第38話

 扉の中は病室というよりはホテルの部屋のようだった。入口から向かって左側にベッドが置かれているが、かなり空間に余裕がある。ベッドの奥は大きめの窓があり今はカーテンが閉められていた。ベッドの正面の壁には巨大なスクリーンが設置してあった。


 ベッドは上半身が45度持ち上がっており、短い銀髪の男性が寄りかかってこちらを見ている。年齢は30代くらいか? ヴェロニカは男性に見覚えがなかった。


「やあ、ヴェロニカ。久しぶりだね」


 欧州系の彫りの深い顔に笑顔が浮かんでいる。男性はヴェロニカのことを知っているようだが、どこかで会ったことがあっただろうか?


「ああ、これは失礼。この姿で会ったことはなかったね。ミーシャの父、ミハイルだよ」


 頭が真っ白になった。ミーシャのお父さんですって!


 ミーシャの両親は海外に住んでいてほとんど日本に帰ってこないとミーシャから聞いていた。ヴェロニカはもう何年も会っていない――はずだ。ヴェロニカは何とか記憶の糸をたぐろうとする。だが……思い出せない。ミーシャの両親の姿も、会った記憶も何もかも思い出せない。

 

「お久しぶりです……、ミハイルさん」


 動揺を悟られないよう平静をよそおってゆっくりと言ったが、少し声が上ずってしまった。


「そちらの可愛らしいお嬢さんは、お友達かな?」


 メアリーのゴスロリ衣装はお見舞いをするには個性的すぎだろう。


「はい、友達のメアリーです」


 私が答えると、メアリーは「初めまして」と会釈した。


「寝たままでお構いも出来ずすまないね。新しいアンドロイドの体がまだうまく動かなくてね。さあ、そこの椅子に座ってくれ」


 すすめられるままに、ヴェロニカとメアリーはベッドサイドの来客用ソファーに腰を下ろした。


「君たちが来るかもしれないと、ミーシャから聞いていたんだよ」


 やはり行動を読まれていたか。監視カメラにも意図的に映ったのだろう。


「あの……私たちミーシャを探しているんです。ミーシャの居場所をご存知ですか?」


 ヴェロニカは、一番聞きたかった事を単刀直入に聞いた。


「すまないね、私もあの子がどこにいるのか聞かされていないんだよ」


 ミハイルはもうしわけないという感じで首を横にふる。ヴェロニカの表情から落胆を読み取ったのか、ミハイルは続ける。


「あの子は君に会うつもりだと言っていたよ。だからいずれ会えるんじゃないかな」


 ミハイルはさっき、姿会ったことがない、と言っていた。その言葉の意味は何となく想像がついたが、ヴェロニカは確かめるように言った。


「あの、さっきおっしゃった『この姿』というのは? もしかして……」


「私はね、自分の体を売ったんだよ」


 ミハイルの言葉はヴェロニカの想像を超えていた。スティーブからアンドロイドに人間のパーソナリティを移植する技術があり、このアビスモ居住区では安定的に移植できる技術があると聞いてはいた。だが、体を売るとはどういうことなのか?


「そうか……知らなかったんだね」


「はい……」


 ヴェロニカはそれ以上言葉を発することができない。思わずメアリーの方を向く。ゴスロリ少女は無表情のままだがわずかに唇の端がつり上がっている。ヴェロニカと目が合うと、知らないというふうに首を横に振った。


「今から10年以上も前の話なんだが私は事業で失敗してね、大きな借金を抱えてしまった。返済に困ったあげくに闇金融からも借りてしまった。案の定、返済は滞ってしまいそれはひどい取り立てを受けていたんだ。そんな時、人間の体をA.Iに売るビジネスがあるということを知った」


「ミーシャはそのことを知っているんですか?」


「知っている。もちろん猛烈に反対された。だが他に方法がないと説得して何とか納得してもらった。いや……そう思っているのは私だけで、ミーシャは今も納得などしてないのかもしれない」


「なんてこと……」


 ヴェロニカは信じられない話に絶句した。


「その後、ミーシャの母親つまり私の妻も体を売ることになった。彼女は隣の部屋にいる」


 ミハイルは深いため息を吐いた。唇がかすかに震えているのが見てとれた。


「A.Iテック社の『理事会』を知っているね」


「えっ!」


 ヴェロニカは耳を疑った。その言葉がミハイルの口から出てくるとは思ってもいなかったからだ。ミハイルの緑の瞳と目があった。


「私がその『理事会』メンバーのひとりクロノスだ」


 そんな馬鹿な! A.Iテック社の経営を牛耳っているのは『理事会』だとルミになりすましたミーシャから聞いた。ミーシャはA.Iテック社から500万サイバードルをだましとり自らの独立国家樹立という野望のために使った。またスティーブは『理事会』から追われていると言った。ミーシャと『理事会』は敵同士ではなかったのか?


「私の体を買い取ったA.Iは私と私の妻にある提案をした。自分達の代わりに『理事会』となって支配する側の存在にならないか、と」


「支配する側の存在……」


 ヴェロニカはミーシャの言葉を思い出した。『支配する側と支配される側、その違いは何だと思う?」ミーシャはそう言った。ミーシャからその問いの答えを聞いてはいない。


 ミハイルは言葉を続ける。


「私はその提案を受け入れた。借金に追われ自分の体を売らなければならない、この残酷な現実から逃げることができるなら藁にもすがりたい気持ちだった。だが、それだけじゃなかった。私はうすうす感づいていたんだ。この世の中はほんの一握りの存在によってコントロールされ、そうじゃない大部分の存在は搾取され続けているとね」


「コード0095とは何です?」


 ミハイルが『理事会』なのであれば聞くべきことは決まっている。ミハイルはヴェロニカから目をそらして天井を見上げた。


「『理事会』である私にそれを聞くのかね?」


「言えないような事なんですか?」


 ヴェロニカは畳みかけるように言う。


「まあいいか。間も無く私は『理事会』ではなくなるのだから」


「どう言う意味ですか?」


「実はね『理事会』は次々と引き継がれているんだよ。まあ普通の会社でもそうだろうがね。それで私は一定の役割を果たしたということで退任することになった。明後日の午前0時をもって私は退任し、経営は次の理事会メンバーに引き継がれる。退任した『理事会』メンバーは『理事会』であった記憶を消されこのアビスモ居住区で一般市民として生活する。そういう決まりだ」


 ヴェロニカはうなずいて話の続きをうながした。


「『理事会』は……いやA.Iテック社はA.I協議会(国際人工知能地位向上協議会)が決めたことを実行するためにある。A.I協議会とは何か知っているかい?」


「自我を持ったA.Iたちが不当に扱われないよう法律で権利を認めていく活動をしていると、両親から聞きました」


「そうか、君のご両親は協議会のメンバーだったね。ご立派なご両親だった……残念だよ。だが、ご両親の説明は表向きのものでしかない。A.I協議会の本当の目的は『完全な世界の創造』だ。そしてその完全な世界の設計図は誰が作るのか? そう、それは『アトラス』と呼ばれるネットワーク化された知性により創造される。コード0095は『アトラス』による世界創造の第一弾、世界金融システム支配プログラムの実行計画なのだよ」


 ミハイルはうっとりした表情で天井を見つめている。


「ミーシャはここに来てコード0095を止めて見せると言った。私は『アトラス』の素晴らしさを娘にさんざん説明したんだが理解してもらえなかった。だが娘がどんなに頑張ろうがコード0095を止めることは出来ないし止めるべきじゃあない、君もそう思うだろう?ヴェロニカ」


「――支配されてる」


 冷たい声が背後からした。

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