第36話

 南ゲートの入り口は複数のレーンに分かれていて、ヴェロニカの乗ったタクシーは「外来者、一般」のレーンに滑り込んでいく。門状のゲート上部に入場パスを読み取るセンサーが設置してあるのが見えた。ゲートの手前でタクシーは一旦停止する。


『入場パスを確認しました』


 と座席全面のモニターに表示されるのと同時に、読み上げる音声が流れた。


 意外なほどにすんなり入場できたため、ヴェロニカにはやや拍子抜だった。まずは活動の拠点を確保しなければ。ヴェロニカとメアリーは予約していたホテルへ向かう。観光地ではないのでガイドブックがあるわけでもなく、ゴーリェに調べてもらい予約したホテルだ。南ゲートを抜けると大きな半円形の広場があり、中央部分は噴水になっている。広場からは放射状に道が延びており、北東方向に伸びた道を500mほど進むと重厚な石造りの建物が見えてきた。「エステ・イグレシアホテル」と案内モニターに表示される。歴史的建造物を改装して作ったホテルとの説明がモニターに表示された。


「ねえ、ここに泊まるの?」


「そうよ。なかなかいいホテルでしょ?」


 メアリーの突然の問いにまた文句でもあるのかと思ったのだが、隣のメアリーを見ると普段は生気のない目をしているくせに、目を大きく見開いて何やらブツブツとつぶやいている。よく聞くと、「――柱はカンタベリー大聖堂に似ているわね……ケルン大聖堂に比べると……なかなかいいわ」などと建物の造作について独り言を言っているようだった。どうやらこうした古い建造物に興味があるようだ。


 正面玄関で車を降りたヴェロニカは、相変わらずぎこちない動きのメアリーをつれてチェックインを済ませ、ツインの部屋に入った。クラシカルな外観やロビーに比べると部屋の内装は現代的で広々としている。元々ウイルスソフトであるメアリーは知識としてホテルは知っているものの、アンドロイドの体で泊まるのは初めてだったためいろいろと戸惑っているようだった。ヴェロニカはメアリーが不自由しないように一つ一つ説明していった。


 ヴェロニカとメアリーが部屋で一息ついていると、部屋の壁付近に立体映像モニターが現れた。キッチリとスーツを身につけたアナウンサーと思われる男性と女性が呼びかけるように言う。


「住民の皆さん! 大事なお知らせです。明日はアビスモA.I居住区の独立を決める投票日です。投票はお手元の各種デバイスから簡単に出来ます。投票受付時間は12時から17時です。忘れないように投票しましょう」


 ヴェロニカは、公安警察のリー捜査官が言った言葉を思い出した。


『ミーシャ・ヨハンソンは、A.Iによる独立国家樹立を目指す組織のリーダーであると、我々は認識しています――』


 そんな……いくらなんでも早すぎる! この情報は居住区の外では全く報道されていない。情報コントロールされているのだろうか? この投票がミーシャによって仕組まれたものかどうかは分からない。だが、投票の結果、独立が承認されたらA.Iと人間による「紛争」が「戦争」に拡大してしまうかも知れない、それを阻止するのが公安のミッションだと、リー捜査官は言っていた。


 リー捜査官はこの事実を知っているのだろうか? もし知らないのなら早くこの事実を知らせなければ。だがもし情報統制されているのなら安易に連絡するのはマズいかもしれない。


「メアリー、通信システムの安全性を調べられる?」


「この体だとやりにくいのよね、少し待って」


 そう言うとメアリーはベッドに横になって目を閉じた。数十秒後、カッと目を見開いたメアリーは首だけでヴェロニカの方を向くと眉根を寄せた。


「やばいよこれは。投票に関するあらゆるワードが発信された段階で通信が遮断されるようプログラムされてるよ。しかも遮断されるだけじゃないわ。発信者が特定されて治安維持機関に通報されるプログラムも確認できたわ」


