第50話

 こちらに走ってくるような足音とヴェロニカを呼ぶ声が聞こえる


「私は行くね。さよなら、私のヴェロニカ――」


 ほほに優しい口づけを残してミーシャは走り去った。


「待って、行かないで……ミーシャ……」


 薄れていく意識の中で必死にミーシャの名前を呼んだ。







 どれくらい眠ったのだろう……。ヴェロニカは病院のベッドで目を覚ました。かたわらにいたソフィアが気がついて担当の医者を呼んでくれた。医者の説明によるとここはグランドパルマ島の首都センテリェオの病院でヴェロニカは3日間眠っていたとのことだ。足や肩の骨折と飛び散った破片が全身に刺さって出血も酷かったらしい。重傷でしばらく入院が必要だと言われた。


 意識を失う前に聞いた足音はゲブリュルとメアリーのもので、大変な思いをしてヴェロニカを研究所の外まで運び出したらしい。ルミとB.Mは公安に拘束されて取り調べを受けているとのことだ。ミーシャは――行方不明だった。あの後、ヴェロニカたちがいた研究所のコントロールセンターは火災で焼け落ちた。焼け跡から多くの死体が見つかったが、ミーシャと思われる死体は発見されなかった。


 ヴェロニカが受け取った四次元コードプレイヤーの他に封筒に入った手紙が残されており、ミーシャがヴェロニカに語った内容が書かれていた。ジェイの協力のもと公安が各国政府にワクチンを配布して金融システムは復旧したそうだ。


 アビスモ共和国はパルマ・デ・ラ・マノ諸島の州のひとつ『アビスモ州』となった。州知事はサンチェス大統領がそのまま就任した。どうやら『アトラス』と被害を受けた各国政府の間で取引があったようで、ミーシャを除くアビスモ共和国の職員や住民が罰せられることはなかった。アビスモ州はパルマ・デ・ラ・マノ諸島の主要な州として政府の運営にも関与する権利が与えられた。


 A.Iテック社は新しい『理事会』のもとで経営されることになったが、暗号通貨『コンキスタ』の売り込みに失敗し損失をこうむった。


 1ヶ月後、退院したヴェロニカは日本に帰国し久々にサイバードル社へ出社することになった。今日は会社に新入社員がやって来る日だったからだ。新入社員は緊張した面持ちで挨拶を始めた。


「今日からお世話になります。ルミ・ヤマグチです。早く一人前になれるよう頑張りますのでよろしくお願いします!」


 ブルーの瞳をキラキラさせて金髪美少女はペコリとお辞儀をした。カーン、ジェイ、ソフィアが「お帰り」と言ったが、ルミはキョトンとしていた。


 ヴェロニカは仕事が終わると自宅のアパートへ帰ってきた。ふたつの郵便物が届いている。ひとつはメアリーからの小型四次元コードチップだ。さっそく再生すると、白く大きな建物の前で楽しそうに笑っているメアリーの画像が表示された。その建物には見覚えがある。グランド・パルマ島の港町ブエン・ティエンポにあったロマネスク様式の教会だ。メアリーは歴史的建造物をめぐる旅に出ているのだった。


 もうひとつは宅配便の段ボール箱だ。差出人の名前を探すがどこに表示がない。怪しいとは思ったが開けてみることにした。箱の中身はマトリョーシカ人形だった。思わず息をのむ。急いで人形を箱から取り出すとテーブルの上に置いた。人形の上半分を取り外すと次の人形が現れる。更に上半分を取り外すと小さな金属の筒が出てきた。


 四次元コードプレイヤーだ。今度は再生ボタンが付いていたのでホッとした。一瞬ためらってからボタンを押した。懐かしい姿が現れる、グリーンの瞳をした色白の少女、銀髪の長い髪――昔のままのミーシャだった。ミーシャはかしこまった様子で椅子に座っている。


「こんにちは、ヴェロニカ。元気? これから話すことは最後まで言わないつもりだったの。でもあなたがこれから生きていく上で知っておいた方がいいと思い直して話すことにしたわ。あなたのご両親はA.Iテック社から請け負った人身売買ビジネスをやっていた。私の両親はお金が欲しくてあなたのお父さんに依頼して自分の体を売ったわ。でもあなたはそのことを知ってしまった」


 頭が真っ白になった。A.Iの権利拡大に熱心だった父がそんなビジネスをしていたなんて。再生を止めようかと思ったが止めることができなかった。


「あなたは両親を責めて家を出ていくと言った。そこであなたのお父さんはあなたの記憶の一部を消した。これは許されないことだとあなたのお父さんは後悔していたわ。この話を聞いたあなたはお父さんを恨むかもしれない。仕方ないと思う。でもこの話には続きがあるわ。実は私自身も自分の体を売ろうとしたの。お金が欲しかったから。でもね、あなたのお父さんは引き受けてくれなかった。その代わりに多額の資金を援助してくれた。あなたのお父さんは私に言ったわ『いつまでもヴェロニカの友達でいてやってほしい、娘を支えてあげて欲しい』とね」


 複雑な気持ちがヴェロニカの中に湧き上がった。父を許せないという気持ちと良かったという気持ち。


「その資金をもとに私はサイバードルNow社を設立した。結局そのお金はご両親に返すことができなかった。だからあなたからお父さんに返してあげて。でもねこれだけは言っとくね。あなたのお父さんは私にそんなことを頼む必要はなかったの。私はずっとヴェロニカの友達であり続けるんだから」


 映っているミーシャの後ろから「ミーシャ、どこだい?」と声が聞こえた。「はーい、今行くよー」

 とミーシャが振り向いて答える。


「父、ミハイルよ。一緒に住んでるの。じゃあね、ヴェロニカ。きっとまた会えるよ、チュ!」


 そう言ってミーシャは画面に向かって投げキッスをし、映像は消えた。


『口座に振り込み入金がありました』


 腕の情報端末に新規の通知が来ていた。振り込まれた金額は500万サイバードル。このお金は香港にあるプライベートバンクへ預け入れよう。スミスさんに頼んで父の事業を継続するための基金にしよう。


 父は私に聞くだろう。


「このお金は何に使うんだい?」


 私はこう答える。


「『理想の世界』を創るんだ。大切な人のために――」


 ――完――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暗号資産ガールはへこたれない おあしす @Oasis80

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