第49話

 ミーシャは自分に向けられたライフル銃を見て目を細めた。


「物騒ね、我々はこの対アンドロイドウイルスを広範囲にばら撒く技術をすでに手に入れているのよ」


「何の話だ?」


 ゲブリュルが反応した。


「電子戦ドローンを知っているかしら? すでにアビスモ共和国上空に配置すみよ。私がスイッチを押せば共和国内にくまなくこのウイルスをばら撒くことができるわ」


「ハッタリだ! そんなこと出来るわけがない」


「試してみる? もしウイルスがばら撒かれれば共和国内のアンドロイドはプログラムに従ってパルマ政府への攻撃を開始するわ」


 沈黙が辺りを包んだ。ミーシャの言葉は単なる脅しかもしれない。だが目の前に広がる凄惨な光景がその楽観的な考えを打ち消してしまう。ジリジリと痺れるような時間が過ぎてゲブリュルが口を開いた。


「何が望みだ?」


 だらりと銃を下ろす。


「ヴェロニカと2人きりで話をさせて」


「だめだ、お前を信用できない」


 ゲブリュルは即座に答える。


「ゲブリュル、私行くわ!」


「しかし……」


 ヴェロニカはゲブリュルの瞳を真っ直ぐに見つめた。金色の瞳には迷いの色が浮かんでいる。


「――すまん」


 観念したようにゲブリュルは言った。ヴェロニカはメアリーの方に顔を向けた。青白い顔がコクリとうなずく。


「私の執務室へ案内するわ。ついて来て」


 そう言うとミーシャはバッグを抱え上げ歩き出した。ヴェロニカはその後を追う。ミーシャはロビーの奥にある通路に向かって歩いていく。通路の左側にある扉の前で立ち止まると自動認証で鍵が開き、一緒に部屋へ入る。そこはヴェロニカが想像していたより簡素な部屋だった。扉の向かい側の壁には大きな窓があり、窓を背にして執務机と椅子、その手前には応接セットが配置されている。窓には外部からの攻撃を避けるためだろう、板が打ち付けられていた。


「窓際は危ないからこっちに座って」


 ミーシャにうながされて応接セットのソファーに腰を下ろす。ミーシャも向かいの席に腰を下ろした。


 向かい合って座ってみると目の前にいる女が自分が知っているミーシャとはあまりにかけ離れた雰囲気を持っていることを実感した。ウェーブを描いている濃い茶色の髪や同じ色の大きな目、ふっくらとした唇、そのどれもが華やかな印象を与えており、これからお気に入りのスイーツの話を始めても違和感がないように思えた。


「ずっとルミになりすましていたの?」


 なるべく感情を出さずに話すつもりがどうしても責める口調になってしまう。


「ごめんねヴェロニカ。あなたならきっとルミを見捨てない、そう思ったの。あなたはとても優しいもの」


「私やルミだけじゃない、カーンもジェイもソフィアも。あなたは自分の目的のためにみんなを利用した」


 ミーシャは頬をプクッと膨らませた。


「みんなにも利益があったはずよ。だってゲオルグからしこたま巻き上げたじゃない。ウスティノフ社に誤発注させるアイデア、あれ最高だったわね。マトリョーシカ人形を作るの大変だったんだから。だいたいゲオルグもあなたに振り向いてもらえるなんて本気で思ってたのかしら。冗談じゃない!そんなこと私が許すと思う? いいえ絶対に許さない、絶対にね」


 ミーシャは一気にまくし立てた。口元は歪み眉もつりあがっている。さっきまでの可愛らしさは影も形もない。


「あなたのお父さんに会ったわ」


 ヴェロニカは話題を変えた。ミーシャの表情に変化はない。


「あなたのご両親が借金返済のため自分の体を売ったことも聞いたわ。そしてあなたのお父さんがA.Iテック社を経営している『理事会』メンバー、クロノスだと言うことも」


「だったら『アトラス』のこと、コード0095のことも聞いたんでしょ?」


「ええ、聞いたわ」


「私はね。アトラスが目指している『完全な世界』なんて認めない。だからどんな手段を使っても止めるの。私の父を見たでしょう?完全にアトラスを信奉している。アトラスに支配されている。私は支配されるなんてまっぴらなの!」