「試してみるのはやめた方がよさそうね」


 投票に関連するワードを避けて話をすることは可能だろう。だが、簡単に解読できない暗号を使わない限り投票のことを伝えるのは困難と思われる。また、当局に拘束されるリスクはおかしたくなかった。


「まずはミーシャの居場所を探さないとね」


 スティーブの話によると、アビスモ居住区に入った時のミーシャはルミの中にいたが、その後A.Iテック社の受付嬢サリーの中に移動した可能性が高い。ヴェロニカはサリーの容姿を思い出す。身長はミーシャとあまり変わらなかったのではないか? ヴェロニカよりは5〜6cmは低かったと思う。茶色の髪は肩より長く、目の色はどうだったか? 可愛らしい雰囲気の女性だった印象がある。もう一度見かければわかるとは思うが肝心の映像は持っていない。


 自分の体を取り戻したルミはどうなっただろう? もうスティーブの元へ帰っただろうか? まずルミの線からあたってみるのがいいかもしれない。メアリーはルミの容姿を記憶しているはずだ。


「メアリー、居住区内の監視カメラをハッキングできるかしら? ルミが写ったものがないか調べて欲しいの」


「また私にベッドで寝てろって言うの?」


「これが終わったら島内の歴史的建造物を見て回っていいから、お願い!」


 ヴェロニカは、ブエン・ティエンポで見た真っ白く巨大な教会のことを思い浮かべた。あれを見せればメアリーは喜ぶだろう。


「いいわ、でも少し時間がかかるから」


 そう言うとメアリーは再び横になって目を閉じた。ヴェロニカは腕の端末で時間を確認する。午後4時27分。投票締め切りまで残り24時間ほどしかない。独立は承認されるのだろうか? 独立が承認されたら何が起こるのだろう?


 通りに面した窓から街並みを見下ろす。自動運転車が整然と行き来し、歩道には人間と見分けがつかないアンドロイドが歩いている。街の様子は至って普通に思える。アンドロイドたちに動揺している様子は見られない。彼らはこの居住区が独立することの意味をわかっているのだろうか?


 情報収集をメアリーだけに任せるわけにはいかない。独立投票のことを当局に補足されずに、カーンやゴーリェに伝える方法はないだろうか?


 そうだ、秘匿回線があるわ。


 秘匿回線は量子暗号を用いた通信方式で極めて高い安全性がある。容易には盗聴出来ないだろう。一方で伝達距離に問題がある。以前、ルミやスティーブとの会話で使ったことがあるが、同じ市内にいたから可能だったのだ。海外にいるジェイやソフィアとの通信は不可能だろう。ならば同じセンテェリオ市内にいるカーンやゴーリェならどうか?


 ここがアビスモ居住区でなければおそらく大丈夫だろう。だがアビスモ居住区は世界最先端のIT技術を誇っている。量子暗号のキモである「量子ゆらぎ」に対する攻撃方法を確立しているかもしれない。試しにカーンに秘匿回線で電話をかけてみるか? かけるにしてもホテルの部屋からはマズい。すぐに居場所を捕捉されてしまうし逃げることもできない。


 一度、アビスモ居住区の外に出てカーンに伝えるのはどうだろう? いや、再入場できる保証がどこにもない。ではメアリーに外に出てもらい伝言してもらうのは? それもだめだ。私ひとりでミーシャのところまで辿り着くのは難しいだろう。メアリーの助けが必要だ。


 時刻はいつの間にか午後6時14分になっていた。メアリーは身動きひとつしない。調査が難航しているのか? もう一度状況をよく考えてみる。仮にアビスモ居住区内で明日、独立投票が行われることがわかったとして壁の外にいるカーンやゴーリェに何か出来るだろうか? おそらく何も出来ないだろう。であれば無駄に心配させるより、独立に関する話をせず安否連絡だけにしておいたほうが良いのではないか?


 やはり秘匿回線を使うのは本当に連絡が必要な時だけにしておこう。ヴェロニカはそう決心した。

 

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