド申請してみる。


 しばらくするとジェイから返事が返ってきた。


『わたし、仕事大好き人間なの』


 という文章と一緒に眉間にしわを寄せてPCのモニターを眺めるソフィアの画像が送られてきた。またふざけてソフィアを不機嫌にさせたのだろう。ヴェロニカは急いで伝えるべき情報を入力した。

 

 本日の12時から17時の間で、アビスモ居住区の独立を決める投票が行われること。ミーシャの足取りが『アビスモA.Iホスピタル』で途絶えたこと。その『アビスモA.Iホスピタル』でミーシャの父、ミハイルに会ったこと。そしてミハイルがA.Iテック社を経営している『理事会』メンバーであったこと。


 A.Iテック社はA.I協議会の命令で動いており『アトラス』と呼ばれるネットワーク化された知性の考える「完全な世界」の創造を目指していること。コード0095はその世界創造の第一弾であり、世界の金融システムを支配するプログラムであること。


 これらの情報を入力後すぐさまジェイに送信した。このSNSも遮断される可能性があると思ったからだ。


 

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