「ねえミーシャ。私にはアトラスがやろうしていることが正しいことなのか、悪いことなのかわからない。でも戦争はイヤ。人が死ぬのもイヤ。ミーシャ、あなた言ったよね。ずっと私と一緒にいるって! 約束したよね!」


 ミーシャはヴェロニカから目を逸らしてうつむいた。


「ヴェロニカ……一緒につくらない? アトラスがつくろうとしている『完全な世界』なんかじゃない。ふたりにとっての理想の世界をつくるの。あなたと私ならきっと出来るよ。出来るに決まってる。ねえいいでしょ」


 ミーシャと自分にとっての理想の世界。それはいったいどんな世界なのだろう? ぐるぐるといろいろな想像がヴェロニカの脳裏を巡った。だが、ヴェロニカの答えはすでに決まっている。ヴェロニカはゆっくりと口を開いた。


「それはできないよ、ミーシャ。だって私はもう理想の世界に住んでいるんですもの。小さい会社だけど自分のやりたいことを大好きな仲間と一緒にやってる。ジェイもカーンもソフィアもいる。だから戻って来て――ミーシャ」


 うつむいているミーシャの唇がわずかに震えている。ミーシャが顔を上げてヴェロニカと目があった。ヴェロニカは確かに見た。幼い時イチョウの木の下で見たミーシャの優しい瞳。同じ瞳だった。


 ――ちょうどその時だった。耳をつん裂くような大きな音が響き渡ると同時に凄まじい衝撃がヴェロニカの体を襲った。体が宙を舞い床に叩きつけられる。もうもうと舞い上がる煙で何も見えない。自分はどうなってしまったのか? ミーシャは? ミーシャはどこ?


 電気が消えて暗闇になった。腕の端末に向かって「ライトモード」と音声で指示を出す。四方を囲まれた壁が見えた。どうやらソファーから放り出されて床に転がっているらしい。目の前にへし折れた木材の塊がある。脚と天板があるので応接用のテーブルだろう。周りに小石や剥がれた壁の破片が散乱している。


 ヴェロニカは体を捻って扉があった方に頭を向けた。起きあがろうとすると腕や腰にひどい痛みが走って思わず声を上げた。ゲブリュルとメアリーは無事なのだろうか? 端末でゲブリュルとメアリーに呼びかけみるがノイズが聞こえるだけだった。体をくねらせながらって進もうとする。


 扉の方から焦げ臭い匂いがしてくる。火災が起こっているのかもしれない。額についたホコリを取り除こうと手で拭き取ると湿ったような感触があった。あわてて手のひらを灯りで照らすとべったりと血がついているのが見えた。ひどい痛みで頭がくらくらしてきた。私にとっての「理想の世界」はここで終わるのかもしれない。


 突然、明るい光で顔を照らされた。まぶしくて目を閉じる。


「しっかりしてヴェロニカ!」


 薄目を開けて確認するとミーシャが片膝をついて覗き込んでいる。ミーシャの顔もすすとほこりで黒く汚れている。ミーシャはバッグから注射器を取り出すとヴェロニカの足に突き刺した。ちくっとした痛みを感じる。


「痛み止めよ」


 ミーシャは慎重にヴェロニカの両脇に自分の両手を差し入れて言った。


「特殊部隊の砲撃がこのフロアに命中して火災が起こっているわ。ここにいたら危険よ。移動しましょう」


 自分の体が引きずられていくのがわかる。執務室を出てロビーの真ん中までくるとミーシャはバッグからタオルを取り出すとヴェロニカの頭の下に敷いてくれた。痛み止めが効いてきたのか意識がもうろうとする。ミーシャが再びバッグから何かを取り出すとヴェロニカの手のひらにそれを押し込み握らせた。ひんやりした金属のような感触だった。


 「これは開発したもう一つの四次元コードプレイヤーよ。金融システムをダウンさせたウイルスを除去するためのワクチンが入っている。これを使ってあなたの世界を守りなさい!」


 ヴェロニカの耳元ではっきりとした声が聞こえた。


 

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